新指揮官が求める「3割・20本」
広島の鈴木誠也と坂倉将吾からはじまり、20番目から巨人の坂本勇人、丸佳浩、岡本和真、そして阪神の大山悠輔と続いて、24番目に来るのが中日・高橋周平だ。
マニアでなくとも、すぐに気がつくのではないだろうか。これは今季の打率順。5位に低迷した中日にとって、高橋周平の不振はかなり響いた。
球団は与田剛監督の退任、立浪和義新監督の就任へと舵を切り、来季に向けて秋季キャンプをスタートさせた。
「やっぱり3割・20本、そういう選手になってほしい。バンテリンドームでも20本以上は打てる力を持っている。ステップした右足とバットを持つ手を遠く離れたところから振る。そうすることで球を強く叩けます。あそこまで投手寄りに身体が移動してしまうと、距離が取れません」
新指揮官の求めた数字は“3割・20発”。主将改造は、キャンプのメインテーマのひとつだ。
京田陽太や木下拓哉、アリエル・マルティネスとともに1時間のノックを受けさせ、それから1時間のバッティングを課した。
主力組が最もボールを受け、最も打つ。免除や軽めとは真逆の、時間的にも内容的にも密度の濃い秋となった。
「強いスイング」への変化
11月4日にスタートして、若手よりもひと足早くキャンプを打ち上げたのは21日のこと。
この2週間強で何が変わったのか──。背番号3は「やろうとしていることがキャンプで分かった」と、まずは方向性に手ごたえを得るコメントを出した。
スタート当初のことを「どうなるかと思った時もありました」と振り返った27歳。解体から始まり、タイミングの取り方からチェンジした。
「コンタクトを大切にしてきました。まずそこから強いスイングへの変化です」
プロ10年目。体重のかけ方やヒッチの仕方、あらゆるチャレンジを重ねて、7年目にはじめて規定打席に到達している。
二軍時代、日付が変わるまで練習したのははっきり覚えている。結果を度外視して、かけた練習時間ならそうそう負けない自信がある。
キャンプでは、新コーチで現役時代をともにした森野将彦打撃コーチと長い時間を過ごした。“意固地”から抜け出すキャンプだった。
「頑固さ」こそ、できていたこともできなくなったプロ10年目を物語る。
なぜ、できなくなったか…。
「体を開きたくない。それを意識しすぎました。体の回転もなくなりました」
当てる能力があるから、頭が過度に突っ込んでも.259。インパクトで、手だけで帳尻を合わせられるのがアダとなった。
意地でもスタイルを曲げず、貫こうとしていた。ただ、周囲から言われなくても、「これじゃあ、キツい」と思ってもいた。だから変化を受け入れた。
気づいたのは、「変えなくていいことがある」ということ。タイミングは取れる。「最終的には、基本的なことですかね。とにかく、踏み出した右足とテークバックの距離を取って、足を使って打つ。そこになるのかな」と話す。
秋季キャンプの期間ですべてが変わるわけではない。
「今は3合目あたりです」
変わろうとする第一歩があり、登りはじめたばかり。山には悪路があり、天気の変化があるように、高橋周平の頂上への道のりだってすべてが順調とは限らない。
まずは2月1日の春季キャンプまでどうトレーニングをするか。そして、実戦でどう形にしていくか。
来季開幕は3月25日の敵地・巨人戦。立浪新監督の初陣を白星で飾る一打を放った時、秋季キャンプ期間に感じた苦労なんかすべて吹っ飛ぶ。
打率も、本塁打も、ランキングの上位に名前を掲げたい。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)