どら増田のオリ熱魂!~第33回・山田修義
2016年、「きのうの試合があいつにとって最後の試合だったかもしれないと思うと、もう少し何とかしてやれなかったのかなという思いはあります」と伊藤光(現DeNA)が悔やみ、2017年に福良淳一監督は「もうないです!」と言いきった。
しかし、山田修義は今年もオリックスのユニフォームを着て、プロ野球月間最多登板のタイ記録を達成したのだから人生はわからない。
2009年に敦賀気比高からドラフト3位で入団した山田は、将来の左腕エースの候補として期待されていた。当時の岡田彰布監督が若手選手を積極的に起用して実戦で育成する方針だったため、ルーキーイヤーから一軍で先発を経験。しかし、勝ち星に恵まれず、14年には肘を痛めてしまう。
その後、トミー・ジョン手術を行い支配下選手から外れ、育成選手として再スタート。15年の7月に再度支配下登録されると、一軍に昇格し、中継ぎも先発も経験した。勝ち星はつかなかったが、16年には先発で待望のプロ初勝利を挙げるも、12試合の登板で2勝7敗、防御率4.94。昨年は制球に苦しみ4試合の登板で0勝3敗、防御率8.76と厳しい結果に終わり、オフには戦力外候補の1人に挙げられていた。
背水の陣で臨んだ今季
「毎試合、毎試合あとがない」
そんな気持ちを胸に臨んだ今シーズン。小松聖・二軍投手コーチと二人三脚で取り組んだのは「左バッターに合わせるような決め球」の開発だった。
「最初はフォークを試したんですけど、フォークがイマイチで…」。そこで小松コーチが提案したのが、現在の山田にとっての最大の武器であり、生命線となっているスライダーである。このスライダー、カットボールに似ているという声もあるが、山田は次のように説明する。
「ストレートのイメージで腕を振っていたら、勝手に球が曲がっていったんです。真っスラともまた違うんですけど。だから曲がらなかったら、ただのストレートなのでキャッチャーは焦ると思います(笑)」
今シーズンは8月2日に一軍に昇格すると、8月だけで18試合に登板。2014年に火消し役としてチームの優勝争いに貢献した比嘉幹貴との“ニコイチ”も定着し、疲れが見え始めていた夏場の中継ぎ陣を救ったのは言うまでもない。
プロ8年目の再スタート
山田は「6月の終わりからファームでも先発から後ろに回るようになって、ホント家族が支えになってくれました。特に何を言ってくれるとかはないんですけど、その気遣いが嬉しかった。きのう(記録を達成した8月31日)も観に来てくれて、3人の子どもたちがテレビにも映ってたんです。まだ下の子は2歳と1歳なんでわかってないと思うんですよ。でも大きくなったら、パパはこんな記録作ったんだよって映像を見せられるじゃないですか。投げさせてもらって良かったし、嬉しいですね」と笑顔で振り返っていた。
「今年がプロとしてやっとスタートを切れた年かもしれないですね?」と尋ねると、「本当にそうだと思います。これがスタートだと思って、まだまだ(自分自身が上に)行けると思うので、ひとつでも勝ちに貢献できるように投げていきたいですね」と自信に満ちた表情で応えてくれた。
一部ファンからは酷使を心配する声もあがっているが、「不思議と疲れはないんです。先発をやっていたからですかね。今は投げるのが楽しい」と問題ない様子。むしろ「ファームでお世話になった方々や、ファームで温かい声をかけてくださったファンの皆さんには本当に感謝しています。僕は結果を出すことで恩返しするしかないので、引き続き頑張ります」と気持ちを引き締めていた。
崖っぷちの状況から這い上がってきた山田を見ていると、現在のチームが掲げている「諦めなければ何が起こるかわからない」という言葉を体現しているようにも思える。プロ8年目だが、今年27歳とまだ若い。独特のスライダーにさらに磨きをかければ、長年“空き家”となっている「左のセットアッパー」の座を射止めることもできるはずだ。
取材・文=どら増田