コラム 2020.10.06. 07:09

「戦力外」からの大逆転!プロ野球・“リストラの星”列伝

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入ってくる選手がいれば、去る選手もいる


 プロ野球も10月戦線に突入。レギュラーシーズンも残すところ30試合程度となった。

 10月といえば、例年では“寂しい話題”も聞こえてくる頃ではあるが、今季は新型コロナウイルス問題の影響による日程の変更もあり、「戦力外通告」に関する話題はまだ出ていない。


 いよいよドラフト会議まで1カ月を切ったが、入ってくる選手がいれば、当然ながら去る選手もいる。しかし、「戦力外通告」で全てが終わるわけではない。現役続行の道を諦めずに探し、表舞台へと返り咲いた選手もたくさんいる。

 今季で言えば、巨人の田中豊樹がその一人だ。昨オフに日本ハムを自由契約となったが、トライアウトを経て巨人との育成契約を掴むと、3ケタの背番号から這い上がり、8月19日の阪神戦で嬉しいプロ初勝利を挙げた。

 いきなりエース級の番号である「19」を授かったことでも話題になった“リストラの星”。田中のようにどん底から這い上がって輝きを放った選手は、過去にもいる。


“最大の成功者”は近藤貞雄


 中日・大洋・日本ハムの3球団で監督を歴任し、中日時代の1982年にはリーグ優勝を果たしている近藤貞雄もその一人だ。


 1943年に西鉄軍で1年プレーしたあと、チームの解散に伴い、巨人へと移籍。1946年、チーム64勝のうち最多の23勝を稼ぎ、若きエースとなった。

 ところが、同年のオフ、オープン戦で松山に遠征した夜のこと。酔っ払い運転の進駐軍のジープが突っ込んできたところを間一髪かわした際に側溝に転落。ガラス片で右手中指を切るアクシデントに見舞われてしまう。

 戦後の混乱期で迅速な治療を受けられなかったことから、傷口からばい菌が入り、手術後も中指は第二関節から曲がったままだった。


 翌年は0勝2敗に終わり、巨人を自由契約に。だが、捨てる神あれば拾う神あり。中日の天知俊一総監督に入団を誘われた巨人の同僚・宮下信明が、「私の契約金は要らないから、近藤を獲ってください」と訴え、友情の中日移籍が決まる。

 近藤はその恩に何とか報いようと、中指を使わずにボールを投げられる新球習得に励み、“魔球”チェンジアップが誕生。これを武器に移籍1年目から2年連続7勝を挙げ、1950年には10勝4敗。奇跡の復活劇は、「人生選手」のタイトルで映画にもなった。


 戦力外になった選手が、移籍先で再生…。ここまでならよくある話だが、近藤は中日コーチ時代に「投手の肩は消耗品」という持論から、現在では常識となった投手分業制を日本で初めて取り入れている。

 それから監督としてもチームを優勝に導くなど、まさに“リストラの星”の中の最大の成功者と言えるだろう。


戦力外からベストナインを獲得した宮地克彦


 「リストラの星」といえば、宮地克彦を思い出すファンも多いはずだ。

 尽誠学園エース時代の1989年に夏の甲子園で4強入り。その活躍が目に留まり、ドラフト4位で西武に入団するも、4年目には外野手に転向。そこから2002年には自己最多の100試合に出場したが、翌2003年は膝の故障で出場機会が減少。若返りを図るチーム構想からも外れ、戦力外通告を受けてしまう。


 しかし、宮地はその時に初めて「野球がやりたいって、心から思えるようになった」という。

 横浜、近鉄、ロッテのテストは不合格。12球団合同トライアウトでも獲得に動く球団はなく、台湾でプレーを続けようと考えていた矢先、ダイエーから声がかかった。村松有人のFA移籍や、日本シリーズ終了後に大越基を自由契約にしたことから、外野手が必要になったのだ。

 崖っぷちで一発大逆転のチャンスを掴んだ宮地は、「そうなったら、どんどん欲が出てきた」と前向きな気持ちで挑み、2004年はシーズン途中からライトのレギュラーを獲得。2005年にはプロ16年目で初めての規定打席もクリアし、打率.311で3本塁打、36打点の大活躍。初のオールスター出場も果たし、ベストナインにも選ばれた。

 規定打席に到達した同年9月14日の日本ハム戦。宮地は「物事あきらめたら終わりだと思う」と、“リストラの星”を象徴するようなコメントを残している。


2度の戦力外から復活した“不屈の男”


 2度にわたる戦力外を乗り越え、41歳まで現役を続けたのが、阪急のドラ1右腕・高木晃次だ。

 オリックス時代の1990年、150キロ近い速球を武器にリリーフエースとして6勝・2セーブを挙げたが、その後は不調が長く続き、ダイエー移籍後の1997年オフに戦力外通告を受けた。


 「何としても野球を続けたい」と、阪神のテストを受けるも不合格。それでもあきらめず、伝手がなかったのに自ら志願してヤクルトのテストを受け、見事に合格を勝ち取る。

 移籍1年目が0勝3敗で終わると、「やるからには悔いがないように」と、上手投げと横手投げの二刀流にも挑戦。低めを丁寧に突いて打たせて取る投球にモデルチェンジすると、翌1999年4月21日の中日戦では実に8年ぶりとなる白星を挙げ、5月12日の阪神戦では「一生絶対にできないと思っていた」というプロ初完封を実現するなど、同年は21試合に先発して9勝を挙げた。


 2001年オフに2度目の戦力外通告を受けるが、テスト入団のロッテでリリーフとしてまたも復活。2007〜2008年には2年連続で40試合以上に登板するなど、見事な活躍を見せる。

 「どんなに悪いときでも、いつか実のなるときが来る。“自分自身を信じて努力する”ことが一番大切」という、男の信念が結実した。


戦力外通告から「1億円プレーヤー」に


 中日時代、落合博満監督から和製大砲候補に指名された田上秀則も、戦力外から“ドリーム”を掴んだ。


 中日では結果を出せず、2005年オフに戦力外通告を受けるも、城島健司のメジャー移籍で捕手陣が手薄になったソフトバンクのテストを受けて合格。実はリストにいた2人の捕手のうち、「年齢が若い」という理由で採用されたのだが、ライバルとは同学年だったのに3月生まれだったことが幸運をもたらす。

 移籍後、一軍初昇格を果たすと、そのチャンスでいきなりプロ初本塁打をマーク。一躍正捕手候補に名乗りを上げると、2009年には26本塁打・80打点をマーク。ベストナインに選ばれた。


 他にも、投手ながら50メートル5秒台の俊足で知られる福山博之も、野手転向を拒否してDeNAを戦力外になったが、2年後の2014年に楽天でブレイク。

 中継ぎエースとして初のオールスター出場を果たし、リストラを経て夢の1億円プレーヤーになっている。

 何事も諦めずに努力し続ける人間を天は見放さない。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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