実に25年ぶりの“珍記録”
いつもより3カ月遅れてはじまったプロ野球の2020年シーズンも、日本シリーズの戦いをもって全日程が終了。あっという間に12月を迎えた。
今季も様々な珍記録が生まれた野球界。なかでも今回取り上げたいのが、ヤクルトが9月20日の広島戦で達成した「連続本塁打」にまつわるエピソードだ。
0-0で迎えた1回裏、ハタチのトップバッター・濱田太貴がいきなり左中間に叩き込む初回先頭打者本塁打を記録すると、2番の青木宣親もレフトに連続アーチ。さらに、3番の山田哲人もつづき、これが7年連続2ケタ本塁打となる10号ソロ。プレイボールからの3者連続本塁打を達成した。
「初回先頭打者からの3者連発」は、1995年の10月1日に中日の立浪和義・種田仁・松井達徳が記録して以来、実に25年ぶり5度目の珍記録だったという。
いきなり3連発という痛すぎる立ち上がりとなったのは、広島先発の中村祐太。実はこの日が504日ぶりの一軍先発で、緊張からか力みが見られ、制球が甘くなったところを痛打された。
それ以降は左足の異変で途中降板する5回二死まで無失点と抑えていただけに、立ち上がりだけが悔やまれる結果に。チームも9回に5点を返したが及ばず、6-8の敗戦。結果的に、最初の3連発が勝敗を分けるという結末となった。
強烈な先制パンチも“逆転負け”を喫した阪急
だが、史上5例しかないインパクト絶大の先制パンチも、必ずしも勝利につながるわけではない。プロ野球史上初めてこの記録をつくった阪急は、そこから逆転負けを喫している。
1964年7月17日。悲願の球団初Vを目指す首位・阪急は、1.5ゲーム差で追う2位・南海と対決した。
初回、先頭の衆樹資宏が杉浦忠の初球、内角直球を左越えに先制ソロ。2番・河野旭輝もカウント1ボール・2ストライクから低めカーブを左翼席に運ぶ。さらに、ダリル・スペンサーも2ボールから真ん中高め直球をバックスクリーン左に叩き込み、史上初の「初回先頭からの3者連続弾」で3-0とリードを奪った。
だが、南海も3回に堀込基明が右越え、4回に小池兼司が左越えにアーチをかけ、たちまち1点差。再び2点差をつけられた6回にも、樋口正蔵の2点タイムリーが飛び出し、これで4-4の同点に。
迎えた7回、一死一塁。4番・野村克也が石井茂の内角シュートを左中間に決勝2ラン。初回の3者連続弾を3本塁打でひっくり返された形の阪急は、これでツキが落ちたのか、以後、南海に4勝12敗と大負け。優勝も逃す結果となった。
史上2度目の“快挙”は大洋が達成
翌1965年、今度は大洋が8月13日の阪神戦で史上2度目の記録を達成した。
1回表に1点を先行された大洋はその裏、先頭の近藤和彦が石川緑の2球目を右中間に同点ソロ。2番・桑田武も初球を左中間席に運び、たった3球で逆転した。
そして、「前の2人がやったので、何でも引っ張ってやろうと少し色気を出した」という3番・黒木基康も、2球目を左越えに3者連続本塁打。たった5球で3発を被弾した石川はそのまま降板し、試合は大洋が5-2で快勝。阪神・藤本定義監督は「最初の5球でやられたよ。それが最後まで響いたよ」と天を仰いだ。
実は、阪神は1950年9月28日の同一カードでも、たった5球で史上初の4者連続本塁打を献上しており、まさに「歴史は繰り返す」である。
史上3度目は広島が秋田の球場で達成
史上3度目は、1989年6月4日。秋田で行われた広島-大洋戦のこと。当時の秋田市営八橋球場は、両翼90メートルに中堅112メートルと狭く、本塁打が出やすかった。
広島は1回裏、1番の高橋慶彦が木田勇から左越え先制ソロを放ったあと、正田耕三とウェイド・ロードンの2・3番も左翼席にアーチをかけ、24年ぶりの記録達成。木田は4番・小早川毅彦に四球を与えたところで、一死も取れずに降板した。
実は、木田は1986年6月10日のヤクルト戦でも、1回一死一塁から若松勉とレオン・リー、マーク・ブロハード、さらには広沢克己にも立て続けにアーチを描かれ、プロ野球ワーストタイの4者連続本塁打を献上。1988年9月6日の広島戦では、これまたプロ野球ワーストタイの5連続与四球も記録している。
日本ハムルーキー時代の1980年には最多勝に新人王、MVP、最優秀防御率、最高勝率の各タイトルを総なめにした木田だが、現役晩年は被本塁打と与四球で“ワースト三冠”と、皮肉なめぐり合わせに泣いた。
史上最多の連続本塁打は…?
それでは最後に、プロ野球史上最多の連続本塁打とは何本か…?
答えは、1971年5月3日に東映がロッテ戦で記録した5本である。
8回まで1-6と劣勢の東映だったが、9回に驚異の粘り。大杉勝男の本塁打などで6-6の同点とし、延長10回にも二死満塁のチャンスをつくる。
ここで9番の投手・皆川康夫に打順が回ってきたが、「投手よりはまし」という理由で、この日まで9打数無安打と当たっていないベンチ入り最後の野手・作道烝が代打に起用された。
作道は見事に期待に応え、カウント1ボール・1ストライクから佐藤元彦の3球目を左越えに値千金の決勝満塁弾。だが、これはほんの序曲に過ぎなかった。
そこから大下剛史、大橋穣の1・2番も左翼席に連続アーチをかけ、3番・張本勲も代わった佐藤政夫から逆方向の左に4者連続本塁打。そして、「もう狙うしかない」と開き直った4番・大杉が、左越えにプロ野球新の5者連続弾を叩き込んだのだ。
実は、東映は9回に1点を返したあと、二死一・二塁で末永吉幸が遊ゴロに倒れ、一度はアウト(ゲームセット)を宣告されていた。
ところが、二塁ベース上でトスを受けた山崎裕之がこれを落球。東映側が抗議したところ、死角で落球を確認できなかった前川芳男二塁塁審は、協議の末に判定をセーフと訂正した。
この判定変更が結果的に9回のミラクル同点劇と10回の5者連続本塁打を呼び込んだとあって、後年、前川氏は「東映は喜んだけど、ロッテ側からは“あんた、どうして判定通してくんなかった”とボロクソ言われましたよ」と回想している。
アウト→落球→判定変更→同点→5者連続本塁打…。二転三転どころか“四転五転”のめまぐるしい展開の末、東映は連敗を「9」で止め、球団ワーストの10連敗を免れた。まさに野球は筋書きのないドラマである。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)