“エリート中のエリート”のその後…
現地時間7月11日から13日の3日間に渡って開催された、メジャーリーグのドラフト会議。
今年は各チーム20巡目まで、合計612人が指名を受けた。
中でも注目を浴びる“全体1位”は、パイレーツの1位指名選手。ルイビル大学のヘンリー・デービス捕手だ。
18日には契約金650万ドル(約7億円)で早速合意に至ったとの報道も。
まずは数年後のメジャー昇格へ向けて、マイナーからプロ野球選手としての道を歩みはじめることになる。
1965年に導入されたメジャーリーグのドラフト。これまでに「全体1位指名」の栄誉を受けたのは50人以上にのぼる。
しかし、そんな“エリート中のエリート”であっても、必ずしもメジャーの舞台で活躍ができるとは限らない。
そこで今回は、その年に最も将来を嘱望された男たちのキャリアの充実度を振り返るべく、「生涯WAR(Wins Above Replacement)」に注目してランキング化。
「WAR」とは、打撃・走塁・守備・投球を総合的に評価して選手の貢献度を数値で表す指標で、平均的な選手と比べてどれだけ勝利に貢献していたかを示すもの。
野手と投手を同じ土俵で比較できるというのがポイントで、今回は『Baseball Reference』版のデータを用いてトップ5とワースト5にまとめてみた。
ランキング上位5名:トップはあのスーパースター
1位 117.5 アレックス・ロドリゲス(1993年/マリナーズ)
2位 85.3 チッパー・ジョーンズ(1990年/ブレーブス)
3位 83.8 ケン・グリフィーJr.(1987年/マリナーズ)
4位 55.2 ジョー・マウアー(2001年/ツインズ)
5位 43.5 エイドリアン・ゴンザレス(2000年/マーリンズ)
上位には、いずれも時代を代表する強打者が顔を並べた。
全体1位の中の全体トップとなったのは、22年のキャリアで通算696本塁打を放ったアレックス・ロドリゲス。そのWARはメジャー史上でも16位に相当する「117.5」という数値で、2位のチッパー・ジョーンズを大きく引き離している。
なお、5人はいずれも1990年代から2000年代のほぼ同じ時期にプレー。当時は球団数が「26」→「28」→「30」と一気に拡張され、史上稀に見る「打高投低」の時代だったことも影響しているだろう。
しかし、そういった事情を差し引いても、どの選手も全体1位の名に恥じない活躍を見せてくれたと言える。
ランキング下位5名:日本にやってきた選手も
1位 -1.7 ダニー・グッドウィン(1971年/ホワイトソックス→1975年/エンゼルス)
2位 -1.3 ショーン・エイブナー(1984年/メッツ)
3位 -0.6 マット・アンダーソン(1997年/タイガース)
4位 -0.4 アル・チャンバース(1979年/マリナーズ)
5位 -0.2 ブライアン・バリントン(2002年/パイレーツ)
続いて、ワースト5がこちら。ただし、まだデビューしていない選手や、メジャー未経験のまま引退した選手は除いている。
注目すべきは、5人のWARがいずれもマイナスを叩いているということだろう。貢献度が低かったというよりも、チームの足を引っ張っていたという方が適切かもしれない。
そんな不名誉なランキングで1位だったのが、ダニー・グッドウィンという選手。
高卒時の1971年にホワイトソックスから全体1位で指名されたが、その時は大学への進学を選択。4年後にエンゼルスから再び全体1位で指名を受けるというまさに逸材だった。
ちなみに、50年以上のドラフト史において、2度も全体1位で指名されたのはグッドウィンしかいない。
捕手として入団したグッドウィンだが、メジャー昇格後はもっぱら指名打者として出場。7年間で通算252試合に出場したが、打率.236で13本塁打と期待外れに終わった。
その後、1986年には日本の南海ホークスでもプレー。83試合で8本塁打という記録を残している。
ワースト5位のブライアン・バリントンも日本でプレー経験がある。
メジャーでは26試合に登板して1勝9敗と期待を大きく裏切ったが、2011年に来日すると広島で先発の一角として13勝(11敗)を挙げるなど、4年間で2度のシーズン2ケタ勝利をマーク。
その後、2015年にはオリックスへと移籍。NPBでは5年間で45勝45敗、防御率3.25という成績を残した。
果たして、パイレーツが全体1位で指名したデービスは、強肩強打の捕手として「55.2」のWARをマークしたジョー・マウアーのような活躍を見せることはできるのか…。
その答えが出るのは、これから10数年先になる。
文=八木遊(やぎ・ゆう)