炭谷の巨人入りが決定
西武からFA権の行使を宣言していた炭谷銀仁朗の巨人入りが決定した。26日に行われた入団会見で背番号「27」のユニフォームを身にまとった男には、4年ぶりの再登板となった原辰徳監督が率いる新生・巨人の正捕手として期待がかかる。
とはいえ、レギュラーが保証されているわけではない。巨人には生え抜きの小林誠司をはじめ、打力に定評のある大城卓三や宇佐見真吾、そして来季から阿部慎之助も捕手復帰を目指すことを明言しており、ライバルは多数。激しい競争が待っている。
もちろん、炭谷もそのことは承知の上。2012・2015年とゴールデングラブ賞に輝き、15年はベストナインも受賞した。さらに2013・2017年と2度に渡り侍ジャパンの一員としてWBCに出場した実績・経験を持っている男であるが、会見では「新しい環境で勝負したい」と語り、新天地で戦いに挑む覚悟を口にしている。
リーグ制覇に貢献した谷繁、細川
捕手というポジションは育てることが難しいこともあり、有力選手がFA権を取得するとなると毎回のように大きな注目を集める。ここで、過去にチームの頭脳である捕手がFAで他球団に移籍したケースを紹介する。
▼ FAで移籍した捕手
1997年:田村藤夫(ロッテ→ダイエー)
1998年:中嶋 聡(オリックス→西武)
2002年:谷繁元信(横浜→中日)
2009年:野口寿浩(阪神→横浜)
2009年:相川亮二(横浜→ヤクルト)
2010年:橋本 将(ロッテ→横浜)
2011年:藤井彰人(楽天→阪神)
2011年:細川 亨(西武→ソフトバンク)
2012年:鶴岡一成(巨人→DeNA)
2013年:日高 剛(オリックス→阪神)
2014年:鶴岡慎也(日本ハム→ソフトバンク)
2015年:相川亮二(ヤクルト→巨人)
2018年:大野奨太(日本ハム→中日)
2018年:鶴岡慎也(ソフトバンク→日本ハム)
なかでも最も成功した例といえば、横浜(現DeNA)から中日へ移籍した谷繁元信だろう。
谷繁は横浜での最終年となった2001年にキャリアハイ(※当時)となる20本塁打をマークし、盗塁阻止率もリーグトップの.543を記録。オフには日本人捕手として初めてのメジャー挑戦を目指したが、条件面で折り合うことができずに渡米は断念。中日に移籍することになった。
すると、それまで中日で正捕手を張っていた中村武志は出場機会を求めてトレードを志願。ここで手を上げたのが、正捕手がいなくなってしまった横浜だった。結果的に、正捕手同士のトレードのような形に落ち着いたというレアなケースである。
中日に移った谷繁は打率こそ.215と落としたものの、自己最多を更新する24本塁打・78打点を記録。新天地でも正捕手として申し分ない働きぶりを見せると、2004年の落合博満監督就任後は扇の要として計4度のリーグ制覇に貢献。2014年には選手兼監督も務めるなど、中日で一時代を築き上げた後、2015年に現役を引退した。通算3021試合出場は堂々の歴代最多記録である。
ほかにも、FA移籍からチームのリーグ優勝に貢献した捕手といえば、2010年オフに西武からソフトバンクに移籍した細川亨が当てはまる。
城島健司のメジャー移籍後、しばらく正捕手不在で苦しんできたソフトバンクの救世主として強力投手陣を束ね、計3度のリーグ制覇と日本一に尽力している。ただし、若手の突き上げもあって2016年オフに戦力外となるなど、谷繁ほどの長きにわたる活躍は見せられなかった。自由契約から入団を勝ち取った楽天も2年で退団となっている。
横浜はFAで2度補強を試みたが…
名捕手・古田敦也の引退後、こちらも捕手が固定できずに苦しんでいたヤクルトは横浜から相川亮二を獲得した。
相川も2008年オフにメジャー挑戦を目指したが契約には至らず、ヤクルトへ国内移籍。ヤクルトにとっては球団史上初のFA補強だったことも話題になった。
移籍1年目から正捕手としてマスクを被ると、2009年には球団初のクライマックスシリーズ出場に貢献。2010年には自己最多を更新する10本塁打・65打点をマークした。
しかし、中村悠平の台頭によって徐々に出番を減らしていくと、2014年オフには再度FA権の行使を表明。巨人へと移籍した。
その相川が移籍したことで苦しんだのが横浜だった。2008年には野口寿浩を獲得するも、移籍後2年間で一軍出場はわずか19試合。力を発揮することができないまま、2010年に現役を引退した。
さらに、2009年には強打がウリの橋本将を獲得していたものの、こちらもわずか43試合の出場にとどまるなど攻守に精彩を欠いた内容。翌年は一軍出場ゼロに終わり、オフに戦力外通告を言い渡した。
2度のFA補強も相川の穴は埋められず、その間に若手の育成もできなかった横浜は苦しい戦いを強いられた。
FAで古巣に復帰
また、珍しいケースがFA移籍で古巣に“出戻り”したパターン。日本ハムからソフトバンクを経て日本ハムに戻った鶴岡慎也である。
2013年オフに日本ハムからソフトバンクへと移籍した鶴岡。もともと定評のあった守備と意外性の打撃でチャンスは掴んだものの、2017年には甲斐拓也ら若手の出現もあって一軍出場が29試合まで激減。オフに2度目のFA権行使を宣言すると、古巣である日本ハムへの復帰が決まった。
というのも、その年の日本ハムは大野奨太がFA権の行使を宣言しており、中日に移籍が決定。若い清水優心が芽を出し始めていたとはいえ、それを支えるベテランの力が必要だったのだ。
かつて付けていた「22」を背に北海道に帰ってきた男は、2年ぶりの100試合超えとなる101試合に出場。経験豊富なリードで若き投手陣を引っ張った。
一方、中日に移籍した大野は新天地で正捕手定着とはならず。今季は自己最少の63試合出場に終わり、打率も.197と低迷した。1年目は期待に応えることができなかったが、来季こそ本領発揮となるか。与田剛新監督の下で松井雅人らとの“正妻”争いに挑む。
“グラウンド上の指揮官”ともいうべき捕手の存在は、そのチームの命運を左右する。正捕手争いという荒波のなかで、炭谷は巨人で新たな歴史を作ることができるだろうか。
文=別府勉(べっぷ・つとむ)