経験則を武器に
「相手チームにも笑われましたし、自分でも恥ずかしかったですよ」。打ち損なった投ゴロで全力疾走し、ヘッドスライディング。そしてセーフをもぎ取った若かりし日を懐柔する亀澤恭平(32)。「1年間だけと親と約束」して挑戦した独立リーグ時代は、常に泥だらけだった。
「プロに行きたい」。真っ直ぐな気持ちで野球に取り組んだ結果、「活躍したときにたまたまスカウトがいたんです。中日に移れたのも(当時二軍監督だった)佐伯(貴弘)さんが見てくれていたから」と、全力プレーと弛まぬ努力は、目に見えぬ“運”をも引き寄せた。
今年は、「まだ若い。コーチは歳を重ねてからでもできる」とのチームの判断によりコーチの肩書は外れたが、「若い選手たちがNPBに行けるように」と、経験に基づいたアドバイスを送る日々は変わらない。
メンタル面の変化と手応え
昨年の球団誕生当初は、「挨拶もできない、声出しもできない」という選手たちに頭を抱えることもしばしばだった。
亀澤は「こっちは普通だと思っていたことができない。指導されていない状態でチームに入っているので、レベルを2つぐらい下げて話しました。30歳を過ぎて高校のときに散々言われてきた『挨拶をする。全力疾走する。ボールを最後まで見る』ということが大事なんだなと、改めて思いました」と苦笑する。
さらに、「僕を含め元NPBってだけでビビっって萎縮しちゃう選手が多かった」と振り返り、リラックスできるように「皆んなに笑おうと言ったんですが、笑うこともできなかった。自分で考えることが多すぎたんでしょうね」と、1年前を思い返した。
しかし、「年明けから既存の選手はとてもできるようになった。経験と慣れから心のゆとりが出てきました」と、一定の評価を与え、次のステップへと進みつつあることを明かした。それは、「自分ができることを最大限生かしてパフォーマンスする」ということだ。
習得のためには「教えてもらったことをハイハイと聞いていても、次の日にはできない。僕は根拠と意図を聞いて、練習に取り組みました。理解して吸収しないと上手くはならない。『野球は考えるスポーツ』なので」と、考え方をスキルアップさせる重要性を強調する。
また、「教えるのにも才能がいる。引き出しを沢山出してくれる人が伸ばしてくれる人。2000本打ったすごい人に言われたことだけ続けていても、上手くはならない」と指摘。“コーチを見極める目”も大切だと、若い選手に説いている。また、「1厘でも2厘でもコツコツ打率を上げていかないといけない時なのに、いきなり3割を打つ練習をしちゃたりする」と、再び苦笑いしながらも、少しずつ手応えも感じているようだ。
NPB球団との対戦を経て
5月に入って待望の遠征が可能になり、4週目には広島の二軍、6月上旬には西武の二軍とも対戦した。しかし、亀澤は「NPBのチームと試合ができてヤッターって感じでした。アピールのチャンスなのに『絶対プロになる』って気持ちは伝わらなかった」と辛辣だ。続けて、給料面や待遇面を例に挙げ、選手たちには「自分たちのことを変にプロだと思って欲しくない」とも主張する。
高校、大学は野球強豪校ではなく、ドラフト漏れ後にアイランドリーグへ入団。少ないチャンスを泥臭く掴んでNPBの狭き門をこじ開け、その後も育成からドラゴンズで立場を築いていった男の言葉は重い。そのパイオニア精神と生き様は、沖縄から夢舞台を目指す若きプレーヤとってまさに生ける教科書だ。
「島から出られない、呼べない」状況を脱し、プロや実力のあるチームと対戦を重ねていく設立当初の理念へと、やっと動き出した琉球ブルーオーシャンズ。亀澤自身、プレーヤーとしてもトップバッターで躍動するなど、まだまだ現役バリバリだが、「自分自身、後悔なくやり切ります!」と、追い込み続けるスタイルは不変。明るさと厳しさを兼ね備える背番号2は、明日のNPB入りを掴むために若手を導く。韋駄天の伝説第2章は、まだ始まったばかりだ。
取材・文・写真=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)