4月29日に迎えた開幕戦
2007年4月29日、富山アルペンスタジアムと石川県営球場で記念すべき北信越ベースボールチャレンジリーグ(現・ルートインBCリーグ)の地元開幕戦が行われた。
富山でのデーゲームには6592人、金沢でのナイトゲームには4100人、合わせて1万人を越える観客が「おらが町」にできたプロ野球チームを一目見ようとスタンドに詰めかけた。
その賑わいを地元メディアは、「北陸野球の新時代」と大々的に報じた。
あれから17年。同じ4月29日に、富山県黒部市の宮野球場で富山GRNサンダーバーズ-石川ミリオンスターズによる新リーグ『日本海リーグ』の開幕戦が行われた。
試合に先立って行われたセレモニーには、富山県知事と黒部市長が出席。新リーグ代表となった瀬戸和栄は、高らかに「新たな独立リーグのかたち」に向けた抱負を謳い上げた。
元銀行員だったというこの男は、長らく高校野球にたずさわり、石川球団オーナーの端保聡に乞われて、新リーグ運営会社の社長を引き受けた。北陸のプロ野球の灯を消してはならない、その一心だったと言う。
「富山県の皆様、石川ミリオンスターズファンの皆様。17周年を迎える富山GRNサンダーバーズと石川ミリオンスターズは本年を日本海リーグで迎えることとなりました。昨年末から紆余曲折がございましたが、なんとか今日を迎えることができました。これもひとえに両球団のスタッフ、スポンサー、後援会の皆様、そしてなによりファンの皆様のおかげだと感謝しております。2チームという世界一小さいミニマムリーグではございますが、ここから今年のWBCで活躍しました湯浅投手(富山→阪神)のような世界に羽ばたく選手が出ることを期待しております。がんばってください」
セリフが出てこないのか、時折メモに目をやりながら話すリーグ代表の姿に、たった2球団による「ミニマムリーグ」船出までの「紆余曲折」の苦労がにじみ出ていた。
日本の独立リーグの現状
この日の試合の観客は、522人。17年前の1割にも満たない。しかし、この数は現在の独立リーグの数字としては上々と言ってもいい。
2005年に日本初のリーグとして四国アイランドリーグが、そして2007年にBCリーグが活動を開始して以降、日本の独立リーグは拡大を続けてきた。今シーズンは、北海道から九州までの列島各地に8リーグ30球団がひしめく事態になっている。
アマチュアトップに大企業傘下の実業団による社会人がある日本において、この独立リーグ乱立と言っていい状況は、観客動員の右肩下がりという現実を産んでいる。昨シーズンの独立リーグの1試合あたりの平均観客動員数は370人。ただしこの数字は、データを公表している四国とBC、九州の3リーグの数字で、公表していないリーグのそれを含めると、その実態はさらに低いものになることは間違いない
毎年のようにドラフトでNPBに選手を輩出し、瀬戸代表の言うように世界一に輝いた侍ジャパン入りする選手まで送り込んだ独立リーグの野球界における存在感は増しているにも関わらず、経営面においては、その未来は決して明るいとは言えない。
現在、日本最大の独立リーグはBCリーグである。加盟球団数は実に8を数える。
最古参の四国アイランドリーグplusは、かつて九州や関西へのエクスパンションを行ったが、本来的に小規模プロスポーツである独立リーグにおいて、球団数の拡大は対戦カードという「商品」の種類を増やすのには効果的であっても、それに伴う移動範囲の拡大が経費の増大させ、結局、四国4県での事業展開に原点回帰している。
一方、BCリーグは創設の北信越4県から順次拡大策を歩み、2020年には、南東北(福島)から関西(滋賀)に至るまでの地域に12球団を抱える巨大リーグに成長した。
しかしこの結果、リーグの重心は発足当初の北信越から5球団を抱える関東に移ることになり、地方創生というリーグの理念にも疑問が生じるようになった。そして球団数拡大に応じて採用された地区制は、西地区に振り分けられた滋賀・福井・石川・富山の「孤立」を生み、2021年終了をもって、4球団は滋賀球団の親会社の旗振りのもと「日本海オセアンリーグ」として“独立”することになった。
この“独立”に関して、石川球団オーナーである端保は、オセアンリーグがその目玉として掲げたアプリによるネット配信が魅力だったと振り返る。
「ネット配信については、これまでもなかったわけではないですが、それをリーグ主導でっていうところですね。これからの時代、地方でスポーツビジネスをやっていく上でのベースではないかなと感じたんです。観客動員が下がっていく中、スポンサーへのアピールにもなりますし」
しかし、このネット配信は独立リーグビジネスの救世主になることはなかった。当初有料サービスとして実施されたものの、MLBやNPBの試合ですら無料視聴可能な中、独立リーグの試合の視聴に金を払うファンは少なかったのだろう。シーズン途中には無料視聴できるようになり、これには有料視聴していたファンが反発した。さらには、一部球場はネット中継できる環境になく、新リーグの目玉は結局のところ不発に終わった。
“2本の柱”に揺らぎ
そしてオセアンリーグのもうひとつの目玉は、「セントラル開催」だった。
現在の独立リーグのビジネスモデルは、オフの間の営業活動で翌年シーズンの運営に備えたスポンサー収入を確保。その上でシーズン中の入場料収入、物販収入を得るというものだが、実際のところ500名にも満たない観客動員ではシーズン中の収入について多くを望むことはできず、現実には試合をすればするほど球場賃貸料などの経費が飛んでいくのが現実だ。
そこで、オセアンリーグでは現実を踏まえて、リーグ戦を1カ所に集めて変則ダブルヘッダーで開催することで、試合開催にかかる経費を削減することにしたのだ。
しかし、この試みもまた不発に終わった。昨シーズンのオセアンリーグのレギュラーシーズンは各チーム60試合を予定(実際は59試合を消化)。平日などの一部試合はセントラル開催を行わなかったため、各球団とも地元で主催した試合は20試合弱となった。チケット収入は試合を開催した球団を通じてリーグ運営会社に集まり、のち等分されたという。
このシステム導入の結果どうなったのか。ファンにとっては地元チームを目にする機会が減り、球場の客入りは地元球団の試合では例年並みであったが、地元球団でないチーム同士の対戦では閑古鳥が鳴くという有様になり、リーグの総観客動員数はかなり減ったものと思われる。「思われる」としたのは、オセアンリーグは観客動員のデータについては公表しなかったためである。
客入りについては、富山球団オーナーの永森茂が語ってくれた。
「平均すると悪くはなかったですよ。うちは1試合平均400人ほど。ただし、そのうち1試合は(吉岡監督の高校の先輩である)タレントの石橋貴明さんがゲストに来た開幕戦の数字です。2000人入りました。地元で主催した試合は20試合弱だったんで、これだけで1試合当たり200人ほど上乗せされるんですよ。だから実質は200人前後というところですね」
この数字にはさらに但し書きが付く。セントラル開催ということで、富山県外でのホームゲームもあるのだが、リーグ当局が公表しないこの数字が数十人であるあることは想像に難くない。
そう考えると、オセアンリーグの「通常運転」は100人台の観客しかいなかったと考えるのが妥当だろう。集客という点において、セントラル開催が失敗であったことは否定できない。実際、オセアンリーグが関東に“移転”してできた「ベイサイドリーグ」はこれ採用していない。
また、運営面においても、開催地球団のスタッフは一日中球場を走り回ることになり、その負担は尋常なものではなかったという。
有料ネット配信とセントラル開催という2本の柱が折れてしまった結果、プロにふさわしい選手報酬というもうひとつの柱が倒れるのはある意味必然だった。
「日本海リーグ」の歩み
「今シーズンに向けては、セントラルは変えていこうと思っていたんですがね。突然の話でしたから……」
オセアンリーグという舟に乗った富山・石川の両球団のオーナーは、後悔はないとしながらも、昨シーズン終了後の突然の「通告」にため息をついた。
オセアンリーグが福井球団の活動停止を発表したのは、昨年10月末のことだが、10月20日のNPBドラフトの直前に富山・石川両球団に伝えられていたという。
端保はこう振り返る。
「福井がどうもスポンサーが集まらないから駄目だと。もともと千葉の会社がやってましたから、千葉に行くんだと。その後、もともとオセアンがやっていた滋賀も活動休止ってなって、関東にもうひとつチームを作るって聞いて、そりゃ一緒にやるのは無理だなと。だって、BCリーグの時も長距離移動はけっこうきつかったのに、それじゃあなんのために分立したかわからないでしょう」
重心を関東に移した「日本海オセアンリーグ」は「ベイサイドリーグ」とその名を変え、富山・石川の両球団は、新たに「日本海リーグ」を立ち上げた。両リーグは連携の上、交流戦を行うと発表されたが、結局両リーグのスケジュールにこれが組み込まれることはなかった。
「我々の最優先事項は、IPBL加盟だったんですよ。それがないと選手たちが辞めた後のことが大変ですから」
四国とBCの両リーグが立ち上げた一般社団法人日本独立リーグ野球機構は、その地位が曖昧だった独立リーグの立ち位置を確立するために2014年に設立された。
これにより、加盟リーグの球団はアマチュアとの交流が可能となり、また「プロ」扱いを受けていた選手たちは、引退後、NPBの選手同様、指導者講習を受ければ中高生への指導が可能となり、さらに社会人チームへ復帰へのハードルが下がる。
富山・石川の両球団は、BCリーグ時代はこれに加入していたが、脱退によりその地位を喪失していた。オセアンリーグは“独立”した後、IPBLに申請を行ったものの、加入を認められることはなかった。その理由は明らかにはされていないが、IPBLの主要メンバーであるBCリーグの運営側に独立組へのわだかまりがないと言えば嘘になるだろう。
ともかくも、両球団にとってIPBLへの加入は危急の課題であり、そのためにも次年度に向けたフォーマットがなかなか決まらないベイサイドリーグと一旦袂を分かつのは必然であった。両球団は、さらなる“独立”を決意。リーグ運営会社を立ち上げた上で、加盟申請を行った。
かくして、シーズン前の2月24日。日本海リーグとその加盟球団は、IPBLへの加盟を認められた。
富山球団のオーナー・永森は、この話になると安堵の表情を浮かべた。
「これで、ともかく県内のアマチュアチームと試合を組めるようになりました。NPB、独立、アマチュアって壁を作っている時代じゃないと思うんですよね。加盟決定後、我々は早速JABA(日本野球連盟/社会人野球の統括組織)の富山支部に挨拶にいきました。これからは、日本海リーグのリーグ戦以外にも、県内の実業団チームとのリーグ戦なんかも考えています。もっともこっちは興業にはできないし、都市対抗予選のスケジュールもありますから、まだ考えなければならないことはありますが」
そして上位リーグのNPBとの関係に目を向ければ、日本海リーグの当面の目標は、NPBが募集しているファームリーグへの加入である。
市場規模も考え、リーグ選抜チームをNPBファームに参加させる構想だが、この案をNPBが受け入れるかどうかはわからない。将来的には、最低でも福井球団を復活させ、球団数を増やした上で、「オール北陸」の「一軍」をNPBファームに送り込み、「二軍」に位置付けられる各県のチームによるリーグ戦を想定しているようである。
今シーズンは2チームによるリーグ戦は週末に40試合組まれている。平日には順次NPB球団などとの交流戦を組み込んでいく予定だ。その交流戦の相手として、ベイサイドリーグ球団の可能性もあるというが、BCリーグチームとの対戦はないだろうという言葉からは、やはりどうしてもしこりを感じてしまう。
BCリーグとの関係について、復帰はないのかと聞いてみた。富山球団の永森は、可能性としてはあると答えたが、リーグ代表の瀬戸は「戻る理由がありませんから」。きっぱりないと断言した。
踏み出した第一歩
ともかくも、日本海リーグは船出した。開幕戦は白熱したものとなり、決して交通の便がいいわけではない球場に足を運んだファンも、若い選手たちのプレーを存分に楽しんだ。
球団スタッフのひとりは、リーグ分裂という現実を前に、本当に開幕を迎えることができるのか不安を抱えながらオフの活動に従事していたという。
オフの間も球団は動いている。翌シーズンも残留が決まった選手は契約期間の11月末までは地域活動に参加するし、フロントスタッフにはスポンサー営業という球団にとって最重要の仕事に従事せねばならない。
その甲斐あってリーグ運営会社が立ち上がり、スポンサーも集まった。それだけに、開幕を迎えられたことに感慨もひとしおだった。
一方の現場サイドは、「通常営業」だったと言う。
「現場の人間のやることは変わらないので」とは、石川監督の後藤光尊。
「今シーズンは2チームでの対抗戦というかたちになりましたが。選手たちにとって最大の目標はNPBのドラフト指名。一戦一戦がスカウトへのアピールということを考えると、対戦チーム数が減ったのは大きな影響を及ぼすことではないと思います。給料の面では多少気になることはあると思いますが」
オセアンリーグは、リーグ運営会社から各球団へ分配金を配布した。これはBCリーグ西地区一部球団が本業であるはずの野球より球団のあっせんする副業が主になっていた現実を踏まえて、「独立リーグであってもあくまでプロ」というリーグの方針によるものだった。
分配の際は、各球団に球団運営にこれを充てることを許さず、選手報酬にのみ使うことを条件にしたため、新リーグの選手報酬はかなり改善されたという。そのリーグからの分立した日本海リーグには、当然分配金の制度はなく、結果として選手報酬の水準は落ちてしまったのであるが、多くの選手はそれは気にならなかったと口をそろえる。彼らがここに集まっているのは、あくまで自らのスキルを高め、より上位の場に進むためだからだ。
経営者、スタッフ、指導者、選手、ファン。それぞれの思いを乗せて、日本海リーグはスタートを切った。
文=阿佐智(あさ・さとし)