同じ「1998年のドラフト組」
7月7日、西武・松坂大輔の引退が発表された。
「お疲れ様でした、という言葉しか浮かびませんでした」
東京都内の宿舎でニュースに触れた中日・福留孝介。
同じ1998年ドラフト組は、巨人・上原浩治や阪神・藤川球児、広島・新井貴浩らそうそうたるメンバーがいる。
松坂の引退をもって、現役選手は福留ひとりとなった。
「彼は野球が大好き。故障で思うように投げられない苦しさ、歯がゆさもあったと思う。年上の僕から見ても、誰もが憧れるスーパースターだと思います」
福留だってPL学園で甲子園を沸かせ、日本生命を経て鳴り物入りでプロの門をたたいたスター。
そんなバットマンですら、一目置いた右腕。2006年・2009年のWBC優勝メンバーは日本中を巻き込んだ記憶。それとは別に、宝物があった。
2012年7月31日。ヤンキース傘下のマイナー、3A・スクラントンでメジャー昇格を目指していた福留は、調整登板のレッドソックス松坂と対戦。空振り三振に倒れた。
NPBで土台をつくり、海を渡って挑戦したもの同士。
「まさか向こうで対戦できるとは思ってなかったんで、それはそれで僕にとってはすごく楽しかった思い出がありますね。アメリカでやれたのもひとつの財産です」
記憶は今でも鮮明。脳裏に刻まれている。
特別な日に特別な一発
特別な日に特別な放物線を描く。福留もまたスターである証明だった。
松坂引退の一報が球界を駆け巡る日、東京ドームで行われた巨人戦に「5番・右翼」でスタメン出場。
2回一死の第1打席。「しっかりバットにはつかまったんですけど、ちょっと高く上がったので」。米球界から復帰3戦目、巨人・山口俊の速球をバックスクリーン右へたたきこんだ。
これが竜復帰初弾、今季第1号。中日に14年ぶりに復帰し、44歳2カ月で放ったアーチは、球団では44歳4カ月の谷繁元信に次ぐ年長弾だった。
誰かの引退は、自身もユニホームを脱ぐ日が遠くない未来にあることを意味する。
「僕が代表して、少しでもやれるように頑張っていけたらと思います」
昨オフ、阪神から構想外を告げられて、獲得意思を示したのは中日のみ。現役を続けられるかどうか、やきもきした日々もあった。
いつか来る引退を一旦ペンディングできたのは、中日との縁、そして何より福留の力が中日にとって必要だったからにほかならない。
チームはペナントレースでBクラスに甘んじている。若手のもがく姿が歯がゆい一方で、ベテランの一振りには味がある。
ペナントレースは折り返し地点を過ぎたばかり。チームの火が消えかかっているのならば、福留は力ずくで何度でも勢いづける。44歳は鼓舞し続ける。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)