遂にやってきた「9.27」
「たくさんの花を見て、もうジーンと来ちゃいました」。幾度となく通った横浜スタジアムの受付口が、自らを労うた色とりどりの花で埋め尽くされる光景に、藤田一也は胸を熱くした。
まだゲームは残っているが「徳島や地方から来てくれる仲間たちに、ユニフォーム姿を見てもらえるのは最後かもしてない」。この日のセレモニーのために全国から駆けつけてくれる仲間たちを想うと、またひとつ心が締め付けられた。
万感の思いを持ちながらもベンチでチームメイトを鼓舞していた藤田の出番は、最終回にやってきた。「一也に話をしたら『守りたい』というのでね、ショートに入れました。懐かしかったですね」と、かつてのチームメイトでもある三浦監督の粋な計らいで守備位置に着くと、スタジアム全体が異様な熱気に包まれた。
打席は一死一塁の場面で登場。146キロのストレートをフルスイングしたが、ボールはライトのグラブに収まってしまった。こらえきれず涙が頬を伝う中、総立ちのファンにヘルメットを高々と上げてベンチへ戻り、安堵の表情を浮かべていた。
涙と笑顔のセレモニー
引退セレモニーでは徳島のご両親の逸話に始まり、ショートの座を争った石川雄洋氏、世話になった先輩の村田修一氏、横浜愛をもつ最初のきっかけとなった担当スカウトの宮本好宣氏、楽天時代の盟友・嶋基宏氏、そして三浦監督を筆頭に、石井琢朗コーチ、今永昇太、大和ら現チームメイトからのメッセージビデオが流され、感傷的な空気がスタジアムを支配した。
その後自らしたためた手紙を読み「私、藤田一也は今シーズンをもちまして現役を引退します。振り返ればここ横浜から僕のプロ野球人生がスタートしました、横浜ベイスターズでプレーしたいという気持ちで入団し、ベイスターズで優勝したい、レギュラーを獲りたいと思ってやってきました」とプロの最初から振り返り「その思いはかなうことなく、東北楽天ゴールデンイーグルスにトレードとなり、そのときは本当に悔しい思いをし、必ず活躍してやると心に誓いました」と転機となった移籍にも言及。
「楽天では迷ったら前へ出ろ、勝利への執念、優勝、日本一を経験し、野球選手として一回りもふた回りも成長させていただきました。家族のような温かいファンの皆さまのおかげで頑張ることができました。東北での9年間は僕にとって財産です。本当にありがとうございました」と故・星野監督を含む楽天時代の関係者に感謝の意を述べた。
「戦力外を経て、昨年からもう一度ベイスターズでプレーすることができ、入団したときの夢だったベイスターズで優勝するチャンスをいただきました」と念願の古巣復帰を感謝。「昨年のCSでは僕の1打席によってシーズンを終わらせてしまい、そのときに感じた悔しさと申し訳なさは、このグラウンドでまた返したいという思いで、今年1年戦うことを決めました」と、最後の姿を携帯の待受にしてまでリベンジを誓い現役続行を決めた経緯も明かし「その後押しをしてくれたのは、ベイスターズファンの皆様です。こんな僕にも関わらず、鳥肌が立つような大声援をいつも送ってくださることが僕の力になっていました。本当にありがとうございました」と頭を下げた。
また「先輩後輩ではなく、ともに戦う仲間として接してくれた」とチームメイトに感謝。続けて「親父、お母さん、姉貴、僕が野球を始めることで野球中心の生活になってしまうのに、野球をやらせてくれてありがとう」とし「子供たち、いつもパパ頑張ってね、ファイトといって送り出してくれて、応援してくれてありがとう。かっこいいパパはなかなか見せられなかったけど、その言葉でパパはきょうまで頑張れたよ。これからは少し時間ができるから、いろんなところに遊びに行こうね」と最愛の2人の子どもたちにメッセージを読み上げた。
ラストは「横浜ベイスターズのユニホームを着て引退できること、こんなに幸せなことはありません。19年間、本当に本当にありがとうございました」と心からの感謝し、グラウンドを一周。最後にはライトスタンドのファンの近くで背番号と同じ23回の胴上げで、涙顔から笑顔に変わり、清々しくグラウンドを後にした。
指揮官は「まだまだ」
イベント後三浦監督は「今日の引退セレモニーで一区切り。あれだけファンの方に愛された選手が、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ決断をした中でね。いろんな思いがありますけれども、まだまだ一日も長く一緒にやるために、勝っていかないといけないですし、チーム全体がそういう気持ちですよ一日でも長く」と改めてCSからの日本一を狙うと宣言。最後の労いは「その時まで取っておきます」と胸の奥にしまっていた。
主役は球場をあとにする際「幸せです!」と満面の笑みを浮かべた41歳。横浜愛のラストストーリーを完全昇華させるためにも、まだ戦いを終わらせてはならない。
取材・文=萩原孝弘