第2回:2度のリーグ優勝と5度のAクラスを果たした名将の6年間
佐賀で生まれ育った指揮官は、福岡の地で散っていった。
西武は9日に行われたパリーグのクライマックスシリーズ・ファーストステージでソフトバンクに敗れ、ファイナル進出を逃した。その日の試合後には球団から辻発彦監督の今季限りの退任が発表された。後任には松井稼頭央ヘッドコーチの就任が13日に正式決定した。
8割の充実感と2割の寂しさが残る勇退の記者会見だった。
2017年に監督に就任すると6年間で2度のリーグ優勝と5度のAクラス。
その前の3年、チームはBクラスに低迷していたが、見事に建て直したと言える。だが、一方でリーグ優勝した18、19年も、そして3位からの下剋上を狙った今季もポストシーズンでは、結果が残せなかった。
勝敗の決着がついた直後、ロッカーへ引き上げる選手たちを見つめながら最後までベンチで座り込む指揮官には6年間の思いがこみ上げていた。
常勝・西武。1980年代から90年代にかけて、ライオンズは黄金期を迎える。広岡達朗、森祇晶と言う名将の下、11度のリーグ優勝に8度の日本一。
辻は無敵軍団の潤滑油的な存在だった。石毛宏典、秋山幸二、清原和博、オレステス・デストラーデらの強力打線に、東尾修、渡辺久信、工藤公康、郭泰源らのエースたち。そんな個性あふれる集団にあって、打って、守って、走って、小技も巧い辻のチームへの貢献度は別格の物があった。
現役の晩年はヤクルトに移籍して野村克也監督の「ID野球」も学び、中日時代には落合博満監督時代にコーチとして貢献。満を持して西武に戻ってきたが、すでに黄金期の姿はなく、チーム再建を託された。
主力の移籍を若手の育成で補いチームを再建
就任2年目に早くもリーグ優勝を成し遂げるが、すぐさま正念場はやって来る。18年オフには浅村栄斗選手が楽天へ、炭谷銀仁朗選手は巨人にFA移籍、菊池雄星投手は大リーグのマリナーズへ。投打の主軸を欠いたチームは大ピンチを迎えるが、それでも翌19年もリーグ連覇を果たした。
この年に特筆すべきは打撃タイトルを森友哉(首位打者)山川穂高(本塁打王)中村剛也(打点王)秋山翔吾(最多安打)金子侑司(盗塁王)とすべて独占、まさに豪打で掴み取った栄冠だった。
さらに、辻を苦しめたのは秋山のメジャー挑戦である。主に「一番・中堅」でチームを牽引してきた最強打者の離脱は、チームの精神的支柱を失うことになり弱体化を招く。
ようやく、今季は高橋光成、松本航、今井達也ら若手投手の成長で、リーグトップのチーム防御率(2.75)もあり、優勝争いに加わったが、今度は打線が得点力不足に泣かされる。
山川が本塁打、打点の二冠で気を吐いたものの、チーム打率(.229)と同盗塁(60)、同犠打(78)はリーグワースト、守っても失策数86は日本ハムと並ぶワーストタイだから、よく3位に滑り込んだと言った方が正しいのかも知れない。
リーグ連覇時は打撃のチームで、生まれ変わった今季は投手力に助けられた。
短期間で若返りを図りながら、体質まで変えた手腕は評価される。
しかし、辻が追い求めた物は、強力投手陣をバックに、打って、守って、走れる、自らが実践したスキのない黄金期のライオンズの野球だった。それが果たせなかったことで2割の寂しさと悔しさが残ったのだろう。
シーズン中から松井ヘッド、平石洋介打撃コーチと会話を重ね、“帝王学”を伝授してきた。果たせなかった夢は後輩たちに託される。
今後については「ワクワクドキドキすることを見つけないといけない。体だけはスリムに保っていたい」と語った。目指す先は監督としての再登板か、それとも鮮やかな転身か。
所沢の自宅周辺をランニングする日課は変わりそうにない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)