第3回:大エースの特別な思い
それは衝撃的な出来事だった。
2月13日の深夜、またも東北地方を中心に激震が襲った。福島沖を震源とする最大震度6強、マグニチュードは「7.1」に達し、激しい揺れは全国各地に及んだ。
10年前に東日本大震災が発生したのは3月11日。今回の地震もその余震だと言われている。幸い死者こそ出なかったが、福島や宮城では家屋の損壊など甚大な被害が出た。
「何度、こんな目に遭わなければならないのか」という地元の人たちの悲痛な叫びが、改めて10年の歳月を思い起こさせた。
これを受けて、田中将大投手のリアクションも速かった。翌14日の朝にはキャンプ地の沖縄で自身のツイッターを更新。「被害が出ていますし余震があるかもしれないので対策含めてまだまだ警戒をしないといけない状況が続きますね」と、東北の人々に寄り添う心情を綴っている。
田中の東北に寄せる思いは特別なものがある。
あの大震災の時、チームはオープン戦の最中にあった。あまりの被害の甚大さに本拠地・仙台に戻ることも叶わず、チームも動揺した。ようやく仙台にたどり着いた4月には避難所を訪問。12年には「プロ野球88年会」の支援活動として福島市を訪れ、野球教室や炊き出しを行っている。
11年に沢村賞を受賞すると、賞金300万円を宮城県の漁協に寄付。ヤンキース移籍後も帰国時には慰問を続けてきた。今回の国内復帰でも決断に至った一つの要因として「あれから10年」を挙げている。
伝説の続きが始まる期待感
震災から2年後、楽天は初のリーグ優勝を成し遂げて日本一にまで駆け上がった。田中伝説ともなる24勝無敗(1セーブ)。まさに“神の子”の出現だった。投球回数は212回を数え、自責点はわずかに「30」、防御率1.27もまた神がかった数字である。
そんな強烈なインパクトを残して渡米。メジャーでも名門ヤンキースの主戦投手として78勝の白星を積み上げた男の突如の国内復帰なのだから、選手間にも衝撃が走った。
球界を代表する強打者であるソフトバンクの柳田悠岐選手は、対戦する楽しみを報道陣に問われると「楽しみじゃないですよ。当たりたくない」と語れば、昨年の打点王・中田翔選手(日本ハム)は、9億円の年俸に目を丸くして「2億くらい譲ってくれんかな?」とジョークを飛ばした。
確かに田中ほどのエースを敵に回せば、打率や本塁打を記録する確率は低くなる。さらには優勝までさらわれれば自身のサラリーにも響いてくる。そんな意味からも今季のパ・リーグが田中を中心に回っていくのは間違いない。
25歳で海を渡り、32歳で楽天に戻ってきた。24連勝時の田中はコントロールもいいパワー型のエースだったが、メジャーの強打者を相手にカットボールやスプリットを駆使する技巧も身につけてきた。今キャンプでは、若手投手らに自身で気づいた部分についてアドバイスを送る場面も散見。ブルペンでは米国流で高めの変化球に磨きをかけるなど、一味違う存在感が際立っている。
いよいよ20日、日本ハムとの練習試合に先発することが決まった。当日はドラフト1位ルーキー、早川隆久投手も登板予定で話題独占は確実だ。
日頃から「あの震災の思いを風化させてはいけない」と語るマー君の国内復帰は、新たなステージを迎える。
日米のストライクゾーンや、マウンドの固さの違い、対戦したことのない打者の研究など、久々の国内復帰に準備しなければいけない問題はある。しかし、これまでの田中の歩みを見れば、必ず克服して答えを出してくるだろう。東北に勇気と希望と喜びを。壮大な思いの答えは秋に出る。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)