白球つれづれ2019~第30回・外野手の美技~
野球の基本は、まず守備から。プロ、アマを問わず指導者がよく口にする言葉だ。8月6日に開幕する全国高校野球選手権大会に勝ち上がってきた多くの代表校も投手陣を含めた堅守があったから甲子園の夢舞台に立つことが出来た。
先週のプロ野球では、外野手の美技が目を引いたので紹介したい。
まずは強肩でファンの度肝を抜いたのが、ロッテの新外国人、L・マーティンだ。キューバ出身の31歳、米大リーグのレンジャース゛を皮切りに5球団を渡り歩き、今月に入ると緊急補強で急遽ロッテ入りが決まった。
ビザが発給された翌日の26日には入団発表を済ませるとその足で楽天戦に先発出場の慌ただしさ。それでも見せ場は9回の守りだ。一死一三塁のピンチに銀次の右飛を捕ると本塁へストライク返球で三走の山崎剛を刺した。
これだけではない。翌日の同カードでも5回二死二塁の場面で和田恋の右前打をノーバウンド返球で本塁タッチアウト。しかも、この日は打っても左翼に決勝打となる来日1号アーチをかけてヒーローとなっている。ゲームの途中では茂木栄五郎のライナー性の飛球をはじく失策も記録したが、これは不慣れな千葉の風にも影響されておりご愛敬。指揮官の井口資仁も「ライトに一番肩の強い選手は必要。選球眼もいいし、慣れてくれば打つよ」と合格点を与えた。
メジャー通算で770試合に出場して58本塁打、126盗塁。今季もインディアンスで65試合に出場しているバリバリの大リーガーだ。本人のセールスポイントも俊足と強肩。「17歳の時にセンターから投げて98マイル(約158キロ)を記録した」と語り、17年にはメジャーのマウンドに立って95マイル(約153キロ)の快速球を投じている。「鉄砲肩」は折り紙付きである。
語り継がれるプレー
日本球界の強肩外野手と言えば、やはりイチローの名前が浮かぶ。そのレーザービームはメジャーでも知れ渡り、広い守備範囲は「エリア51」と尊敬の念を持って呼ばれた。現役ならソフトバンクの上林誠知。今ではあまりの強肩ぶりに多くの走者が進塁をあきらめるほどで、チームの強さを支えている。
日本人の強肩外野手がステップしながら反動を使って投げるのに対して、マーティンの場合はほぼノーステップで投げることが出来る。地肩の強さはメジャーの一線級とも引けを取らない。これから上位浮上を狙うロッテの秘密兵器にもなりそうだ。
鉄砲肩のマーティンに対して、アクロバティックな超美技でチームを救ったのは阪神の高山俊。こちらは27日の巨人戦、延長10回裏にスーパープレーが飛び出した。一打サヨナラのピンチで阪神ベンチは当然のごとく前進守備を指示する。そこで打者・炭谷銀仁朗の打球は右翼後方に。誰もがサヨナラを確信した次の瞬間、背走して上体をエビ反らした高山のグラブに白球は収まっていた。
100回同じ状況でプレーしても1回、捕れるかどうかの超ファインプレー。おそらく「ザ・キャッチ」として後年まで語り継がれる一世一代の美技である。さらに、この奇跡の守備の直後に阪神は勝ち越すのだから、その輝きは倍加する。
三年前の新人王も近年は打撃不振から先発メンバーを外れることが多い。今季も中堅は新人・近本光司の定位置となり、左翼で途中出場がやっとの状態が続いていた。その左翼でもなく最も不慣れな右翼の守備で、首脳陣の信頼まで手繰り寄せた。
外野手の超美技で語り継がれているのは元阪急(現オリックス)の山森雅文のプレーだろう。1981年9月に西宮球場(当時の阪急本拠地)で行われたロッテ戦。弘田澄男の放った左中間の大飛球に背走してラッキーゾーンになっていた約3メートルのフェンスをよじ登る。そこで立ち上がったところでキャッチ。
それから約30年後の2010年の広島球場での横浜戦で赤松真人が同じく村田修一の放った左中間の大飛球をフェンスに飛びついて本塁打をもぎ取っている。この二つの超美技は後に米テレビ局が「日本の野球史上、最も衝撃的なキャッチ」として紹介しているほどだ。
マーティンの異次元の鉄砲肩に、高山の極限に挑んだスーパーキャッチ。プロとはお金をもらってファンに異能なプレーを見せるものだ。まさにゼニのとれる選手たちの次なるドラマに要チェックである。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)