それぞれの独立リーグ
今年で13年目のシーズンを迎える独立リーグ、ルートインBCリーグ。今シーズンも「スピードスター」・西岡剛(元阪神・千葉ロッテ)を栃木ゴールデンブレーブスが迎えるなど、近年、実力・注目度とも向上させている。
これまで幾多の選手が「プロ」=NPBという夢を抱いてこのリーグの門を叩いたが、独立リーグは夢への登竜門であるとともに、セカンドキャリアに向けて自ら踏ん切りをつける場所でもある。そういう若者が最後の夢への挑戦を行う場で、13年目のシーズンを迎えるベテラン選手がいる。
今年35歳を迎える稲葉大樹が新潟アルビレックスBCで残した安打は881本。前人未到の「日本独立リーグ1000安打」を視界に捉えはじめた。
人生の分岐点
BCリーグが、日本第2の独立リーグとして開幕を迎えたのは2007年4月28日。新潟アルビレックスBCは三条市民球場(現パールスタジアム)で富山サンダーバーズと対戦したが、実は「ミスターBCリーグ」・稲葉大樹は、この試合のスターティングラインナップに名を連ねていない。それどころか、ベンチにも入っていない。
「初年度は6月初めからチームに合流したんです」
城西大学の遊撃手として4年の最終シーズンに首都大学リーグのベストナインに選出された稲葉には、社会人実業団チームへの道が開けていた。「就職氷河期」と言われていたあの時代にあって、卒業後も「野球で飯が食える」企業への就職は、野球のエリートコースと言ってよかった。しかし、就職直前に父親が他界、母親を残して就職予定先の九州に行くことを稲葉は良しとしなかった。内定を辞退し、東京に残った稲葉はホテルのベルマンをしながら横浜のクラブチームで野球を続けることにした。
しかし、なにか物足りない。プロなど夢のまた夢、実業団チームに入れれば御の字という気持ちで大学を卒業した稲葉だったが、紆余曲折を経て入ったクラブチームでは、簡単に4割を打てた。そんな稲葉の気持ちを察したのか、選手、指導者として長らくNPBに身を置いていた監督の江藤省三が声をかけた。
「お前もっと上でやる気はないのか?」
背中を押した母の言葉
アルビレックスは開幕を迎えたものの、低空飛行を続けていた。1年目とあって、リーグ全体として選手集めには苦労していた。照明のない球場でのデーゲームで両軍が死球とエラーを連発し、日没までに試合を終えることができず、屈辱的なコールドゲームを宣告されたこともあったという。
当時のアルビレックスの監督は、巨人で活躍した後藤孝志(現巨人コーチ)。戦力不足、とくに内野手の補強を痛感していた後藤は、高校(中京高)の先輩であった江藤に選手の紹介を依頼し、江藤は迷うことなく稲葉に誘いをかけたが、稲葉はこれを断った。
「お前のバッティングと守備ならなんとか上のレベルでやれるんじゃないかっていう話をいただいたんですけど、実業団に行くのをやめて実家にとどまったんで。母にも相談した上で一度は断りました」
せっかくの実業団内定を蹴り、母親の世話をみようと契約社員として働きながら野球を続ける道を選んだのに、海のものとも山のものとも知れないリーグに飛び込むことはためらわれた。しかし、母親は、稲葉の中で「野球の虫」うずいているのを見逃さなかった。
「お前、あの話は断ったのかい?」
1週間ほどして母親からかけられたこの言葉に稲葉の心は決まった。
「あんたがもう一度野球で勝負したいなら、行っていいよ」
母の声に背中を押されて稲葉は独立リーガーの道を進むことにした。
NPBを知る指揮官たちとの出会い
BCリーグ初めてのシーズン、アルビレックスは「.257」という記録的な勝率で最下位に終わった。皮肉なことにこの「弱さ」は、途中入団の稲葉にチャンスを与えた。入団してすぐに、稲葉はショートやセカンドという内野の要として試合に出場。稲葉がこのシーズン残した安打数は「34」、打率は「.213」だったが、毎日野球をできることが何よりも楽しかった。そして、不振の責任をとってチームを去ることになった監督の後藤の言葉が、稲葉に次の目標を与えた。
「お前なら絶対、上(NPB)でできるから」
1、2年の勝負と決めて臨んだが、NPBから声はかからない。2年目の2008年にはレギュラー定着で打率も3割に乗せ、その翌シーズンは全試合出場を果たした上での「.324」という高打率。最後のチャンスと思い臨んだ2010年シーズンも「.295」という打率を残したが、伸びしろ重視のスカウトが26歳になった稲葉をリストアップすることはなかった。
限界を悟った稲葉は引退を決意したが、運命は稲葉をフィールドにとどめた。シーズン後、鳴った電話の先には、高校の大先輩の声があった。
「それまでお会いしたことはなかったですが、高校(安田学園)の先輩にあの野村(克也)監督の片腕の方がいるとは聞いていたんです。その方から『俺、アルビの監督になることになったんだ。お前後輩だろ。俺はBCリーグのこと全然わからないからお前がいてくれると助かるんだ。1年でいいから一緒にやろう』と」
電話の主は、そのシーズンまで楽天イーグルスでヘッドコーチを務めていた橋上秀樹だった。大先輩の一声で稲葉は独立リーガーとして5年目のシーズンを迎えることになったが、ここが彼の野球人生のターニングポイントとなった。野村ID野球を知り尽くした新監督から薫陶を受けた稲葉の視界には無限の可能性が広がっていた。このシーズン、稲葉は首位打者のタイトルを取ることになる。
「橋上さんに出会って、配球についてもわかるようになりました。そこからですね。体と頭がうまく合致するようになったのは」
「そこで通用するレベルまで」
プロ野球界には「遅咲き」という言葉がある。ベテランと呼ばれてから突如として覚醒する選手は少なくない。投手と打者との心理的駆け引きや、技術面がプレーを左右することの多い野球では、肉体的なピークを過ぎた後に、プレーヤーとしての「旬」を迎えることは決して珍しいことではない。
しかし、NPBを目指す場である独立リーグでは、ほとんどの選手はその夢がかなわないと悟ると、体力的なピークを境にフィールドを去り、セカンドキャリアへと巣立ってゆく。稲葉が選手として覚醒する一方、27歳を迎えた同級生たちは、「お前はできる限り続けろよ」という言葉を残して、次の人生に踏み出していった。
35歳を迎える現在、年齢の近い選手は数えるほどしかいなくなった。かつてのチームメイトの中には、指導者として高校球界に飛び込み、甲子園出場を果たした者もいる。BCリーグを見渡しても、すでに2人の監督が自分より年下となっている。稲葉にも数年前からコーチの肩書がついたが、自身の中では、9割方は選手、コーチ業は1割だと笑う。
「同じリーグで年下の監督がふたりもいるのは確かになんか不思議な感じもしますね。彼らもまだやりたいのかもしれませんが、彼らなりの考えがあって指導者になったと思います。でも、僕はやっぱりプレーヤーでいたい。コーチの方は、聞かれれば答えるくらいです。もう歳から考えると、NPBというのは難しいと思うんですけど、そこで通用するレベルまで自分を高めたいなとは思います。それに今は打席に立ってヒットを打つことが楽しいなって思いるので」
周りを見れば、世代のギャップさえ感じるような若い選手ばかりになったが、稲葉は練習では同じメニューをこなしている。
「やっぱり、僕に気を使ってんのかなって思うことはありますね(笑)」
だからこっちも若い選手に気を使わせないよう心がけています。ギャップも感じますよ。僕らの頃は、それこそ練習中に水を飲むな、ゲンコツもありって時代でしたけど、彼らはそうではないでしょうから。だから普段からコミュニケーションをとるようにしています」
いまだ衰えぬ闘争心
前人未到の独立リーグ1000安打まで残り「122本」で迎えた今シーズンだったが、かつてのようにレギュラーとはいかなくなった稲葉の数字はなかなか伸びない。しかし、稲葉にとって1000安打はモチベーションのひとつでしかないと言う。
「皆さんがすごく期待してくれていて、それはうれしいんですけど、なかなか難しい。レギュラーとしてスタメンで出るとすれば、あと1、2年で達成できる数字なんですが。ただ僕はそれだけでチームが回って欲しくはない。やっぱり選手としては、チームが勝つ、独立リーグ日本一っていうところにフォーカスしてやっていきたい。もし自分がNPBという組織に呼ばれるような選手になったとしても、自分を犠牲にできないようではダメでしょうから」
取材したゴールデンウィーク。5月3日の試合ではスタメン出場し最終4打席目で今季2本目となるライト前ヒットを放ったものの、ホームで迎えた5日の試合ではベンチスタート。それでも途中出場した2打席目にセンター前ヒットを放ち、金字塔に少しずつ近づいている。
ただし、1000安打へのカウントダウンと共に、引退へのカウントダウンが進んでいることも薄々感じている。
「もう今は一年一年ですね。球団社長からもう終わりって言われればそれまでですし」
「その後は?」と問うと、「みんなが大丈夫って心配するくらい考えてないんですよ」とはぐらかす。ただ、ベンチにいることに悔しさを感じている今はまだ、その時期ではないと考えているようだ。
「社会人野球でも30歳超えてやるってのは難しい。それを思えば、自分なんか本当に恵まれているなあと。独立リーグだとNPBみたいにたくさん給料もらえるわけじゃないけれども、こうやってまだ本気の野球をやらしていただいているのですから、嫁にはホントに感謝です」
インタビューしたのは5日の試合後だった。この試合、稲葉には審判から警告が出された。BCリーグでは野球少年の良き見本になるべく、選手には品行方正な振る舞いが求められる。試合中の粗暴な振る舞いには警告がなされるのだ。聞けば途中出場したこの日の第1打席、悔しさのあまりヘルメットを地面に投げつけてしまったのだという。
稲葉は「悪いのは自分です。反省ですね」と口元を引き締めたが、その闘争心の先に金字塔があることをファンは知っている。
文=阿佐智(あさ・さとし)