右の大砲としてメジャー史に名を刻む
現地時間23日(日本時間24日)に迫った2024年度米国野球殿堂入りの結果発表。3回にわたってお送りしている今回の特集もこれがラストとなる。
トッド・ヘルトン、ジョー・マウアーに続く第3弾は、メジャー8球団で計22シーズンを過ごした右の大砲、ゲーリー・シェフィールドだ。
1968年にフロリダ州で生まれたシェフィールドは、86年のドラフトでブルワーズから1巡目(全体6位)で指名され入団。その2年後には19歳でメジャーデビューを果たした。
メッツなどで活躍した剛腕ドワイト・グッデンの甥としても注目を浴びる存在だったが、ブレイクしたのはパドレスに移籍した5年目の92年。打率.330をマークして首位打者に輝いた。
結局シェフィールドにとって主要打撃3部門のタイトルを獲得したのは、これが最初で最後となったものの、マーリンズやドジャース、ヤンキースなどを渡り歩き、40歳まで一線級で活躍した。
シェフィールドがメジャー22シーズンで残した通算成績は、2576試合で2689安打、打率.292、509本塁打、1676打点。さらに16度の年間2桁盗塁もあって、通算253盗塁をマークしている。
これは、500本塁打以上を放った28選手の中でもバリー・ボンズ、ウィリー・メイズ、アレックス・ロドリゲスに次いで4番目に多い数字だ。筋骨隆々でスラッガーというイメージが強いが、走塁面でもチームに貢献していた。
また、現役最終年となった09年にメッツへ移籍。開幕からまもなくに区切りの500本塁打に達したが、相手チームはキャリアをスタートさせたブルワーズで、史上初めて代打での偉業達成でもあった。
同世代の野茂英雄との因縁
そんなシェフィールドにとって因縁の投手が野茂英雄かもしれない。2人はともに68年生まれの同世代。8球団を渡り歩いたシェフィールドに対して野茂は7球団でプレーした。
2人は1998年に一度だけチームメートになったこともある。ドジャースで4年目を迎えていた野茂は5月末まで2勝7敗と絶不調だった。そこで環境を変えたいと自らトレードを申し入れ、6月上旬にメッツへ移籍した。
一方のシェフィールドは、マーリンズで6年目のシーズンを送っていたが、5月中旬にマイク・ピアザなどを含む5対2の大型トレードでドジャースへ移籍。野茂がメッツに移るまでの約2週間という短い期間だったが、チームメートとして過ごしている。
なお、その2週間で野茂は3試合に登板したが、シェフィールドは何と9打数6安打(打率.667)、1本塁打、2打点と打棒が爆発。日本人右腕をしっかり援護していた。
ただし、シェフィールドは対戦相手としても野茂を打ち込んでいた。両者の対戦は通算で35打数17安打(打率.486)、4本塁打、13打点という数字が残っている。
そのシェフィールドは、今年が殿堂入りの有資格最終年。2015年度の初登場から5年連続で10%台と低迷していたが、6年目に30%台に乗せると、9年目の前回は55.0%と、あと一息のところまで来ている。
現役時代は問題発言や問題行動も多く、何より薬物使用疑惑も取りざたされてきただけ。それだけに殿堂入りはほぼ絶望的とみられているが、ノーチャンスではないだろう。意外性のある打者でもあっただけに、最後の最後にドでかい逆転HRが見られるかもしれない。
文=八木遊(やぎ・ゆう)