白球つれづれ2023~第3回・「史上最強助っ人」バースが日本野球に残した足跡
毎年恒例の野球殿堂入りメンバーが今月13日に発表された。
エキスパート部門で選出されたのは、かつて阪神で二度の三冠王に耀いたランディ・バース氏だ。同時にプレーヤー部門では元ヤクルト、巨人、DeNAで外国人選手初の2000本安打を記録したアレックス・ラミレス氏が受賞。(他に作曲家の小関裕而氏が特別表彰)
外国人選手の選出は1994年の与那嶺要氏(元巨人、日系二世)以来29年ぶり。助っ人2人同時の表彰は史上初の事になる。
「神様、仏様」と称えられたバース氏にとって、殿堂入りは、いささか遅きに失した感もある。
まさに「ウル虎戦士」として甲子園を熱狂の渦に巻き込んだのは1980年代半ば。今から40年近く前のことである。阪神での在籍期間は6年だが、88年は長男の病気で帰国し、そのまま退団。したがって実働5年のうち、2度の三冠王に耀き、85年には今でも伝説として語り継がれる「バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発」で巨人を撃破。その勢いのまま球団史上たった一度の日本一をもたらした。翌86年の打率.389は今も国内最高打率として破られていない。
これほどの「史上最強助っ人」が殿堂入りまでに多くの時間を要したのか?
04年には「プレーヤー表彰」であと一歩のところまで行きながら届かずに資格を失う。13年からは現役引退後21年以上経過した選手を対象とする「エキスパート」部門に回り、ようやく11年目で殿堂入りが実現した。
この文章でも使う「助っ人」には「チームのお助けマン」と言う意味がある。日本人選手とは一線を画した外国人選手の位置づけが、記者投票による殿堂入り得票に影響を与えた側面はある。
しかし、一方で外国人選手は日本野球に大きな影響を与え、貢献してきた。
バースがセリーグのMVPに輝いた85年から昨年までの37年間で、実に11人(延べ12人)の助っ人がセパのMVPを受賞している。投打の個人タイトルになるとさらにその数は膨らむ。功績は認めながらも、なかなか殿堂入りの道は遠かったが、世は多様化の時代に入り、国籍など問題視されなくなったことで今回の同時受賞につながったのだろう。
異国に溶け込んで愛される性格と人一倍の努力の持ち主
「バースは“助っ人”ではなく仲間だったから自分のことのように嬉しい」とかつての僚友・掛布雅之氏は語った。
ロッカーでは将棋を指し、試合後には川藤幸三氏らと梅田の街に繰り出して痛飲。それでいて日本野球への対応も人一倍熱心だったと言う。
バース氏の三冠王は広角打法から生み出された。甲子園は右翼から左翼方向に吹く「浜風」があり、左打者には不利とされるが、軽く流し打ってもスタンドに叩き込むパワーがあった。
殿堂入りの報に接して、当時の打撃コーチである並木輝男氏の名前を出して「センターからレフト方向に打つことを辛抱強く教えてくれた」と感謝している。40年近くたっても謙虚な姿勢があるから、チームメイトに愛され、ファンにも愛され続けるのだろう。
もう一人の受賞者であるラミレス氏も日本野球の研究に熱心だった。来日1年目は投手と対したが、2年目以降は捕手と対峙したと言う。力対力の勝負ではなく、ち密な配球を研究することで最強の助っ人として君臨していく。2人に共通するのは、異国に溶け込んで愛される性格と、人一倍の努力の持ち主だったことだ。
岡田彰布監督の誕生に沸き、バース氏の殿堂入り。さらに小関氏が作曲した「六甲おろし」に甲子園ゆかりの「栄冠は君に輝く」までがスポットライトを浴びる。さらに来年は掛布氏の殿堂入りも有力視されている。
高校野球は大阪桐蔭の時代。パ・リーグでは一足早くオリックスが日本一に駆け上がった。そして25年には大阪万博も開催される。
この秋に岡田阪神が頂点を掴めば“浪速の時代”がやって来るかも知れない。その時には再び“バース伝説”が語られることだろう。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)