第1号は約80年前に…
まるでマンガの主人公のような「1番・投手」──。
高校野球ではたまに見ることができ、甲子園では1989年春の仙台育英・大越基をはじめ、1998年は敦賀気比の東出輝裕が春夏と出場。最近では2008年の春に明豊・今宮健太が「1番・投手」を体験した。
プロ野球でも、「1番・投手」はこれまでに3例ある。
第1号は、戦前の1937年から戦後間もない48年まで阪急の外野手として活躍した山田伝。米国・カリフォルニア州出身の日系2世で、身長163センチ・体重56キロと小柄ながら通算767安打を記録。1939年と1943年には盗塁王を獲得するなど、走攻守3拍子揃ったプロ野球草創期のスターだった。
山田の売りは、“サーカス級”とも言うべきスーパー守備。どんな打球でもあっという間に追いつき、必ずヘソの前に両手を合わせて捕球したことから、「ヘソ伝」の異名をとった。
これは決して“ウケ”を狙ってのパフォーマンスではない。外野フライは捕球の直前に急に変化するものもあるので、グラブからポロリとこぼれないよう、お腹の中心でガッチリ捕球しようと心掛けていたのだ。センターオーバーの長打性のライナーを背走また背走の末、クルリと前を向いてヘソで捕球するシーンはファンをしびれさせた。
このプレーがあまりにも有名になったため見過ごされがちだが、山田は「左投右打」の特性を生かし、投手としても通算8試合に登板。3勝3敗、防御率3.91の成績を残している。1940年4月6日の南海戦は2失点完投の32-2という大勝だったが、山田は7打数3安打2打点と投打に活躍。32得点は現在も破られていないプロ野球記録である。
この試合では9番を打った山田だが、1944年8月14日の産業戦では「1番・投手」で先発出場。打っては5打数3安打2打点、投げても4安打完封勝利と、異能選手の持ち味をフルに発揮した。
三原マジックが生んだ“二刀流”
第2号は、ヤクルト時代の外山義明である。
天理高では門田博光とともに主軸を打ち、プロ入り後も恵まれたリストから本職の打者顔負けの鋭い打球を連発。これに目をつけたのが、近鉄時代の1968年に永淵洋三をリリーフと外野の二刀流で起用した“魔術師”こと三原脩監督だった。
「打者にしたら長嶋クラス」と期待をかけ、娘婿の中西太ヘッドコーチに命じて春季キャンプから二刀流の練習をさせた。
さらに外山は100メートル・12秒1という俊足の持ち主でもあり、出塁すれば抜き足差し足で投手の隙を窺うなど、走塁センスも抜群。1番打者としても通用しそうだった。
そんな矢先、1番を打っていた若松勉が不振に陥ったことから、1971年8月22日の大洋戦で、山田以来27年ぶりの「1番・投手」が実現する。ちなみに、この試合では2番にも簾内政雄が偵察要員で起用されたので、「1・2番ともに投手」という球史に残る珍事となった。
しかし、この“三原魔術”、結果的には空振りに終わっている。
1回表、外山は先頭の重松省三に安打を許すと、二死二塁から松原誠に二塁打を浴び、早くも1点を失う。その裏、先頭打者として打席に入った外山は、平松政次の前に一ゴロ。
2回のマウンドも、一死満塁から重松に二塁打を浴びるなど4点を失い、あえなくKO。打者として1打数無安打、投手としても1回1/3を被安打4、与四球4の自責点5と虻蜂取らずの結果になった。
なお、「1番・投手」の奇策は失敗したものの、外山はこの年、投手として33試合に登板して5勝11敗、防御率3.25。打者としても5月18日の巨人戦で9回に代打決勝2ランを放つなど、3本塁打・11打点と、最下位に沈んだチームの中にあって、二刀流でアピール。南海移籍後は、打力を生かして外野手に転向した。
45年ぶりの「1番・投手」
そして、この外山以来、45年ぶり史上3人目の「1番・投手」で登場したのが、日本ハム時代の大谷翔平だ。
2016年7月3日のソフトバンク戦。先発・大谷は、右ふくらはぎを痛めた陽岱綱の代役としてDH解除で1番に入った。「一番いい打者にたくさん打席が回るように」という栗山英樹監督の狙いもあった。
2013年5月6日の西武戦では「1番・右翼」を経験しているが、高校時代も含めて初めての「1番・投手」に、本人も「ビックリしました」と目を丸くした。
試合前のスタメン発表で「1番ピッチャー・大谷」とアナウンスされると、スタンドのファンからは大きなどよめきが起きた。
“仕掛け人”の栗山監督も「完全敵地のアウェーの中でも、やっぱりプロ野球のロマンと言うか、ファンの人たちが度肝を抜かれると言うか、そういう空気感になった」と、してやったりの表情。
常識破りの大胆起用に、大谷も常識を超えた歴史的な一発で応える。初回、中田賢一が投じた初球・124キロスライダーを鋭くとらえると、打球は右中間席に突き刺さる先制ソロとなった。
「真っすぐを思い切り打とうと思ったんですけど、変化球が抜けてきてたまたま当たったという感じ。なるべく立ち上がりに疲れないように、ゆっくり(ダイヤモンドを)回りました」と大谷。
「1番・投手」の初回先頭打者本塁打はもちろんプロ野球史上初。1番の打順で本塁打を打った投手も大谷が第1号であり、メジャーリーグでも記録が判明している限り見当たらないため、世界初の快挙ということになる。
この先制パンチに気を良くした大谷は、投げても8回を5安打・10奪三振で無失点の好投。前出の山田以来、72年ぶりに「1番・投手」としての勝利を記録している。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)