ベールに包まれた広島の育成1位左腕
2022年、プロ野球では育成契約を含めて128名の新人が1年目のシーズンを迎える。
その中で、いわゆるスカウトの“隠し玉”と呼ばれる選手は、過去と比べても少なくなった。
有力なアマチュア選手に一人でも多く目を通すべく、スカウト陣の情報網は全国隅々まで行き渡っている。
ただ、インターネットがこれだけ普及した令和の時代であろうと、スカウト陣の間ですら知られていないような選手がプロの扉を叩くこともある。
広島の育成ドラフト1位・新家颯(しんや・そう)が、まさにその一人だ。
頭の中に焼き付いた“スライダー”
担当の鞘師智也スカウトが新家と出会ったのは“偶然”だった。
2021年7月15日。同スカウトは1位指名の有力候補だった市和歌山・小園健太(DeNAドラフト1位)を現地で視察するため、紀三井寺球場に向かった。
市和歌山戦はその日の3試合目。しかし、これだけの注目選手となると、試合開始の時間にあわせて球場に行くようではもう遅い。バックネット裏からビデオ撮影するためには、1試合目から席を確保しておく必要がある。
到着後、はじまった朝一番の試合。これまでに見たことのない無名左腕がマウンドにいた。それが田辺高校の新家だった。
直球は平均135キロ前後ながら、落差の大きいスライダーを軸に攻めると、対戦相手のバットは面白いように空を切る。
味方の失策も絡んで3失点を喫し、初戦で敗退となったものの、計12奪三振の好投。
「めちゃくちゃ、ええやん…」
なかでも強烈なスライダーが頭から離れなかったという。
奇跡が重なって今、プロのスタートラインへ
鞘師スカウトは試合中に田辺高校のベンチも確認。過去にも同校に有力選手がいたことがあり、田中格監督と面識があったのだ。
「よし、あの頃と監督は変わってないな」
確認すると、新家の卒業後の進路が“未定”だということも分かった。
ただし、初戦敗退だったことで、左腕の実戦を1度しか見ることができなかったという問題も。
そこで、田辺高校に数回通い、あの日の衝撃が間違っていなかったことを確かめた。そんなステップも経て、育成で指名すべき選手であることを球団に報告した。
「春までは実績もなくて、スカウトの間でも噂はなかった。夏までは存在も知らない投手だったし、あの試合を見られたのも偶然と言えば偶然。身長も大きいし(182センチ)、鍛えたら面白いと思った」
偶然にも田辺と市和歌山の試合が同じ日・同じ球場で行われたこと。それに加えて、鞘師スカウトが数多くある地方大会の試合の中から和歌山を選んで足を運んだこと。いくつもの奇跡が重なったことで、正真正銘の“隠し玉”にたどり着いたのだった。
新家が素晴らしい潜在能力を持っていることは間違いない。それでも、いまは磨かれる前の原石に過ぎない。
鞘師スカウトは「しっかりと練習をしていかなアカンで」と口酸っぱく伝え続けると決めている。
新家は「育成でも選んでいただいただけでうれしい。悔いのないように活躍したい」と、自らを発掘してくれたスカウトに感謝している。
和歌山でも知る人ぞ知る存在だった無名左腕。育成契約ながらもプロ野球選手という夢をかなえられた裏には、連日自らの足で情報を稼ぐスカウトの奮闘があった。
文=河合洋介(スポーツニッポン・カープ担当)