超難関となった投手の名球会入り
11月24日、日本プロ野球名球会が「名球会ベースボールフェスティバル2018」を開催。名球会メンバーによるセ・パ対抗試合がおこなわれ、現役選手、往年の名選手がファンを沸かせた。
近年、その名球会における問題として挙げられるのが、投手の入会条件の厳しさ。名球会の会員資格は、日米通算で野手が2000安打以上、投手が200勝以上、もしくは250セーブ以上だ。
今季途中に入会を果たしたのは内川聖一(ソフトバンク)と福浦和也(ロッテ)。2017年には荒木雅博(元中日)、青木宣親(ヤクルト)、阿部慎之助(巨人)、鳥谷敬(阪神)と、4人もの選手が相次いで名球会入りしたが、いずれも野手である。
毎年のように名球会入り選手が出る野手に対し、投手は黒田博樹(元広島他)が入会した2016年が最後。それも、岩瀬仁紀(元中日)が入会した2010年以来、6年ぶりのことだった。投手の分業制の定着もあって、現代野球における200勝は超難関だ。現在、名球会の会員数は打者49人、投手16人と、両者に大きな開きがある。
その問題もあり、今後、名球会は、登板数、投球回、ホールド数などを加えた投手の新たな入会規則を議論していくことを決定。今後、野手と投手の「格差」が埋められていくはずだ。
ただ、投手に比べてハードルは低いとはいえ、野手にとっての2000安打もそう簡単な記録ではない。現在、2000安打に迫る現役選手は、福留孝介(阪神/1808安打)、中島宏之(巨人/1759安打)、栗山巧(西武/1722安打)ら。いずれもベテランの域に入っており、今後は自身の年齢や台頭する若手との闘いになってくる。
当然、2000安打に「あとわずか」に迫りながら現役を退いた選手も多い。以下は、1900安打以上を記録しながら2000安打に届かなかったプロ野球選手の一覧だ。
▼ 通算1900安打以上2000安打未満
1978安打:飯田徳治(元南海他)
1977安打:毒島章一(元東映)
1963安打:小玉明利(元近鉄他)
1928安打:谷 佳知(元オリックス他)
1912安打:井端弘和(元中日他)
1904安打:松永浩美(元阪急他)
こだわった谷佳知とこだわらなかった井端弘和
名球会の前身である昭和名球会の発足は1978年。飯田徳治(元南海他)、毒島章一(元東映)、小玉明利(元近鉄他)の3選手はそれ以前に現役を引退している。ともに2000安打まで50安打を切っており、いまなら記録達成まで打席に立つ機会を与えられた可能性も高いはずだ。
谷佳知(元オリックス他)と井端弘和(元中日他)の現役引退は野球ファンの記憶にも新しいところだろう。ふたりの引退は2015年。それぞれにドラマがある。「応援してくれた人の思いもある」と、2000安打に強くこだわっていたのが谷だ。そのため、巨人を戦力外になると古巣・オリックスに復帰。2015年6月11日には一軍昇格を果たし、即座に安打も放った。
しかし、大記録達成を期待するファンをよそに、谷は福良淳一監督代行(当時)に自ら一軍登録抹消を申し出た。その理由は「自分の納得する打撃ができない」というもの。巧みなバットコントロールがウリだった巧打者・谷らしい理由である。記録にこだわりながらも、自身の力の衰えを許せなかった谷は、その年限りで引退。谷の現役最終年は11試合27打数5安打、打率.185、3打点に終わった。
一方、巨人移籍2年目だった井端の同年の記録は98試合269打数63安打、打率.234、1本塁打、19打点。全盛期に比べれば数字は落ちるが、シーズン序盤は先発出場する機会も多く、紛れもない主力であった。ところが、シーズン後に同年齢の高橋由伸(元巨人)から現役を引退し監督に就任することを明かされると、井端はあっさりと「一緒に辞める」と返答。井端が入閣しなければ首脳陣のなかで最年少になってしまう新監督をコーチとして支えることを決意した。記録より友情を優先したのが井端という男だった。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)