連載『原・巨人よ、どこへ行く?』~第2回~
「ここ数年、うちの課題ですからね」
1カ月ほど前、不安だらけの救援投手陣について原辰徳監督はこう語っている。半分、うめくように。半分は打つ手を探るような口調に苦悩の大きさがのぞいていた。
5月終了時点のチーム防御率は「3.87」。同時点のリーグ全体でも5位という低調に喘いでいる。現在は若干、改善されてきたが、リーグNo.1の得点力を誇っているのだから、再び首位の座を覗うには、一にも、二にも投手陣の整備が急務である。
続いた誤算
大黒柱である菅野智之が腰の違和感で戦列を離れたのは5月中旬だった。最も白星が計算できる絶対エースの異変は確かに痛かったが、それ以上に首脳陣が頭を抱えたのは、救援陣の乱調続きだったろう。今季すでに逆転負けが10度、大切な勝ちゲームを逃げ切れないのだから、チーム内のストレスもたまる。
開幕時は、吉川光夫を7回、中川皓太を8回に起用、抑えは新外国人のクックが任された。しかし、セットアッパーに期待した吉川が成績を残せずにまず脱落。4月下旬には守護神・クックも右ひじの違和感で出場選手登録を抹消されると、ここから大迷走が始まった。かつてのセーブ王・沢村拓一をはじめ、野上亮磨、畠世周、鍬原拓也らを代役としてマウンドに送り出すが炎上の連続、辛うじて中川だけが安定した投球を続けているのが現状だった。
昨年オフには、山口鉄也、西村健太朗といった、かつてのストッパーたちが退団した。彼らの衰えは誰の目にも明らかで、次世代の抑え役の育成は至上命題だったにもかかわらず「帯に短し、タスキに長し」の状態から脱せない。そんな窮地にあって指揮官のとった策は、一二軍の可能性のある投手を総動員して、適性を探っていくものだった。
原監督はもともと、兵を動かしたがる将である。打線でもしかり、開幕前に期待した陽やビヤヌエバ、ゲレーロといった中軸打者候補がはまらないと判断すると、毎試合のようにオーダーをいじって突破口を見出そうとする。
試行錯誤の末に
しかし、投手陣に関しては打線ほどの能動的な意味合いは薄い。むしろ、無い袖でも振って鳴くまで待った。こちらは家康流の辛抱の中で活路を見出そうとしたのだ。
そんな中で、孝行息子がやっと現れた。高木京介である。賭博事件などで無期限出場停止処分を受けて昨年途中から現役復帰、もともとキレのいい速球とスライダーを駆使する中継ぎ左腕だったが、本格復帰の今季はボールの威力が増している。12日の西武戦では僅差の5回からマウンドに上がると3イニングをパーフェクトの快投で2勝目。直近の投球内容は安定しているので今後は単なる左打者へのワンポイント以上の役割にめどが立ったと言える。
加えて、バタバタ状態のブルペン陣に落ち着きをもたらせたのがマシソンの復活だ。通算25勝53セーブ、さらに2度の最多ホールドも記録する優良助っ人は昨年途中に左ひざを痛めて手術、さらに免疫力が低下する感染症にも罹患して一時は野球生命すら危ぶまれた。そんな中継ぎエースが6月6日の楽天戦から一軍に復帰。これで高木、マシソン、中川の抑えの方程式がひとまず出来上がった。もう1つの光明は、クックが今月11日のイースタンリーグ、ロッテ戦で調整登板を始めたこと。早ければ今月中の一軍復帰も見込まれるため、より一層のブルペン強化も果たせそうだ。
現代の野球では、チーム編成はまず抑え投手とその前を託すセットアッパー陣の構築から始めるという。優勝を争うチームには、必ず強力な抑え役がいる。相手チームからすれば試合終盤にリードを許していたらもう、ギブアップ。これこそが勝利の方程式だ。一時のどん底状態を脱した原・巨人。ブルペン陣の強化なくしてV奪回もない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)