コラム 2022.01.15. 17:55

中日・大塚晶文投手コーチの“恩人”は立浪和義監督と落合英二ヘッドコーチ

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記者会見する中日の大塚投手コーチ (C) Kyodo News

19年前、中日の一員になった日


 6年ぶりの現場復帰となった中日・大塚晶文投手コーチ。今季の仕事場はブルペンだ。

 竜でのプレーは2003年の1年のみ。渉外担当の業務を終えて米国から帰国し、隔離期間が明けて就任会見に臨んだのは1月14日のこと。気がつくと、立浪和義監督と落合英二ヘッド兼投手コーチに抱く“ありったけの想い”を並べていた。




 なぜ、立浪監督の下で働くのか。どうして、落合ヘッドとともになのか…。大塚コーチの頭に浮かんでいたのは、2003年4月8日の夜の光景だった。

 前年に近鉄からポスティングでの移籍を表明したが、失敗。孤独なキャンプを過ごし、中日に電撃加入した。当時31歳。初登板こそ、4月8日だった。

 甲子園での阪神戦。9回に抑えのエディ・ギャラードが3失点して追いつかれるも、11回に谷繁元信が勝ち越し打。ブルペンに残っていたのは、大塚コーチと平井正史(現・オリックス育成コーチ)だけ。山田久志監督に送り出され、魂の無失点ピッチ。初登板で初セーブを挙げた。



 立浪監督との思い出のシーンは宿舎に帰った後。興奮したまま食事会場へ足を進めた。

 「真っ先に立浪さんが声をかけてくれました」

 文言は「大塚、お前ちょっと来い!お前すごいな!」だった。

 「そのひと言がすごくうれしくて。その後も気にかけてくれて、プレーしやすかったんです」

 不安だらけで幕開けしたシーズン。グラウンドで結果を出し、ミスタードラゴンズから受け入れられた。


 また、その土壌を作ってくれていたのが落合ヘッドだったという。

 大塚の入団後、落合ヘッドが投手陣を集める。輪の中でかけた言葉は「みんな、これからアキって呼んでくれ」だった。

 「ニックネームでみんなに紹介してくれました。同じポジションでライバルなのに…。なんて心の広い方なんだろうと」

 ブルペンのリーダーの心遣いに感激しつつ、どこか居場所を探しながらマウンドに上がり、無我夢中で投げて抑えた。そして、チームの顔・立浪から褒められた。


「コーチの目なんか気にせずやってもらいたい」


 モットーは「明るく、素直に、朗らかに」。マウンドの孤独は、代名詞である「ヨッシャー」の気合や興奮で制御できた。

 休日や練習日、試合前や試合後に襲ってくる不安や緊張のコントロールは、一流選手でも難しいのだろう。突き抜けた時に見えた境地こそ「明るく、素直に、朗らかに」に違いない。


 コーチとしての信念は「選手の邪魔にならないこと」。

 伝えたいことがある、口酸っぱく言う必要性がある。そう感じたとしても、時としてプレーヤーからすると「邪魔」と受け止められることもある。

 まずは、信頼することから始める。その先に、選手から信頼を受けられると考える。

 「みんな一人一人、感覚がある。十人十色。自分の経験が当てはまるとは思っていない。とにかく会話をして、選手の細かい体の中、考え方、精神面を聞きながら。選手には自分の好きなように、100%の力を出してもらいたい。コーチの目なんか気にせずやってもらいたいです」


 昨季までの与田政権では、リーグ1位の防御率を誇った。新体制に変わる今季はどうなるのか…?

 生え抜きの立浪監督と落合ヘッドに加えて、メジャー移籍をにらんで1年のみ竜のユニホームに袖を通した大塚コーチ。

 これだけは言える。リーグ1位の称号は渡さない、渡せない。50歳。まだまだ燃える。


文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)



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