「なぜ、また横田に…」
彼を知る人の誰もが、「神様」を恨んだはずだ。
先月26日、元阪神タイガース・横田慎太郎氏の口から発せられた言葉は、どれも衝撃的だった。
「(医者に)脊髄に腫瘍ができています、と言われて」
自身がレギュラー出演してきたYouTubeチャンネルで、昨夏から約半年に渡る闘病生活を送っていたことを告白した。
「え…まさかって。もう二度と病気もしないと思ってやってきたので」
2017年に脳腫瘍を患い、過酷な闘病、辛いリハビリの日々を過ごしてきた。
病には打ち勝ったが、後遺症となった視力の低下に苦しみ、2019年に現役引退を決断。
ラストゲームで見せた“奇跡のバックホーム”に至るまでの長く激烈な経緯をファンのみならず、多くの人が知るだけに「なぜ、また横田に…」のやるせない思いだけが募った。
支えになった“母の言葉”
幸いだったのは、2度目の「闘い」にも横田氏が勝利したことだ。
昨年7月に腰や足に激しい痛みを感じ、診察を受けて判明。脳から転移した脊髄の腫瘍だった。
すぐに1度目と同じ関西の病院に入院し、心の準備もままならない中での闘病が始まった。
「前回もショックでしたけど、今回は“またか”という感じで。これから長い治療が始まるのかと思うと…選手の時と違って目標もなかったので。もう、ちょっと厳しかったですね…」
同じ暗闇でも、グラウンドへ戻るというわずかに差し込む「光」を力に変えていた選手時代と違い、ユニホームを脱いでいた今回は、眼前には絶望しかなかった。
「(目標を)探すまで時間がかかりました。前回は6カ月で今回は5カ月だったんですけど、すごく長く感じました」
手術こそなかったものの、抗がん剤治療は脳腫瘍の時より回数が多く、過酷さを増した。全身の毛が抜け落ちたのももう人生2回目だ。
「体が悲鳴を上げているのが分かって。親にも“ちょっと治療をやめて欲しい”、“耐えれそうにない”と初めて言いました」
「不屈」を体現してきた男が初めて立ち止まったのだから、折れた心の有様は計り知れない。そんな時、母・まなみさんの言葉が景色を変えてくれたという。
「慎太郎、乗った船は途中で降りられないよ。最後の港で一緒に降りよう」。
故郷・鹿児島での仕事を辞め、コロナ禍のため病室から一切出ずに看病に当たってくれていた母の存在が顔を上げさせてくれた。すると、今まで見えなかったものが目に入ってきた。
「ふと周りを見たらたくさんの患者さんが下を向いて辛そうな顔をしていた。自分のことも不安で治療も大変でしたけど、病気に打ち勝って元気になって、苦しんでいる人の力になりたいと思った。そこからは前を向いて治療と向き合えた」
「苦しんでいる人が一歩踏み出せる発言をできる人間に」
今年に入って鹿児島に戻り、一人暮らしを再開した。
足の動きには違和感が残っており、治療の影響で白血球の数値がまだ通常でないため、生ものは禁止されるなど、生活での制限は少なくない。それでも、表情や言葉には活力が戻ってきた。
「まさか25歳までに2回も大きな病気が来るっていうのは…神様も絶対に乗り切れると思っているということだと。2回も大きい病気を乗り越えたのも、たくさんの方に支えられたから。次は自分が辛かった経験を話して。喋るのは下手ですけど、何か伝えて、1人でも自分と同じ苦しんでいる人が一歩踏み出せる発言をできる人間になりたいです」
12日からは初の著書「奇跡のバックホーム」(幻冬舎)も発売に。絶望の淵から2度もはい上がってきた“背番号24”の道程は、多くの人の道標になるはず。それを横田氏も望んでいる。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)