新監督の共通点?
いよいよ、2021年の“球春到来”が目前に迫ってきた。2月1日からはプロ野球12球団が一斉にキャンプイン。まずひとつ注目を集めるポイントと言えば、新監督たちの動向だ。
今季新たに一軍チームの監督を務めるのが、DeNAの三浦大輔監督と、昨季途中から監督代行としてオリックスを率い、代行が外れて正式な監督となった中嶋聡監督の2人。ともに全国的には無名の公立校からドラフト指名を受け、三浦監督は42歳まで25年間、中嶋監督は46歳まで29年間(いずれもコーチ兼任期間を含む)も現役を続けた息の長い選手という点でも共通している。
この2人の共通点はまだある。三浦監督は、「横浜大洋ホエールズ」入団1年目の1992年にリリーフとして1試合に登板。中嶋監督も「阪急ブレーブス」のラストイヤーである1988年に2番手捕手として74試合に出場するなど、“前身球団”の最後の選手となっているのだ。
そんな2人が同じ年に揃って新監督になったというのも不思議な縁。また、横浜大洋時代・阪急時代から応援を続けているファンにとっては、大変喜ばしいことだろう。
そこで今回は、三浦監督や中嶋監督のように、その球団の前身チームを知る“最後の男”となった選手を調査してみた。
「横浜ベイスターズ」を知る現役選手は11人
まずは横浜大洋の後身・「横浜ベイスターズ」から。現在もDeNAに在籍しているのは、意外にも国吉佑樹と育成契約の田中健二朗の2人だけとなっている。
なお、チームを去った出身選手と言うと、筒香嘉智(レイズ)と山口俊(ブルージェイズ)のメジャー移籍組をはじめ、今季から巨人に移籍した梶谷隆幸、ヤクルトに加入した内川聖一のほか、桑原謙太朗(阪神)や藤田一也、福山博之(ともに楽天)といった7人が現役。これに昨季限りでDeNAを自由契約となり、現役続行を目指している石川雄洋と、社会人球界で奮闘する須田幸太(JFE東日本)を加えても、計11人と少ない。
球団名がDeNAに変わってからの9年間でこれだけ顔ぶれが変わってしまうのだから、月日の流れるのは早いものだと痛感させられる。また、横浜を本拠地とする前の「大洋ホエールズ」最後の選手は、斉藤明夫(1993年引退)である。
最後の“近鉄戦士”レースに動き
お次は、球団合併という形ながら、2004年限りでチームが消滅した「近鉄バファローズ」。最後のエースだった岩隈久志が昨季限りで引退したため、近鉄出身選手で現役を続けているのは坂口智隆(ヤクルト)と、ヤクルトを戦力外となり、四国IL・香川にコーチ兼任で入団した近藤一樹の2人だけになった。
これに対し、近鉄と合併する前のチーム「オリックス・ブルーウェーブ」の出身者は、すでに現役が1人もいない。2019年に引退したイチローが最後の選手になる。また、阪急から球団買収後、2年間続いた「オリックス・ブレーブス」で最後の選手は、小川博文(2004年引退)である。
ソフトバンクの前身「ダイエーホークス」も、現役組は和田毅と明石健志の2人だけ。また、ダイエーの前身「南海ホークス」最後の選手は、南海では一軍未出場ながら大道典良(2010年引退)、一軍経験者では吉田豊彦(2007年引退)が該当する。
千葉移転を機にマリーンズになったロッテの旧名「オリオンズ」最後の選手は堀幸一(2010年引退)。その前身である「東京オリオンズ」最後の選手は村田兆治(1990年引退)だ。
1974年からチーム名がスワローズに変わったヤクルトの「アトムズ」時代の最後の選手は、杉浦亨と八重樫幸雄(ともに1993年引退)。八重樫はヤクルトアトムズになった初年度(1970年)の入団選手でもある。
「太平洋」最後の男はあの猛虎戦士
西武の前身で、昭和30年代に黄金時代を築いた「西鉄ライオンズ」で最後の選手は、若菜嘉晴(1991年引退)。また、西鉄の後身である「太平洋クラブライオンズ」で最後の選手は、1985年の阪神日本一の立役者でもある真弓明信(1995年引退)である。
くしくも2人は柳川商(現・柳川高)で同期のチームメートだったが、真弓は社会人の電電九州で1年間プレーし、球団名が西鉄から太平洋に変わった1973年に入団したことから、両球団の“最後の男”の栄誉をそれぞれ分け合う形になった。
ちなみに、真弓は1977~1978年の2シーズンだけ存在した「クラウンライターライオンズ」でも最後の選手とされている。これは、引き続き太平洋クラブが資金援助を行い、ユニフォームの右袖に同社のロゴマークが付いていたことが理由。クラウンの2年間に限定すれば、これまた柳川商出身の立花義家(1993年引退)が最後の選手となり、偶然の一致とはいえ、興味深い。
最後に、日本ハムの前身「東映フライヤーズ」最後の選手は、岡持和彦(1988年引退)だ。東映~日拓ホーム~日本ハムの3球団すべてに在籍し、日本ハム時代の1981年にプロ12年目で初めてV戦士になった。
1973年に東映を買収した「日拓ホームフライヤーズ」は、わずか10カ月で球団を手放しているので、ドラフト指名の出身者はゼロ。東映買収の際に、系列の社会人チーム・日拓観光が解散したのに伴い、ドラフト外で入団させた4選手が“日拓出身”ということになる。
このうち、外野手の大室勝美は日本ハム時代の1976年までプレー。2年目から広島に移籍した投手の衛藤雅登(一軍未出場で1976年引退)とともに、事実上の日拓最後の選手と言えるだろう。
以上、それぞれの球団、チームの最後の選手を紹介してきた。こうして、歴史の中に消え去った球団を支えてくれた選手に思いを馳せるのも、プロ野球のひとつの楽しみ方ではないだろうか。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)