コラム 2022.09.30. 06:29

九州という"鬼門"での再挑戦 「2強崩し」に挑むグランドチャンピオンシップ

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2010年に消滅した長崎セインツの応援席 [写真=阿佐智]

日本独立リーグ考~第3回:ヤマエ久野九州アジアリーグ


 四半世紀ほど前のことになる。アメリカ・ワシントン州の港町、ベリンハム。カナダ国境もほど近く、アラスカ行のフェリーが出るこの町にマイナーリーグのチームがあった。

 オーナーは地元の企業家のようで、チームのベースボールカードセットに自分のものも加えていた。サインに快く応じてくれた彼の写真入りのカードには、彼の名とともに誇らしげにボールが描かれていた。

 プロスポーツチームが半ば投資の対象となり、マイナーチームであってもその資産価値が高騰してしまった現在ではもはや考えられないことだが、かつてはマイナーチームのオーナーになることは、中小企業家の「夢」であった。


 九州・長崎にかつてセインツというプロ野球チームがあった。

 2006年オフにアメリカ独立リーグ界人気No.1チーム、セントポール・セインツの日本遠征を実現した佐世保市の企業家が、夢をかなえるべく設立した独立プロ野球球団だ。

 地元のクラブチームを発展させてできたこのチームを、彼は自らが構想していた「九州独立リーグ」に参加させるつもりであった。

 しかし、このリーグ構想は実現することなく、2008年、すでに加盟を表明していた福岡レッドワーブラーズとともに、既存の四国アイランドリーグに参加することになった。

 チームはセントポール球団にあやかって「セインツ」と命名され、新球団を九州から迎えたリーグは、「四国九州アイランドリーグ」と改称した。


相棒の活動休止と関西遠征


 しかし、現実は厳しかった。

 複数の半島からなる長崎県は、そもそも一体感に乏しい。「セインツ」のネーミングには、当時世界遺産登録を目指していた長崎市の教会群のアピールという意味もあったが、佐世保に拠点を置く野球チームに長崎市民が注目することはなかった。

 県民の目は、独立プロ野球チームよりも、Jリーグ加盟を目指していたサッカークラブ、V・ファーレン長崎に向いていた。


 参入2年目の2009年シーズン後には、「相棒」の福岡球団が活動を休止。代わりに入ってきたのは、大阪と三重の2球団で発足した新興リーグ、ジャパンフューチャーベースボールリーグとの「公式戦」だった。

 球団オーナーはリーグの指示に従い、この交流戦に臨むため自らワゴン車のハンドルを握り、フェリーと高速道路を利用しながら選手たちを運んだ。

 対戦相手の新リーグは1年で解散。交流戦は消滅したが、この解散を機にアイランドリーグに加入した三重球団との試合のために、セインツは2010年シーズンも三重への遠征を行わねばならなかった。


 当然のごとく、この遠征費は球団の財政を圧迫した。

 閑古鳥の無くスタジアム、集まらないスポンサーという現実を前に、結局、セインツはこのシーズンを最後に姿を消した。企業家が地道なビジネスで築き上げた財産は、セインツとともに消えた。


興ざめしたペナントレース


 その九州に独立リーグが帰ってきた。

 昨年、熊本(火の国サラマンダーズ)と大分(B-リングス)の2球団で、ヤマエ久野九州アジアリーグが発足した。


 仕掛け人は、熊本の企業家だった。熊本を拠点とする田中敏弘が、自社の実業団チームをプロ化して熊本球団を設立。同時に新リーグを発足させた。

 これに元中学体育教員で、スポーツクラブ運営者である森慎一郎が応じ、大分球団を立ち上げこれに加入。「九州アジアリーグ」として昨年からリーグ戦を開始させた。


 しかし、コロナ禍にあって、2チームでのリーグ戦スタートは拙速とも言えた。

 ペナントレースとなる、両者間の「公式戦」は36試合。これに加え、勝敗はペナントレースに組み入れないが、選手の個人成績は「公式記録」に組み入れる「公式試合」として、NPBの福岡ソフトバンクや四国アイランドリーグplus、それに前年から沖縄を拠点に活動を開始していた琉球ブルーオーシャンズとの交流戦を60試合計画。

 両球団66試合を行うというフォーマットを採用したが、実業団チームを母体とした熊本球団がゼロから選手を集めた大分球団を23勝9敗で圧倒したペナントレースは、ファンの心をつかむことはなく、地元で話題になることはほとんどなかった。

 興ざめしたペナントレースは全試合を消化することなく閉幕。加えて、コロナ禍ということもあり、日本独立野球リーグ機構(IPBL)に所属する先行の四国アイランドリーグplusやルートインBCリーグとのグランドチャンピオンシップも開催されることなく、九州アジアリーグは盛り上がりに欠けた初年度シーズンを終えた。


 このリーグと交流戦を行った、“リーグに属さない独立球団”として活動していた琉球球団は、九州アジアリーグへの加入も噂されたが、沖縄という立地は、やはり小規模プロスポーツである独立リーグ加入への大きなハンデになった。

 琉球球団は、シーズン中に大分球団との交流戦を、地元・沖縄で開催することを提案。経費は琉球側が負担ということで、大分球団はこれに応じたのだが、その遠征中に沖縄県にコロナに関する緊急事態宣言が発令され、行われたのは予定されていた3試合のうち初戦のみ。

 荒天もあり、大分球団は予定より早く帰ることになったのだが、琉球球団から提供された格安チケットでは便の変更が効かず、大分球団は「自腹」での移動を余儀なくされたという。

 結局、この球団は九州本土遠征時の選手の不祥事から活動停止となり、シーズン後に事実上崩壊した。


来季が「重要な年」に



 2年目を迎えた今シーズンの九州アジアリーグには、実業家の堀江貴文氏をオーナーとする福岡北九州フェニックス(来シーズンより北九州下関フェニックス)が参加。元メジャーリーガーの西岡剛を監督に迎え、耳目を集めた。

 熊本・大分との3つ巴となったペナントレースだったが、結局のところ熊本の連覇で幕を閉じた。

 相変わらずの熊本の強さが目立った今シーズンだったが、やはり参加各チームの戦力が拮抗しないと、地元の盛り上がりに欠けるという印象だった。


 来シーズンは宮崎に新球団が発足し、4球団体制でリーグ戦が行われる予定である。

 福岡・大分・宮崎・熊本という理想的な分布は、地域密着型の独立リーグの盛り上がりの可能性を秘める。3年目となる来シーズンは、九州における独立リーグ持続の可能性を測る重要な年になることだろう。


 それには、まず四国とBCの「2トップ」が君臨する現在の日本の独立リーグ界の構図を変える必要がある。

 コロナもようやく収束の気配を見せる中、念願の独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップに、九州アジアリーグは主催リーグとして参加することになった。

 リーグ優勝チームとして出場する火の国サラマンダーズは、優勝候補の最右翼として、9月30日に北海道代表の士別サムライブレイズと対戦する。

 ここで「日本一」の栄冠を手にしたとき、独立リーグ界の「鬼門」、九州に新たな可能性への光が差してくる。


文=阿佐智(あさ・さとし)
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