コラム

阪神・藤川球児の「火の玉伝説」は生きている

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阪神・藤川球児 (C)KYODO NEWS

白球つれづれ2019~第34回・39歳の守護神


 阪神がここへきて元気だ。先週1週間の戦いは5勝1敗で2位のDeNAと3.5ゲーム、3位の広島とは3ゲーム差。(26日現在、以下同じ)優勝はともかくクライマックスシリーズ進出には虎党でなくても「ひょっとして?」と思う位置につけている。

 この夏の陣の立役者は39歳のストッパー・藤川球児である。7月下旬に不調の守護神、R・ドリスに代わって中継ぎから昇格すると10戦で9セーブ。今月24日のヤクルト戦で最終回に登板するとあっさりと3人で料理、その投球内容も17球中、15球がストレートで2奪三振と、安定感は群を抜いている。今季9セーブ目は通算234セーブとなり、ソフトバンクのD・サファテと並ぶ現役最多記録でチームの5連勝に花を添えた。


あれは火の玉や!


 藤川の代名詞と言えば「火の玉ストレート」。全盛期の球速は156キロを計測したが、現時点では150キロに届かない。それでも今季の奪三振率は「13.40」と驚異の数字を残している。ちなみに同部門のリーグトップはセ・リーグが山口俊(巨人)の10.10で、パリーグは千賀滉大の11.54。もちろん長いイニングを投げる先発と、ほとんどが1イニング限定のストッパーとは条件が異なるとはいえ、藤川が未だに三振にこだわり、三振を奪える投手であることに変わりはない。

 「あれは火の玉や!」藤川の名を一躍とどろかせたのは、2006年のオールスターゲームのことだった。すでに球界のスーパースターの地位を築いていた清原和博と全球直球勝負。バットにかすりもしない快速球を目の当たりにして清原が驚いた。過去の球史を紐解いても藤川より速いボールを投げた投手はいくらもいる。現在の藤川のストレートは快速球とは言い難い。それでいて、なぜこれだけの数字を残せるのか?

 すべては、その球質にある。野球界では「ホップする」と表現される浮き上がるストレート。かつて、広島は藤川対策として「見た目よりボール1個分、上を振れ」とチームで指令を出したという逸話が残る。ボールに対して人差し指と中指を少し離して投げるのがストレートの一般的な投げ方だが、藤川の場合は二本の指を密着させる独特の握り。これで、よりボールに力を加える。

 さらに投球板からホーム方向に踏み出す足が一般的な投手より半足から1足分広いのも藤川の特徴、出来るだけ前でボールをリリースすることで「球持ちの良さ」が加われば打者にとっては数字以上の速さに幻惑される訳だ。


松坂世代のひとり


 1998年のドラフト1位。世で言う「松坂世代」の一員だが、入団当初は茨の道が待ち受けていた。虚弱体質でファームでも走り込むことからスタート。浮上のきっかけは、当時二軍コーチだった山口高志との出会い。上から投げ下ろしてボールを地面に叩きつける感覚を伝授されて軸足に体重を乗せることで球速は急激にアップ。この山口こそ、阪急時代に「火の玉ストレート」で速球王と呼ばれた伝説の男。藤川の火の玉伝説は不思議な縁で語り継がれていくことになる。

 40歳も目の前の今、ストレートだけで抑えられなくなっていることは承知している。スライダーやフォークを混ぜながらの投球だが、それでも奪三振へのこだわりは捨てていない。

 名球会入りの目安となる250セーブまで、あと16個。守護神復帰を公言した今季だが、開幕直後は中継ぎでも打ち込まれて、自らファーム行きの再調整を志願した。3年間のメジャー挑戦は故障と手術に明け暮れ、帰国後も1年間は四国アイランドリーグに在籍して後輩の指導にもあたった。回り道のように見える屈辱の日々を乗り越えて今の藤川がある。

 先発も中継ぎも経験して、そして抑えに戻ってきたオールラウンダー。こだわりの火の玉はまだまだ消えない。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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