胸に輝く「金メダル」
日に日に、付箋は増えていった。
名古屋市営地下鉄・ナゴヤドーム前矢田駅の地下道「ドラゴンズロード」。ここには選手・首脳陣のパネルが飾られている。
8月3日に亡くなった中日・木下雄介さんのパネルも、もちろんある。
亡くなったことを受けて、ファンが貼っていく。8月5日に通ったときは10枚ほど。それが9日には60枚以上。10日にはパネルがほぼ埋めつくされた。
そして、その胸には、折り紙でつくられた金メダルが輝いていた。
大野が守った約束
なぜ、金メダルか──。
理由はチームメートの大野雄大にあるに違いない。
東京五輪・野球日本代表が金メダルをゲットしたのは8日。その表彰式で、大野は首に掛けられたメダルを天に掲げた。
「木下から『金メダルとったら見せてください』と言われていました。報告できてよかったです」
木下さんは今春のオープン戦で右肩を脱臼。ナゴヤ球場でリハビリ生活を送っていた。その時、大野は一軍残留練習で同所を訪れ、会話を交わしている。
五輪前。そのときは想像もしていない形ではあったが、約束を果たす格好となった。
右肩脱臼から復活の途中で…
愛されキャラ。右腕の周りにはいつも仲間がいた。
3月21日、日本ハムとのオープン戦(バンテリン)で右肩を脱臼した。その際、本拠地には二軍からドラフト同期の笠原祥太郎が駆けつけている。同じ2017年の入団。状態を心配し、身の回りの荷物を運んでいたのだ。
同じく同期入団の京田陽太を含めた3人は、家族ぐるみの付き合いをしてきた。互いの家を行き来していて、時に京田は木下さんを兄のように頼っていた。
京田は「信じられず、気持ちの整理はついていません。ただ、雄介さん、家族の思いを背負って戦っていきたいと思います」と肩を落とした。
陰で支えようとしたのは、同学年の高橋周平だった。
脱臼と聞きつけて岐阜県内の治療院を紹介。「僕が行っているところだから。良くなるのなら治療院は何カ所でも行けばいい。候補として考えてみなよ」と教わったのは、今季限りで引退する西武・松坂大輔も通った"ゴッド・ハンド”で有名な治療院である。
6月下旬だったと記憶している。記者が右腕に「治療院行った?」と聞くと、「周平が気をつかってくれたんですよ。リハビリの過程で、チャンスがあれば行こうと思っています」。木下さんは満面の笑みを浮かべていた。
これが記者と木下さんの最後の会話となった。当たり前だが、これが最後になるだなんてこれっぽっちも思わなかった。
駅に行けば、木下さんを悼む人の分だけ付箋が貼られている。早すぎる死を悼まずにいられない。
ただ、だ。どれだけ付箋を見ても、思うことがある。ナゴヤ球場へ行くと、ふらっと木下さんが来るような気がしてならない。
「岐阜の治療院、行ってきましたよ。肩の状態、良くなっている気がします。周平に感謝ですね」
そんな声を掛けられるような感じがする。
ここ数日、ナゴヤ球場へ行く目的のひとつが、木下さんに会いにいくためになっている。受付と球場の間にある駐車場。どうしても、木下さんのマイカーを探してしまう。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)