コラム 2021.08.17. 15:00

大谷翔平が呼び起こすベーブ・ルースの記憶

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伝説から100余年


 エンゼルス・大谷翔平の投打にわたる活躍で、あのレジェンド選手の名前を耳にする機会が多くなった。1914年から35年にかけて全米の野球ファンを魅了したベーブ・ルースだ。

 野球好きを自認するファンなら大谷の渡米以前から、その名を耳にしたことはあっただろう。1934年の日米野球で日本を訪れたこともあるルースとはどんな選手だったのか。

 ルースがメジャーデビューを果たしたのは19歳の時、1914年のこと。レッドソックスの一員として、投手として4試合に登板し、2勝1敗、防御率3.91をマーク。打者としては、10打数2安打という数字を残した。

 頭角を現したのは翌1915年。投手として18勝8敗、防御率2.44とエース級の活躍を見せた。打者としては、103打席で打率.315、4本塁打20打点をマーク。一見物足りない数字に見えるが、当時は本塁打がほとんど出ないいわゆるデッドボール(飛ばないボール)時代。これでも本塁打数はチームトップだった。

 その後もレッドソックスでは主に投手として活躍。15年、16年、18年の3度、チームを世界一に導いた。3度目の世界一に輝いた18年にルースは「13勝+11本塁打」をマーク。唯一「2桁勝利&2桁本塁打」を達成したのがこの年だった。

 翌19年にルースが残した記録は「9勝+29本塁打」。貢献度は高かったが、チームはリーグ6位(8チーム中)に低迷した。そしてルースに転機が訪れたのはそのオフ。なんと金銭トレードでヤンキースに放出されてしまう。

 このトレードはルースだけでなく、ア・リーグの勢力図も大きく変えることに。ルースが去ったレッドソックスはその後ワールドシリーズ制覇から遠ざかり、いわゆる「バンビーノ(ベーブ・ルース)の呪い」を解いたのは2004年。実に86年もの年月を要した。


約1世紀前に残したズバ抜けた成績


 一方で、強豪チームに変貌を遂げたのがルースを獲得したヤンキース。それまで一度もワールドシリーズを経験していなかった“平凡な”チームは、ルース移籍2年目の21年にワールドシリーズに初出場(敗戦)。2年後の23年には初の世界一に輝いた。ヤンキースは、ルースが在籍した16年間に4度の世界一を味わい、今日までメジャーを代表する名門チームとして君臨している。

 レッドソックス時代は主に投手としてプレーしていたルース。後期は打者としての出場機会も増え、ヤンキース移籍後は打者に専念。投手としての登板は5試合にとどまった。

 1920年にデッドボール時代が終焉を迎えると、ルースは長距離砲としての才能を開花。本塁打王に10回輝くなど数々の記録を樹立した。

 特に圧巻だったのは移籍1年目の1920年。“二刀流”から打者専念が功を奏し、当時のメジャー記録を大きく塗り替える54本塁打を放った。これは次点ジョージ・シスターが放った19本塁打の実に3倍近く。他のア・リーグ7球団のチーム本塁打数よりも多かった。

 40歳まで現役を続けたルースは、通算714本塁打を放ち、投手としても94勝を挙げた(うちヤンキースでは5勝)。投打にわたる個人成績もさることながら、所属チームを通算7度の世界一に導いたこともルースの評価が高い理由だろう。

 今季の大谷のように同一シーズン中に投手として打者としてまんべんなく出場する“二刀流”シーズンはあまりなかったが、子供から最も愛されたメジャーリーガーとしても知られる。

 1世紀という時空を経て登場した大谷によって、偉大なるルースの足跡に再び光が当てられている。


▼ ベーブ・ルースのメジャー通算成績
<投手>

163登板 94勝46敗4セーブ/防御率2.28

<打者>
2503試合 打率.342(8398打数2873安打)/714本塁打/2217打点/OPS1.164


文=八木遊(やぎ・ゆう)

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