“ルーズベルト・ゲーム”以上の打ち合い
「野球の試合は8-7が一番面白い」。
米国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトが語った言葉といわれるが、夏の甲子園大会では8-7どころか、もっと激しい点の取り合いになった驚きの打撃戦も少なくない。
そこで今回は“ルーズベルト・ゲーム”以上に見ごたえのあった、記憶に残るノーガードの打ち合いを振り返ってみたい。
8-7のダブルスコアに近い「15-13」で決着がついたのが、1995年の2回戦・旭川実-鹿児島商の日本列島“南北対決”だ。
2回に鹿児島商が5点を先行すれば、旭川実も3回に4点を返し、序盤から激しい点の取り合いに。
その後、鹿児島商が4回に1点、5回に2点を追加して4点をリードしたが、一方の旭川実も6回に2点を返したあと、6-11と突き放された7回にも4点、8回にも1点を挙げて、ついに11-11の同点に追いついた。
だが、その裏に鹿児島商が5安打を集中して13-11と再び勝ち越し。
そして9回、後がない旭川実は先頭の山田隆弘が中前安打で出塁を果たすも、次打者・早川達也のレフトへの長打性の当たりを好捕されたことから、すでに二塁を回っていた山田は帰塁できずに併殺で二死。これで勝負あったかに思われた。
それでもめげることなく、4番・岡田隆紀が左翼席中段にアーチをかけて1点差に迫り、迎えた5番・角井修の打席は三塁正面へのゴロ。ついにゲームセットとなってもおかしくないところだったが、打球はまるで角井の執念が乗り移ったかのように三塁手の手前で大きく跳ね、なんと左翼線へと転がって行った。
さらに、四球と重盗で二死二・三塁とチャンスを広げると、ここで打席に入ったのが、この日18安打を記録したスタメン9人中、ただ一人4打数無安打2三振と“蚊帳の外”だった山崎正貴。この打席でも、レフトの定位置に飛球を打ち上げてしまう。
ところが、勝負は下駄をはくまでわからない。左翼手が「山崎君がそれまで当たっていなかったので」と前進守備を敷いていたことから、打球はその頭上を抜け、なんと土壇場で14-13と逆転に成功。さらに暴投で1点を加え、両軍計37安打が飛び交った乱打戦は旭川実に軍配があがった。
大会初の歴史的“快挙”
大会史上最大得点差の8点を跳ね返す大逆転劇となったのが、1997年の1回戦・市船橋-文徳だ。
市船橋の先発・長尾康博が3回途中までに10安打を浴び、9点を失ったことがそもそもの始まりだった。
この時点で1-9と大きくリードされ、逆転はほぼ不可能と思われたが、市船橋・小林徹監督は「はっきり言って、流れは向こう。でもな、こっちに向いてくるまでコツコツやろうや」とナインを励ました。
そして、この「コツコツやろうや」が“魔法の言葉”となる。
3回裏、市船橋は2つの死球で二死一・二塁とラッキーなチャンスをつくると、連打と三塁打の3連続長短打で一挙4点を返す。
4回にも3連打に敵失を絡めて2点を返し、あっという間に2点差まで追い上げた。
さらに6回、安打に2四球、敵失を絡めて1点を返したあと、同点適時打と遊ゴロの本塁悪送球に乗じて、ついに10-9と逆転。8点差の逆転は、93年の徳島商の7点差を上回る大会新記録だった(その後、2014年に大垣日大も藤代戦で8点差を逆転)。
こうなれば、流れは市船橋のもの。その後も2四球と連打で得点を重ね、3番・太田良樹の中越え三塁打でとどめ。なんと、打者14人で1イニング10得点のビッグイニングとなった。
終わってみれば17-10の大勝に、小林監督は「よく粘ってくれた。あれだけリードされても、ウチの選手は落ち込まないんですよ」とナインの健闘に賛辞を惜しまなかった。
「22安打」を放ちながら敗戦
22安打を放ったチームが、9安打のチームに打ち負けるという珍事が起きたのが、2002年の2回戦・興誠(現・浜松学院)-日章学園だ。
2回に興誠が金子成都の3ランなどで4点を先制すれば、日章学園も4回に5長短打を集めて同点。5回には安富太祐の2ランで6-4と勝ち越した。
しかし、興誠も「ホームランにはホームランを」とばかりに山中翼が同点2ランを放ち、7回には敵失に乗じて8-6と再びリードを奪うが、空中戦なら日章学園も負けていない。8回に4番・瀬間仲ノルベルト(元中日)が右翼席中段に弾丸ライナーの2ランを叩き込み、またしても試合は振り出しに。
まさに一進一退の攻防は9回、興誠が二死一・三塁のチャンスをつくり、暴投で9-8と勝ち越し。
その裏は無死一・三塁のピンチも、今泉直弘が三塁走者の動きからスクイズを見破って内角高めにウエスト。打球は三塁方向への小飛球になったが、執念のダイビングキャッチで併殺に切って取り、後続もピシャリと断って1点差で逃げ切った。
毎回の先発全員安打を浴びながらも、136球完投勝利を挙げた今泉は「こんなに打たれたのは初めて。我慢すれば打線がカバーしてくれると信じて、腐らず辛抱強く投げたのが良かった」と我慢の勝利を強調した。
一方、22安打も放ちながら敗れるという大会史上初の珍記録をつくった日章学園・中村好治監督は「打線は当たっていたが、投手を含めた守りが……」とガックリ肩を落としていた。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)