「このドラフトで意中の選手を獲得できたというのは非常に! 良かったと思います。浅野君もですね、もうムネェ~(胸)を張って堂々とジャイアンツのユニフォームを着て、我々は大手を広げて迎え入れます」
2022年秋のドラフト会議、1位入札で阪神との抽選を制してアマ球界No.1外野手の浅野翔吾(高松商)を引き当てた巨人前監督の原辰徳は、興奮状態で喜びを口にした。なお、原前監督の抽選は通算1勝11敗で自身6連敗中だった。結果的にこの日が、通算17年間の原政権の最後のドラフトになる。
そんな「原政権、最後のドラ1」が、今の阿部巨人の救世主となっている。浅野は8月14日の阪神戦から13試合連続のスタメン出場中で、当初は8番だった打順も「2番・右翼」が定位置となりつつある。背番号51の1年目と2年目(9月1日現在)の成績は以下の通りだ。
2023年 24試合 打率.250(40-10) 1本塁打 2打点 OPS618
2024年 17試合 打率.271(59-16) 3本塁打 12打点 OPS833
8月12日の一軍再昇格後は、14日の阪神戦で第1号満塁弾。19歳8カ月での満塁ホームランは、19歳3カ月の坂本勇人に次ぐ球団史上2番目の年少記録だった。24日の中日戦では決勝2号ソロを含む4安打の固め打ちで、こちらも巨人では2008年の坂本以来の10代での4安打となった。
そう、2024年の浅野のあらゆる記録が「2008年の坂本勇人以来」なのである。数年前、巨人とヤクルトの『TOKYO SERIES』のパンフレット執筆時に巨人選手数名に「神宮球場の思い出」の質問をしたら、坂本からはこんな言葉が返ってきた。
「プロ2年目、初めての開幕スタメンが神宮球場だった。まだ19歳だったこともあり、並み居る先輩たちとプレーする喜びと緊張から、非常によく覚えてます」
当時、第二次原政権において、「2008年の坂本勇人」はどんなシーズンを送ったのだろうか? 今から16年前の2008年3月28日、チームでは1994年の松井秀喜以来となる10代の開幕スタメンを勝ち取り、19歳3カ月の坂本勇人は「8番・二塁」でグラウンドに立った。当時の遊撃は二岡智宏、三塁には全盛期の小笠原道大、一塁はイ・スンヨプ、外野陣は高橋由伸、谷佳知、アレックス・ラミレスらが顔を揃え、マスクを被るのはもちろん20代の阿部慎之助だ。他球団ファンから見ても、巨人が逆指名ドラフトと大型補強で、憎たらしいほど豪華な面子を揃えていた最後の時代かもしれない。そんな大物選手たちに並んで、まだ背番号61をつける19歳が開幕戦に先発出場したのだ。
坂本は翌日からは故障離脱した二岡の代わりにショートで先発へ。この時、まだあどけなさを残す背番号61が、のちにプロ野球史上初めて遊撃手として2000試合以上に出場するとはまだ誰も予想だにしなかった。1週間後には本拠地・東京ドームの阪神戦でプロ初アーチとなる満塁弾。しかも、セ・リーグ最年少記録となるグランドスラムだ。坂本は5月になると2番起用され、やがて重量打線の7番や8番の下位打線に落ち着くも、オールスターファン投票では中日の井端弘和を抑え初選出。巨人野手で10代の球宴選出は45年ぶりの快挙だった。
チームがリーグ連覇を達成した2008年の坂本の成績は、144試合、打率.257、8本塁打、43打点、10盗塁、OPS650。134安打を放った。特筆すべきは19歳の坂本が、オープン戦15試合から、ペナント144試合、夏のオールスター2試合、秋のクライマックスシリーズ4試合、日本シリーズ7試合までの「計172試合」すべてに出場しているという事実だ。技術面はもちろん、それだけの体力がある高卒2年目野手は稀だろう。だが、同時に10代でプロの一軍で試合に出続ける肉体への負担を、自身も高卒でプロ入りした掛布雅之が自著でこう明かしている。
「運よく18歳から1軍に登録されてね。この18歳から22歳まで、進学していれば大学の4年間に、大人の選手と一緒にやる野球が、とんでもない負担を自分の肉体にかけていたんだろうなというのは、辞めてから実感した。大学の4年間という期間は、もう骨格から含めて人間の肉体が大人へ成長していく時期じゃない? その4年は、2軍できちっと肉体も含めてケアしながら育っていければいいんだろうけど、僕は、1軍の戦いの中で揉まれていったからね。その時に肉体面だけでなく、精神的にも、想像以上の負担がのしかかっていたんじゃないだろうかと思うよね」(巨人-阪神論/江川卓・掛布雅之/角川書店)
掛布は33歳の若さでユニフォームを脱いだが、現在の坂本も年齢的な衰えに加えて一種の勤続疲労に悩まされている。10代後半から30代前半まで、ほぼフル出場でレギュラーを張ったが、30代中盤を迎えた近年は故障が増え、35歳の今季は三塁手としてプレー。ここまで89試合で打率.235、5本塁打、26打点、OPS.604と一軍定着以降は自己ワーストの数字が並ぶ。いつの時代も、ベテラン生え抜き功労者の起用法は難しいが、通算2397安打のレジェンドも野球人生の岐路に立っている。
そして、今季の浅野は、プロ2年目で初の開幕一軍入りを果たしたが一本のヒットも打てず、4月8日に二軍降格。しかし、16年前に二岡の故障で遊撃起用された坂本と同じく、8月11日中日戦で外野守備時に左手首を骨折したヘルナンデスの代役として、一軍昇格すると勝負強い打撃でチャンスを掴んだ。
2008年は全盛期のオガラミがクリーンアップを組み分厚い選手層を誇っていたが、今のチームは坂本と丸佳浩が35歳と主軸が高齢化。さらに不動の4番・岡本和真もメジャー指向が強く、近いうちの米球界移籍が囁かれている。坂本・丸の次、場合によっては岡本の次の世代の新たな主軸の育成が急務である。そこに現れたのが、“タツノリの置きみやげ”ともいえる浅野だった。
16年前、原辰徳は断固たる意志で19歳の坂本勇人を使い続けて、チームの中心選手に育て上げた。守備が不安定と指摘されようが、ショートから動かすようなことはしなかった。
果たして、阿部監督は激しい優勝争いの中で、19歳の浅野翔吾を起用し続けることができるだろうか? それは今後の阿部巨人、いや巨人軍の未来そのものを左右する決断になるといっても過言ではないだろう。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
2022年秋のドラフト会議、1位入札で阪神との抽選を制してアマ球界No.1外野手の浅野翔吾(高松商)を引き当てた巨人前監督の原辰徳は、興奮状態で喜びを口にした。なお、原前監督の抽選は通算1勝11敗で自身6連敗中だった。結果的にこの日が、通算17年間の原政権の最後のドラフトになる。
そんな「原政権、最後のドラ1」が、今の阿部巨人の救世主となっている。浅野は8月14日の阪神戦から13試合連続のスタメン出場中で、当初は8番だった打順も「2番・右翼」が定位置となりつつある。背番号51の1年目と2年目(9月1日現在)の成績は以下の通りだ。
2023年 24試合 打率.250(40-10) 1本塁打 2打点 OPS618
2024年 17試合 打率.271(59-16) 3本塁打 12打点 OPS833
8月12日の一軍再昇格後は、14日の阪神戦で第1号満塁弾。19歳8カ月での満塁ホームランは、19歳3カ月の坂本勇人に次ぐ球団史上2番目の年少記録だった。24日の中日戦では決勝2号ソロを含む4安打の固め打ちで、こちらも巨人では2008年の坂本以来の10代での4安打となった。
そう、2024年の浅野のあらゆる記録が「2008年の坂本勇人以来」なのである。数年前、巨人とヤクルトの『TOKYO SERIES』のパンフレット執筆時に巨人選手数名に「神宮球場の思い出」の質問をしたら、坂本からはこんな言葉が返ってきた。
「プロ2年目、初めての開幕スタメンが神宮球場だった。まだ19歳だったこともあり、並み居る先輩たちとプレーする喜びと緊張から、非常によく覚えてます」
高卒2年目で「計172試合」すべてに出場した坂本勇人
当時、第二次原政権において、「2008年の坂本勇人」はどんなシーズンを送ったのだろうか? 今から16年前の2008年3月28日、チームでは1994年の松井秀喜以来となる10代の開幕スタメンを勝ち取り、19歳3カ月の坂本勇人は「8番・二塁」でグラウンドに立った。当時の遊撃は二岡智宏、三塁には全盛期の小笠原道大、一塁はイ・スンヨプ、外野陣は高橋由伸、谷佳知、アレックス・ラミレスらが顔を揃え、マスクを被るのはもちろん20代の阿部慎之助だ。他球団ファンから見ても、巨人が逆指名ドラフトと大型補強で、憎たらしいほど豪華な面子を揃えていた最後の時代かもしれない。そんな大物選手たちに並んで、まだ背番号61をつける19歳が開幕戦に先発出場したのだ。
坂本は翌日からは故障離脱した二岡の代わりにショートで先発へ。この時、まだあどけなさを残す背番号61が、のちにプロ野球史上初めて遊撃手として2000試合以上に出場するとはまだ誰も予想だにしなかった。1週間後には本拠地・東京ドームの阪神戦でプロ初アーチとなる満塁弾。しかも、セ・リーグ最年少記録となるグランドスラムだ。坂本は5月になると2番起用され、やがて重量打線の7番や8番の下位打線に落ち着くも、オールスターファン投票では中日の井端弘和を抑え初選出。巨人野手で10代の球宴選出は45年ぶりの快挙だった。
チームがリーグ連覇を達成した2008年の坂本の成績は、144試合、打率.257、8本塁打、43打点、10盗塁、OPS650。134安打を放った。特筆すべきは19歳の坂本が、オープン戦15試合から、ペナント144試合、夏のオールスター2試合、秋のクライマックスシリーズ4試合、日本シリーズ7試合までの「計172試合」すべてに出場しているという事実だ。技術面はもちろん、それだけの体力がある高卒2年目野手は稀だろう。だが、同時に10代でプロの一軍で試合に出続ける肉体への負担を、自身も高卒でプロ入りした掛布雅之が自著でこう明かしている。
「運よく18歳から1軍に登録されてね。この18歳から22歳まで、進学していれば大学の4年間に、大人の選手と一緒にやる野球が、とんでもない負担を自分の肉体にかけていたんだろうなというのは、辞めてから実感した。大学の4年間という期間は、もう骨格から含めて人間の肉体が大人へ成長していく時期じゃない? その4年は、2軍できちっと肉体も含めてケアしながら育っていければいいんだろうけど、僕は、1軍の戦いの中で揉まれていったからね。その時に肉体面だけでなく、精神的にも、想像以上の負担がのしかかっていたんじゃないだろうかと思うよね」(巨人-阪神論/江川卓・掛布雅之/角川書店)
掛布は33歳の若さでユニフォームを脱いだが、現在の坂本も年齢的な衰えに加えて一種の勤続疲労に悩まされている。10代後半から30代前半まで、ほぼフル出場でレギュラーを張ったが、30代中盤を迎えた近年は故障が増え、35歳の今季は三塁手としてプレー。ここまで89試合で打率.235、5本塁打、26打点、OPS.604と一軍定着以降は自己ワーストの数字が並ぶ。いつの時代も、ベテラン生え抜き功労者の起用法は難しいが、通算2397安打のレジェンドも野球人生の岐路に立っている。
そして、今季の浅野は、プロ2年目で初の開幕一軍入りを果たしたが一本のヒットも打てず、4月8日に二軍降格。しかし、16年前に二岡の故障で遊撃起用された坂本と同じく、8月11日中日戦で外野守備時に左手首を骨折したヘルナンデスの代役として、一軍昇格すると勝負強い打撃でチャンスを掴んだ。
2008年は全盛期のオガラミがクリーンアップを組み分厚い選手層を誇っていたが、今のチームは坂本と丸佳浩が35歳と主軸が高齢化。さらに不動の4番・岡本和真もメジャー指向が強く、近いうちの米球界移籍が囁かれている。坂本・丸の次、場合によっては岡本の次の世代の新たな主軸の育成が急務である。そこに現れたのが、“タツノリの置きみやげ”ともいえる浅野だった。
16年前、原辰徳は断固たる意志で19歳の坂本勇人を使い続けて、チームの中心選手に育て上げた。守備が不安定と指摘されようが、ショートから動かすようなことはしなかった。
果たして、阿部監督は激しい優勝争いの中で、19歳の浅野翔吾を起用し続けることができるだろうか? それは今後の阿部巨人、いや巨人軍の未来そのものを左右する決断になるといっても過言ではないだろう。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)