白球つれづれ2018~第35回・与田剛
黄金の右手が早くもご利益をもたらした。
10月25日に行われた今年のプロ野球ドラフト会議。最大の目玉と言っていい大阪桐蔭の根尾昂を引き当てたのは中日の新監督・与田剛だった。ヤクルト、巨人、日本ハムと4球団が競合、真っ先に抽選箱に手を入れた与田の右手に当たりくじが握られていた。地元の岐阜出身で中学時代は「ドラゴンズジュニア」でプレーしたこともある根尾は何が何でも獲得したい金の卵、他球団に先駆けドラフトでの1位指名を公表した経緯もある。「ホッとしました」という新監督の頬は興奮と喜びで赤く染まって見えた。
森繁和の退任が決まり、監督に就任したのはドラフトのわずか10日前のこと。古巣の中日には23年ぶりの復帰となる。1989年のドラフトで1位指名を受けた与田のデビューは鮮烈なものだった。4月の横浜大洋(現DeNA)戦。いきなり延長11回無死一・三塁でリリーフに立つと2つの三振を奪い無失点で切り抜ける。闘将・星野仙一譲りの真っ向勝負。この年には当時の日本最速である157キロの快速球で打者を手玉に取り、最優秀救援投手賞と新人王に輝いた。
しかし、与田の球歴を調べてみると、活躍した期間は驚くほど短い。鋭い腕の振りと右肩の酷使はすぐさま肩、肘の故障につながった。新人の年に31セーブ、翌々年の92年に23セーブを記録した以外はさしたる数字が残っていない。そればかりか、ロッテ移籍、日本ハム、阪神にテスト入団と流転の時代が続くも光り輝いたのは中日初期の2年間だけ。プロ実働7年間で8勝19敗59セーブの数字は平凡だが太く短く散った男の足跡だけが残った。
持ってる男!?
そんな与田をふたたび「全国区」に押し上げたのは2009年から就任したNHK「サンデースポーツ」のキャスター就任である。歯切れのいい解説と鋭い分析で知名度を上げると、その後は野球日本代表の投手コーチ、さらには2015年から楽天の投手コーチを歴任して中日へのカムバックにつながった。
このNHKのキャスターにも楽天のコーチにも深くかかわったのが恩師ともいえる星野仙一の存在だ。中日監督時代は鉄拳も辞さずのコワモテ指揮官だったが、グラウンドを離れると選手家族の誕生日に花束を贈る、退団していく選手の就職の面倒もみる。星野にとって与田はある意味、酷使によって投手生命を奪った負い目もあったに違いない。NHKでも楽天でも星野の影響力があったからこそ与田の現役引退後の道は開けた。
中日の監督就任も最初から与田招請で進んだわけではないと言われている。落合博満が監督時代は8年間でリーグ優勝4度、日本一にも上り詰めたが近年は低迷続き、ついに今季は球団ワーストの6年連続Bクラスに沈んだ。後任監督を巡っては球団の内外で落合の遺産を評価するオーナーの白井文吾派と中日生え抜きを抜擢すべきとする「反白井派」がぶつかってきた。そんな中である関係者は「落合色のない、中日OBとして急浮上したのが与田」と舞台裏を語る。
故障に泣かされながらも現役引退後は星野に救われた運。新監督に就任する際は球団内外のパワーゲームの末に誕生した運。そして意中の恋人・根尾を自らの手で引き当てた強運。与田剛は何かを持っていると中日ファンならずとも思わせる船出だ。
29日には新首脳陣が発表された。何といっても注目すべきは一軍ヘッドとして招請した伊東勤(前ロッテ監督)の就任だろう。またOBとしてはバッテリーコーチに中村武志が復帰。二軍では今季限りで引退した荒木雅博、浅尾拓也がコーチとして指導に当たる。
投手出身の与田にとって、チーム全体の統率や戦略面の目配りに伊東の存在は大きい。この伊東との接点はWBC日本代表のコーチ時代にさかのぼる。ふたりがコーチとして仕えたのが3度目の巨人監督に復帰した原辰徳だ。さて、この注目の対決の軍配はどちらに挙がるのか!? そして根尾の入団後は「二刀流」を容認するのか? いずれにせよ、与田ドラゴンズが近年にない注目を集めるのは間違いない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)