コラム 2022.07.29. 07:08

まさかの“長嶋ヤクルト”を誕生させた自由すぎる野球ゲーム『ホームランナイター』

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「ヤクルト・長嶋監督」が爆誕…?

野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第10回:ペナントリーグ ホームランナイター


 80年代、球界ではことあるごとに「長嶋監督待望論」が話題になっていた。

 1980年限りで巨人監督を辞任した長嶋茂雄は、いわゆるひとつの文化人的な浪人生活へと突入。寝業師・根本陸夫がミスター招聘へとすかさず動いた西武、就任会見寸前までいった大洋……と、各球団の動向が毎年オフの風物詩となっていく。




 そんな中、息子の一茂が87年ドラフト1位でヤクルトから指名されたことにより、一気に父もセットの「長嶋ヤクルト」誕生ムードが加速することになる。

 当時の週刊誌はお祭り状態で、『週刊宝石』88年9月16日号では「これが長島ヤクルト次期監督の組閣名簿だ!」なんて勝手にコーチ人事まで進め、『週刊ポスト』88年10月21日号では独占直撃インタビュー「長島茂雄が欲しい 桑原潤ヤクルト社長の熱弁40分」が掲載(※当時は「島」表記)。

 もうどうにも止まらない親会社をあげたナガシマブランドへのラブコール。だが、ミスターは92年オフに巨人監督復帰するまで、他球団のユニフォームを着ることはなかった。



「スワンズ」に長嶋監督就任!?


 しかし、だ。フライングで“ヤクルト・長嶋茂雄監督”を実現させた世界線もあった。89年3月31日にデータイーストから発売された、ファミコンソフト『ペナントリーグ ホームランナイター』である。

 ちなみに、同日にイマジニアから出た9800円の高額ソフト『松本亨の株式必勝学II』は資本金400万円を70億円へ増やしていくバブリーな設定で、まさにニッポンの好景気はピークを迎えようとしていた。


 そんな狂騒の時代に世に出た『ホームランナイター』は、セ・リーグをモデルにした“ストロベリーリーグ”の6チームと、パ・リーグベースの“マシマロリーグ”の6チームの中からプレイヤーは好きな球団をチョイス。30試合のペナントモードと日本シリーズを勝ち抜くわけだが、当時このゲームは独自の世界観に加え、派手な演出面や卓越したネーミングセンスで話題となった。

 東京ドームではなく、“のうきょうどーむ”。猛牛の近鉄バファローズではなく、豚がマスコットの“ブッタローズ”は秀逸。完全攻略テクニックブックの球団評「ブッタローズはくやしさに耐えることだけは誰にも負けない忍耐力のあるチームだ」という説明は清々しいほど投げやりだ。





 そんなフリーダム設定の極めつけは、ストロベリーリーグ所属のスワローズ……じゃなくて“スワンズ”の監督キャラクターが、当時ヤクルト監督の関根潤三ではなく、どう見ても長嶋茂雄なのである。

 ソフト開発時期はまさにヤクルト長嶋監督待望論で盛り上がっていたが、さすがに現代なら各方面で問題になりそうな勝手に監督交代事件。なにより普通にゲームを楽しみたいヤクルトファンからしたら、「余計なお世話だチョーさん」仕様だろう。翌90年からスワローズの指揮を執る野村克也の「ワシはナガシマの保険かいな」なんてボヤキも聞こえてきそうである。


ダイビングキャッチにメジャー送球で好評価の守備モード


 ゲームモードのウリは、「打率が変わる!」。当時としては珍しいペナントモードの打撃成績に連動した打率ランキングが、試合後のスポーツニュースコーナーで表示される。要はお気に入りの選手で打ちまくれば、優勝だけでなく打撃タイトルも狙えるわけだ。

 なお、スポーツキャスターは“よよぎ信也”と“江が卓”という、ビジュアルも元ネタそっくりのキャラクターが肖像権スルーで登場。セーブ画面では清掃中の無人のスタンド風景に変わり、ホームラン演出では打たれたシーンによってマウンド上の投手がうずくまったり、ヒザから崩れ落ちて悔しがるビジュアル面のこだわりも強いゲームだった。





 試合パートの投球や打撃はファミスタの亜流ぽさは否めなったが、守備面は内野手のみ十字キーとBボタンの同時押しで滞空時間の長いダイビングキャッチを実装。さらに投げる方向とAボタンを同時に押せば“メジャー送球”という速い送球が可能に。このふたつを駆使した守備の操作性の良さは、当時の野球ゲーム屈指の出来だろう。

 令和の夏に久しぶりに遊んでみたが、外野フェンスのクッションボールがスーパーボール並みに跳ねまくり、パワー数値が最高値7の打者は凄まじくホームランが出やすい細部の甘さはご愛嬌。1Pオープン戦モード初戦の相手は歴代名助っ人(がモデルの偽名選手)が集結したオールスターチームで、“ほおな”・“はあす”・“すみすう”の強力クリーンナップに3連発を浴びて1回コールド負けを食らう鬼仕様であった。





 だが、当時の少年たちは「どんなソフトにもいいところはあるから」という異様なポジティブさで、作品の短所じゃなく長所を見た。

 ヘコんでいる暇はない。ブッタローズが俺たちを待っている。少ない小遣いから買ってしまったからには楽しもうと必死である。クソゲーの数だけ強くなれるよ。あの頃、ファミコンキッズたちはタフだった。


 NPB公認ではないゆえの胡散臭さと逞しさを感じるソフトが、各メーカーで競うように作られた80年代後半の野球ゲーム戦国時代。90年代に突入すると、野球ゲームはデータやビジュアルの「リアルさ」と引き換えに、表現の「自由さ」を失ってしまった感は否めない。要は公認が一種の制約や足枷となってしまったのだ。

 スワンズのナガシマ風監督に愛と幻想のブッタローズ。今思えば、80年代末に世に出た『ペナントリーグ ホームランナイター』は、なんでもありの“自由な野球ゲームが許された最後の時代”を体現した快作でもあった。


文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)



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