第4回:再建を託された人格者
広島の新監督に佐々岡真司が就任した。投手出身の監督はチームにとって1967年の長谷川良平氏以来、実に53年ぶりのことだという。古葉竹織、山本浩二、野村謙二郎、そして前任者の緒方孝市氏といった攻撃型指揮官が続いた赤ヘル軍団を、元エースが昨年の屈辱からどう立て直していくのか? 注目してみたい。
V9巨人以来のリーグ3連覇を果たした緒方監督からのバトンタッチ。輝かしい栄光からわずか1年でチームはBクラスに転落した。要因はいくつもある。中でも衝撃的だったのは、緒方監督が某選手の怠慢プレーに腹を立てて殴打した事件と、主軸に成長していたX.バティスタ選手のドーピング問題。チーム内に波風が立ち崩壊していった。
球団側は一度は緒方を引き留めたが、辞任の意思は固く新たなスタッフで再出発を決断する。早い段階から後任の監督として有力視されていたのが佐々岡だ。
一部からは松田元オーナーのお気に入りという声も聞かれたが、緒方が野球に関しては人も寄せ付けない「求道者」タイプに対して、佐々岡は誰もが認める「人格者」タイプ、さらに昨季は自慢の投手陣にほころびも見え出している。チーム内の空気を入れ替えて、なおかつ投手陣の再建を託せる人材として佐々岡の出番は必然でもあった。
投手コーチから指揮官へ
グラウンド外の事件や問題は置くとして、昨年の転落には2つのウィークポイントが指摘されている。ひとつは丸佳浩選手のFAによる巨人移籍である。2年連続リーグMVPの流失はチームの屋台骨喪失を意味した。その穴を埋めるべく野間峻祥、松山竜平選手らを起用するが結果が出ない。
そして、もうひとつが自慢のリリーフ陣の崩壊だった。3年連続で胴上げ投手を務めた守護神の中崎翔太が前年の32セーブから9セーブに。「勝利の方程式」を形成していた一岡竜司や今村猛といったリリーフ陣も精彩を欠いて一・二軍を往復する始末。いずれもV3からの勤続疲労だった。
昨年までの投手コーチから指揮官へ。大役を引き受けるにあたり「自分でいいのか?」と戸惑いもあったというが、選手にもマスコミにも対話重視の姿勢は変わらない。実直な人柄がにじみ出る。
現役時代はカープ一筋。1年目から13勝をあげてエースの座をつかむと、91年には最多勝(17勝)、最優秀防御率(2.44)にリーグMVP、沢村賞、ベストナインと5冠に輝いている。これだけの実績をあげながらチーム事情に応えて抑え役にも転向。2006年には100勝100セーブの快記録を達成、当時は江夏豊氏に次ぐ史上2人目の快挙だった。佐々岡がFAの権利を手にした時には「大好きな球団だから」という理由で残留の道を選んでいる。その昔からチーム愛は人並み外れている。
もうひとつの顔
「選手の時はファンから好かれる選手でありたいと思っていた。みんなから好かれる、そんな監督になっていきたい」。昨年、監督就任時の記者会見で佐々岡はこう語っている。正直な感情だろうが、一方で監督とは嫌われることも厭わず、敵を欺いてでも勝利にこだわるタイプが多い。
先日亡くなった名将・野村克也氏は選手との個別会食は「個人的な感情が入る」という理由で拒絶していたほど。だから、佐々岡新監督を語る時に「お人好しで大丈夫?」という声があるのも事実である。
しかし、佐々岡をよく知る人物が別な顔を証言する。同時期のエースで現在カープのOB会副会長も務める大野豊氏だ。「確かに人柄が良すぎて、心配する向きもあるだろうが、ああ見えて以外に頑固で芯の強い一面もある。自分で決めたことは絶対に曲げない意志の強さの持ち主ですよ」。
投手を中心に守り勝つ野球が広島の伝統。昨オフには会沢翼、野村祐輔といった主力選手のFA移籍も危惧されたが、佐々岡直々の慰留で残留。さらにメジャー流失が確実視されていた菊池涼介選手まで帰ってきた。ドラフトでは新人王候補ナンバーワンと目される森下暢仁投手(明大)を獲得と戦力ダウンの心配はない。
投手出身の佐々岡だから攻撃面は高信二ヘッドらとコミュニケーションを取りながら采配を振るう。そして懸案の投手陣の再建が実現した時、再び強いカープが戻って来る。その時までは「お人好し」も封印だ。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)-この項終わり-