野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第26回:超空間ナイター プロ野球キング
「愛してる人と、ピーしてる。」
これは1996(平成8)年にサッカー選手の前園真聖が出演した、アステルPHSのテレビCMのコピーである。
当時は前園さんの言う通り、PHS(ピッチ)、MDウォークマン、プレステが男子高校生の間で「平成三種の神器」と称された。ちなみにピッチといっても、野球界で最近話題のピッチクロックとは一秒も関係ない(当たり前)。
96年のプレイステーションは、『鉄拳2』や『パラッパラッパー』といったヒット作を連発。翌年には『ファイナルファンタジー』の最新作も控えていた。
プレステは着々とファミコン生まれ、スーファミ育ちの若者たちの日常に定着しつつあったわけだが、その最中の96年6月23日、任天堂から新ハードのNINTENDO64が発売された。
だが、CMで「ゲームが変わる。64が変える」とぶち上げても、盛り上がっているのは小中学生がメインで、当時高校生だった自分の周りで64を買った人間はほぼ皆無だった。
あの頃、ソニーやセガに次世代ゲーム機争いで遅れを取り、内田有紀の写真集を回し読みしていた高校の教室では、「もうニンテンドーは卒業だよな」的な雰囲気すらあったのも事実だ。
革新的だった64コントローラ
だから、NINTENDO64初の野球ゲーム、96年12月10日リリースの『超空間ナイター プロ野球キング』(イマジニア)も、64ソフトで最高価格の定価9980円にもビビり、まったく買う気はなくスルー。
リアルとは程遠いフルポリゴンのデフォルメされたキャラ。死球を受けた打者がバラバラになり、見逃し三振は打席内でバットを持ったまま石化、空振り三振は氷化して固まる等のギミックもどこか子どもっぽく、自分は発売からだいぶ経って、運転免許合宿の共有スペースに放置された64で初めて遊んだ記憶がある。そして、どうせキッズ向けでしょ……となぜか上から目線でプレーして数分後に度肝を抜かれた。NINTENDO64のあの独特の形状のコントローラが、野球ゲームにおいて異様に操作しやすかったのだ。
3Dスティックでスイングカーソルや投球時の球種やコースをスムーズに移動決定。さらにAボタン、Bボタンの右斜め上に、Cボタンユニットという4つの黄色いボタンがあり、守備時にはこのCボタンユニットの配置そのまま、右=一塁、上=二塁、左=三塁、下=ホームへ瞬時に送球できてしまう。コントローラ裏のZトリガーでサクサクと守備シフトも変更できる。打者操作時のハーフスイングの「振ったようで振ってない」絶妙なバット止め感には感動すら覚えた。
「この使いやすさ、ほぼ野球ゲーム専用コントローラレベルじゃねえか!」と。
イチローや古田の出現で球界の価値観が大きく変化
さて、『超空間ナイター プロ野球キング』(以下プロキン)が世に出た96年は、オリックスが日本シリーズで長嶋巨人を一蹴して初の日本一に輝き、国民的スーパースターのイチローが3年連続のリーグMVPを獲得。当時、地上波テレビで毎晩中継されていた巨人人気(ゴジラ松井人気)は根強かったが、一方でイチローやヤクルトのスーパーキャッチャー・古田敦也の出現で、野球の見方にも変化の兆しがあった。「守備のエンタメ化」である。
それまでのほとんどの野球ゲームは投打の駆け引きに力を入れていたが、ライトを守るイチローの強肩や広大な守備範囲、マスクを被る古田の驚異的な盗塁阻止率や巧みなリードは、漫画キャラクターの必殺技のようなインパクトで子どもたちにも人気に。Jリーガーの中山雅史が表紙を飾り、北澤豪特製ポスターが付録の雑誌『小学五年生』94年4月号の「オレの武器」特集で、古田敦也のメガネが取り上げられた。
90年代中盤、サッカーという新しいカルチャーに対抗すべく新時代の野球選手の象徴が、既存の価値観を破壊した背番号51と背番号27だった。プロキンのパッケージでも、中心に配置されているのは巨人選手ではなく、振り子打法のイチローとメガネの古田である。
なお、プロキンは捕手のパスボールが多く、キャッチャーの守備力が地味に対戦の勝負を分ける。ゲーム中の“育成モード”には、「捕手守備練習」という、瞬時に打球方向を判断してジャンピングキャッチで飛び込み一塁送球を繰り返す、ウチの子大丈夫かしら……なんてママが心配してしまう恐ろしくストイックな練習も用意されているほどだ。
90年前後生まれ世代を直撃した64初の野球ゲーム
そんなプロ野球のガチの部分と、砂浜で打球が止まる“メジャービーチスタジアム”や、重力が地球の5分の1しかないためフライの滞空時間が長くなる“コスモアリーナ”といった、お遊びの要素が共存していた64初の野球ゲーム。
以前、1990年生まれの編集者とゲームの話になった際に、「生まれて初めて買った野球ゲーム」として、この『超空間ナイター プロ野球キング』を挙げていたのが印象深い。彼らはファミコンやスーファミの全盛期には間に合わず、ゲームボーイも微妙に後追いで、プレステやセガサターンは年齢的にまだ難しかった。そんな90年前後生まれの世代にとって、物心がついて初めてリアルタイムで体験したゲーム機がNINTENDO64だったという。
正直、2023年に遊んでみると、ポリゴンの粗い画像はかなり時代を感じさせる。だが、そのコントローラの操作性の良さ、野球ゲームとの異様な相性の良さは令和にぜひ体験してみてほしい。
生まれて初めて夢中になった野球ゲームは、『ファミスタ』でも『パワプロ』でも『プロスピ』でもなく、64の『プロキン』。あの頃、人生に必要な球団名や選手名はプロキンで覚えた……そういうキッズも確かに存在したのだ。それもまた、野球ゲーム史のひとつの真実である。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)