村上宗隆「60打席不発」を乗り越えて
2022年も残すところあとわずか。プロ野球界はすっかりオフシーズンに突入した。
野球選手のテレビ番組への出演も増加してくる中、やはり引っ張りだこなのがヤクルト・村上宗隆だ。18年ぶりとなる三冠王にして、NPB歴代2位のシーズン56本塁打を放った若き大砲。“村神様”が流行語大賞に輝いただけでなく、31日に行われる『第73回NHK紅白歌合戦』にもゲスト審査員として出演が決まっているという。
輝かしい成績を残した2022シーズンだったが、当然ながらその道のりは決して平坦なものではなかった。特に苦労したのが「56」への戦い。55号を放った後は14試合・60打席ノーアーチという“大難産”となったが、10月3日のDeNA戦で、それもシーズン最終打席で「56」にのせてみせた。
“55の壁”は2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンが打ち破り、日本記録を「60」まで伸ばしたものの、これまでに超えていったのはバレンティンと村上の2人だけ。これまでも多くの強打者たちが苦闘の末に涙をのんできた。
バース「棚からぼたもち」でタイトル奪取
1964年に王貞治(巨人)がシーズン55発の大記録を打ち立てて以降、はじめてこの記録に立ち向かったのが1985年のランディ・バース(阪神)だった。
10月20日の中日戦で54号を放ち、王の55本まであと1本。しかし、皮肉にも残り2試合は、いずれも王監督が率いる巨人が相手だった。
巨人の投手たちは立場上、打たれるわけにいかない。そんななかで、10月22日の1戦目に先発した江川卓は真っ向勝負してきた。
3回の2打席目はフルカウントからの7球目に四球を許したものの、後にバースは「ジャイアンツの投手陣の中でたった1人だけ尊敬できる奴がいる」と江川の名前を挙げている。だが、江川の降板後は四球で歩かされ、2打数1安打・2四球で終わった。
そして、10月24日のシーズン最終戦。巨人の先発・斎藤雅樹は「そりゃ、打たれたくないですよ」と四球覚悟でコースギリギリを突き、1打席目・2打席目ともにストレートの四球だった。
6回の3打席目、バースは斎藤のボール気味の外角高めを中前安打したが、これが唯一の手が出せそうなボールだった。その後、リリーフ陣も連続四球。バース自身も「無理にボールを打つと、(翌々日からの)日本シリーズに悪い影響が出る」とフォームを崩してまで本塁打を狙わなかったため、1打数1安打・4四球でシーズンを終えた。
王の記録に並ぶことはできなかったバースだが、5打席すべて出塁したことで、前日まで出塁率トップだった吉村禎章(巨人)を5毛差で逆転。三冠王に加え、“棚からぼたもち”とも言うべき最高出塁率のタイトルも手にしている。
コミッショナーから「異例の声明」
それから16年後の2001年、王の55号に並び、初めて“王超え”に挑戦したのが近鉄時代のタフィ・ローズだ。
9月24日の西武戦で松坂大輔から55号を放ったローズは、この時点で5試合を残していたが、2試合足踏みのあと、9月30日のダイエー戦で四球攻めにあう。
1回でも多く打席が回るよう「1番・左翼」で出場したローズだったが、第1打席はストレートの四球。2打席目も3ボールとなり、「勝負しろ」とボール球を空振りするパフォーマンスを見せたが、再び四球で歩かされた。
しびれを切らしたローズは、第3打席と第4打席で強引にボール球を打ち、いずれも凡退。2打数無安打・2四球で終わった。
翌日にダイエー・若菜嘉晴コーチが「55本で終わってくれるのが一番いい」と投手陣に四球攻めを指示したという一部報道があったことから、「記録を守る」ことの是非をめぐり、世論が沸騰する。
これを受ける形で、当時のコミッショナーである川島廣守も「新記録のチャンスを故意に奪うことは、フェアプレー精神に外れる。記録を達成した選手の人格を汚す」と異例の声明を発表する事態に。
現役時代に歴代トップの427回(2位は張本勲の228回)敬遠されているダイエー・王監督も「こちらからは何も言えない。選手には強制できないし、打たれなさいとも言えない。心理はわかるが、勝負のアヤだ」と困惑の態だった。
残り2試合にすべてを賭けたローズは、力みから本来のスイングができなくなり、10月2日のオリックス戦は右前安打のみの4打数1安打、同5日のオリックス戦も4打数無安打と快音が聞かれず、55本でシーズンを終えた。
カブレラ対ダイエー…記録達成を巡る「激しい戦い」
2002年、今度は西武のアレックス・カブレラが55本に到達。ローズと同じ残り5試合で新記録に挑戦。迎えた10月5日の1戦目、相手は因縁のダイエーだった。
初回一死一・三塁で打席に立ったカブレラだったが、3球続けてボール。業を煮やしたカブレラは、ボール球を2球続けて空振りしたが、結局一塁に歩いた。
2打席目は中前安打を放つも、3打席目は敬遠気味の四球。4打席目には左上腕部にぶつけられ、不穏なムードが漂いはじめる。
安打と犠打で三塁に進んだカブレラは、平尾博嗣の遊ゴロで強引に本塁をつき、クロスプレーの際に捕手・田口昌徳の顔面を肘で殴打し、負傷させてしまう。
「報復ではない。ホームベース上の普通のプレーだ」と弁明したカブレラだったが、状況的に四球攻めと死球に対する意趣返しと受け止められても仕方がなかった。
このラフプレーが、「あいつだけには絶対打たせない」とダイエーナインの闘志に火をつける。
9回の5打席目、カブレラは真っ向勝負の岡本克道に三振に打ち取られてしまう。
これで運に見放されたのか、カブレラはその後の4試合でも力んでボールの下を叩く打ち損じを連発。ラストチャンスとなった10月14日のロッテ戦では1番で出場も、4打数1安打に終わり、前年のローズ同様、56号は幻と消えた。
敬遠は強打者の証明だが、残り試合が少ないと、気持ちに余裕がなくなるのも事実だった。
2013年に60本塁打の金字塔を打ち立てたウラディミール・バレンティン(ヤクルト)は、55号を記録した時点で22試合を残していた。今季の村上も、あえて1試合欠場して気持ちを切り替えてシーズン最終戦に臨んだことが吉と出た。
こうして振り返ってみると、大記録は狙って達成できるものではないということを実感させられる。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)