コラム 2020.11.19. 12:18

「野村南海」から47年、「行って参ります」から32年…ホークスがナニワの日本シリーズに戻ってくる

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夢にまで見た大阪・御堂筋の優勝パレードで、ファンの歓呼に応える(先頭車左から)杉浦忠投手、中沢不二雄パ・リーグ会長、野村克也捕手ら南海ナイン=1959(昭和34)年10月31日

かつての本拠で宿敵との日本シリーズへ


 ソフトバンク・ホークスがクライマックスシリーズを無敗で制し、4年連続で日本シリーズに進出。セ・リーグはすでに巨人のシリーズ進出が決まっているため、今年のシリーズは2年連続で同カードとなった。しかし、今年はコロナ禍でプロ野球のスケジュールがズレ込んだため、巨人は本拠地である東京ドームを使用できず、最大4試合が予定されているホームゲームを京セラドーム大阪で行うことになっている。

 今年は大阪が本拠となる巨人だが、大阪と言えば、元々はホークスの前身である「南海」のフランチャイズだった。

 親会社・南海電鉄のターミナルがある大阪の中心地・難波に開場(1950年)し、「昭和の大阪城」と呼ばれた大阪球場を本拠とした南海ホークスは、1951年からパ・リーグ3連覇を果たすなど、1950年代に優勝5回、60年代にも3連覇を含む4度のリーグ優勝を飾り、名将・鶴岡一人の下で“黄金時代”を現出。南海ホークスは、まさに戦後復興から高度成長を駆け上がる大阪の象徴だった。

 1950〜60年代に9度も日本シリーズに出場したホークスだったが、同シリーズを制したのは1959年と1964年の2回のみ。あとの7回は、すべて東の覇者・巨人の前に苦杯をなめている。同時期の20年間で、巨人は実に11回のセ・リーグ制覇を成し遂げていた。


スーパーエース杉浦“血染めの4連投”で悲願成就


 日本シリーズが始まったのは、セ・パ両リーグが分立した1950年。この年は、両リーグともダークホース的存在だった松竹ロビンス(セ)と毎日オリオンズ(パ)が優勝している。巨人は首位と17.5ゲーム差の3位、南海は同じく15ゲーム差の2位だった。この翌年の1951年、両雄が初めてシリーズで相まみえたが、このシリーズを巨人が4勝1敗で制すると、3年連続で同じカードとなり、巨人が3連覇を達成する。

 両チームは1954年のペナントを逃した後、翌55年に再び対戦し、南海が王手をかけて3勝1敗としたが、その後の3連敗でシリーズ無敗を誇る「球界の盟主」の壁に跳ね返された。巨人は、この1955年からセ・リーグを5連覇し、毎年のように日本シリーズに駒を進めたが、1956年のシリーズで西鉄ライオンズに敗戦。ここでシリーズにおける「無敗神話」が崩れると、新たに勃興してきた「西の雄」の前にシリーズ3連敗を喫した。

 この西鉄3連覇の間、南海はすべてリーグ2位に終わり、ホークスは「打倒巨人」の前に越えるべき壁を抱えることに。そんな最中の1958年、立教大学から入団してきたのが杉浦忠だった。ルーキーイヤーにいきなり27勝を挙げた杉浦が加わったことにより、南海と西鉄の差は一挙に縮まり、1959年には38勝4敗、防御率1.40という絶対的なスーパーエース・杉浦を擁して南海は日本シリーズに帰ってくる。相手は無論、宿敵・巨人だった。

 大阪球場で迎えた第1戦と第2戦、杉浦は第1戦に先発、第2戦にもリリーフ登板し、2勝を挙げた。ここで監督の鶴岡は、一気に勝負に出る。舞台を敵地・後楽園球場に移した第3戦、雨天中止を挟んで迎えた第4戦にも杉浦を先発登板させ、ともに完投勝利を収める。その第4戦では、指のマメをつぶしながらの「血染めの4連投」を完封で飾り、杉浦擁する南海はついに悲願の「打倒巨人」を成し遂げた。

 日本一決定の2日後、南海ナインは大阪球場のある難波から大阪のもうひとつの繁華街である梅田までの御堂筋をパレード。沿道には約20万人が押し寄せたという。

 しかし、南海が巨人を倒して日本一に輝いたのは、この1回きりだった。2年後の1961年は、巨人に再び覇権を奪われ、前年の日本一チームとして臨んだ1965年、その翌年のシリーズも巨人の前に屈する結果に終わった。長嶋茂雄、王貞治が円熟期に入ったライバルは空前絶後のV9時代に突入し、南海の属するパ・リーグは鷹と獅子による覇権争いから“勇者”阪急ブレーブスの時代に移行していく。


あれから32年の時を経て


 南海ホークス最後の日本シリーズは、野村克也兼任監督時代の1973年。パ・リーグが前後期制を採用していたため、年間勝率3位ながらスタートダッシュで前期を制し、後期シーズン全く歯が立たなかった阪急をプレーオフで下してのシリーズ進出だったが、圧倒的な戦力差に1勝4敗で敗れ去り、巨人がシリーズ9連覇を成し遂げた。

 大阪での最後の対決は73年の第2戦で、延長の末に2対3で敗れた。結局、そのシリーズでナニワの街に再び巨人を連れてくることはできなかった。そして、昭和の黄昏とともに、名門・南海ホークスも姿を消すことになる。

 その後、平成に入り、ホークスは福岡の地で生まれ変わった。ダイエー時代の16年間でリーグ優勝3回、日本一2回。その指揮は宿敵の主砲だった王貞治が執った。しかし、27年ぶりに両者が対峙した2000年のシリーズでも、長嶋巨人の壁に跳ね返された。

 ソフトバンクとなった2005年以降は、16年間でリーグ優勝実に6回。日本シリーズには7回も駒を進め、2017年以降は3年連続日本一に輝いている。昨年のシリーズでは、宿敵・巨人に4タテを食らわせ、杉浦の4連投以来となる巨人を下してのシリーズ制覇を果たした。充実した戦力と選手層の厚さは、巨人の打ち立てたV9の金字塔をうかがうのではないかと思わせる。

 そのホークスが、ナニワに巨人を連れて帰ってくる。正確には巨人のホームゲームでホークスはビジターという扱いだが、昔ながらの大阪の野球ファンにとっては、47年ぶりのリベンジの場だ。

「行って参ります」。

 1988年、大阪球場での南海ホークス最後の試合後のセレモニーで、当時チームの指揮をとっていた杉浦はスタンドを埋めたファンにこう言った。その言葉には「いつか戻ってくる」というスーパーエースの願いが込められていたはずだ。かたちは違えども、日本シリーズという大舞台に巨人を連れてナニワの街に戻ってくるホークスを、天国の杉浦はどんな思いで見るのだろうか──。


文=阿佐智(あさ・さとし)

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