「本当に僕は幸せでした」
“美学”を貫く最後のマウンドだった。
9月30日のマリーンズ戦。バファローズの能見篤史投手兼任コーチが引退試合に臨んだ。
同点の8回。負ければリーグ優勝消滅の可能性もあった一戦で、7回を10奪三振で2失点と力投したエース・山本由伸からバトンを受けた背番号26。
移籍後は封印していたワインドアップで腕を振ると、キャリア18年間でこだわり続けた球種である直球のみ、最後は4球目の145キロで安田尚憲を空振り三振に仕留めた。
「中嶋監督と2年間、野球選手できてひとつも悔いはありません。やり切りました。2年間、いろいろ支えていただき、たくさんの声援をいただき、本当に僕は幸せでした」
引退セレモニーのあいさつでは万感の思いを言葉に乗せ、キャリアに終止符を打った。
阪神時代の後輩が京セラへ
そんな綺麗な引き際を見つめる男たち……。
この夜、自軍の試合のなかったタイガースの後輩たちが京セラドームに駆けつけていた。
藤浪晋太郎に岩貞祐太、梅野隆太郎、大山悠輔……。入団1年目からその背中を追いかけてきた者、“チーム能見”の一員として自主トレで汗を流してきた者。各々が自分なりの心持ちで大先輩に「ありがとう」を伝えに来ていた。
12年目の島本浩也もその一人。自身のインスタグラムには「18年間お疲れ様でした!引退試合現地で見れて良かったです。偉大な先輩と一緒に野球が出来て幸せでした!」とつづった。
島本には、能見との忘れられない時間がある。2019年のシーズン中、試合前練習で40歳のベテランにキャッチボール相手を申し出た。
「その前の年に二軍で能見さんとキャッチボールをする機会があって。すごく勉強になったんです。能見さんはすごくバランスを意識して投げられていて。自分のことも“今日は調子良いな”とか“疲れてるな”とか言ってもらえるので気付けることも多かったんです」(島本)
14歳も上の“レジェンド”だったが、勇気を振り絞って願い出ると快諾してくれた。
能見篤史が残したモノ
当時、能見は驚きとともに、島本の行動を喜んでいるように見えた。
「自分が若手の時、先輩にそんなん言えなかったよ。怖くてね……。今の時代は昔と違うのかなと」
ジェネレーションギャップも感じつつ、後輩の意欲をしっかりと受け止めていた。
そのシーズン、伸び悩んでいた中継ぎ左腕がキャリアハイの63試合登板と飛躍したのも、能見との“出会い”が無関係ではなかった。
藤浪は「自分の中でエースはずっと能見さん」と大黒柱の気概を感じ取り、バッテリーを組んできた梅野は捕手としてのあり方を学んだ。
能見篤史という男が残したモノは、これからも選手それぞれの胸に残り、グラウンドで体現されていく。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)