正直で素直な男が辿り着いた節目
駄目なものは駄目という。自分の子どもに対するしつけならできる。けれど、範囲を近所に広げると、どうだろう…。なかなか言いづらい。そんな世の中になった。
中日・平田良介が9日、本拠地・ナゴヤドームで行われた巨人戦で、プロ通算1000本目の安打を放った。
コロナ禍のある日、近所の公園で長男の琉輝也くんと、その友達にノックを打っていたプロ15年目のベテラン。そこで、その光景を冷かす子に遭遇し、「ダメだ」「やめな」と叱ることがあったという。
大阪市で育った平田。自宅の目の前の公園で友人と2人で遊んでいた。隣の隣に住んでいたという、その友人こそ、元DeNAの萬谷康平だった。
公園内で練習する少年野球チームに誘われて入団。地域に根ざしたチームでプレーをし、地域の子どもとして育ってきた経緯がある。
周囲にピュア。外国人の助っ人が、観客から人種をキーワードにしたヤジを飛ばされた時には、ネット越しに噛みついたこともあった。
仲間を大切にして思いやる。時に、正直で素直すぎる面が、悩みすぎるという行動につながっているのかもしれない。
戦友からは「おせーよ!」
1000安打までの道のりは険しかった。
なんせ打率1割台の低空飛行。右肘の違和感も加わって、二軍落ちも経験した。
リーチをかけたのは、9月1日の広島戦のこと。それから、気が付けば15打席も凡退…。未だ修正ポイントを探している真っただ中という。
結論は出ていなくとも、おぼろげに「上半身と下半身の連動がうまくいっていないんだと思います」と語る。
試合前は溝脇隼人や武田健吾らに混じって早出特打。汗を流して復調のヒントを模索した。
節目の記録達成も、同僚の大島洋平からは「おせーよ!」とツッコまれたのだとか。
年齢や経歴、ここまでの歩みは違えど、一軍定着はほぼ同時期。ひと足先に1500安打に到達していた大島から、らしい言葉で祝福を受けた。
求められるのは「結果」
3月に32歳となって迎えたシーズン。思えば、規定打席に到達したのは入団から9年目の2014年。ドラフト1位での入団だったが、戦力外通告を意識したこともあったという。
それでも、いつだって手探りでキャリアを積み重ねてきた。
バットの色は、トレードマークのオレンジ。素材は資源の枯渇により生産が終わっているアオダモを使う。
手元にも工場にも在庫はゼロ。真夏の工場で、メーカー職員が作業場をひっくり返すようにしてようやく探し当てた、最後の、最後の1本だ。
今後は、2018年に見せた打率.329の活躍、あの輝きを取り戻してライトのポジションを奪回してみせるのか、はたまた“日替わりスタメン”に甘んじるのか…。
バットは「普通に打てば折れないと思っています」。在庫ゼロにストレスを感じていても仕方がない。修正し、模索し、成長したいのはフォーム。どう打つか、それだけだという。
ぶっきらぼうに見られても、常にチームメイトを気にかけ、周囲を気にしている背番号6。見てみぬふりはできない性分だ。
ここから存在感を増していくために、必要なのは結果のみ。平田の未来は、平田にしか変えられない。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)