あふれた「感謝」
キャリア16年の「物語」を再現するような時間だった。
阪神のレギュラーシーズン最終戦となった10月26日・中日戦。秋風とV逸がかさなって重く冷たい空気が充満していた甲子園は、背番号21の登場によってようやく体感温度も少し上がった気がした。
岩田稔の引退セレモニーは、静かにはじまった。
「タイガースの選手として16年、プレーさせていただきましたが、今年でユニフォームを脱ぐことになりました。たくさんの声援をくれたタイガースファンのみなさま、本当にありがとうございます」
チームが最後の試合までもつれる優勝争いを展開していたため、引退登板の機会は訪れなかった。それでも、37歳の顔に悔いはなく、発する言葉には最初から最後まで「感謝」があふれていた。
「希望の星になりたい」
期待だけでなく、“使命”を背負ってタテジマに袖を通した。
「入団会見の時に、1型糖尿病患者の希望の星になりたいという思いを胸に頑張ってきました」
大阪桐蔭高2年時に、1型糖尿病を発症した。世間では「糖尿病」として一括りで認識されていることが多く、1型と2型の区別を理解している人は少なかった。
1日4回、欠かすことのできないインスリン注射。隠すことなく、人前で打つこともあった。
病気を抱えてもトップレベルでプレーできることを示すのはもちろん、1型糖尿病への知識や認知を広めるためにも腕を振った。
オフには積極的に患者との交流会に参加。「1型糖尿病研究基金」への寄付も行ってきた。
セレモニーでは、サプライズで1型糖尿病のファンから感謝のビデオメッセージが。岩田はバックスクリーンを見つめながら、ぐっと涙を堪えた。
16年という月日でその背中に注がれてきた、数えきれないほどの声援。まさに「希望の星」になったことを証明する瞬間でもあった。
「俺が支えなあかん」
多くの患者の希望になってきた男が、心のよりどころにしてきたのが、妻と3人の子どもたち。
「僕1人ではここまで長くやっていけると思っていませんでした。やはり家族の存在があったからです」
野球のことを語ることは少なかったが、「子どもがスケボー始めてん」と嬉しそうに板の上で身体を揺らす愛娘の動画を見せてくれたこともあった。
ただ、次に出てくるのは「俺が支えなあかん。もっと頑張らないとあかん」という大黒柱としての言葉。
プロ野球選手としての最後を見届けた3人の子どもたちは、花束とともに「お父さん」の胸に飛び込んだ。
通算60勝82敗。なぜか他球団のエース級と投げ合うことも多かった。
白星より20個以上多い黒星は、そんな“戦いのあと”にも見える。
どれだけ打たれようと、負けようと、同じ病気と戦う人へ向けて、そして愛する家族のために…。また次のマウンドに上がる理由があった。
自分以外のものも背負ってきた長い戦い。その終わりを見届けたのもまた、岩田に支えられ、支えてきた人たちだった。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)