NPB史上初の盗塁王4人同時受賞が実現したのが、2021年のパ・リーグだ。シーズン最終日の時点で、西武・源田壮亮とロッテ・和田康士朗の2人が「24」で並んでいたが、ロッテ・荻野貴司、日本ハム・西川遥輝も2人に1差の「23」という大混戦だった。
そして、同日行われたロッテ対日本ハムで、荻野と西川がラストチャンスに挑んだ。まず荻野が3回一死一塁、三塁内野安打で出塁。藤原恭大の中飛で二塁走者・柿沼友哉がタッチアップして三塁に進むと、次打者・中村奨吾のとき、伊藤大海の初球にスタート。外角低めカットボールがワンバウンドし、捕手・石川亮が二塁送球できない間に、源田、和田に並ぶ24個目の盗塁を成功させた。
西川も負けじとばかりに続く。1-1の7回二死、遊ゴロエラーで出塁した木村文紀の代走で登場。王柏融の初球に二盗を決め、これまた24個目。直後、王の右中間二塁打で決勝のホームを踏んだ西川は「栗山(英樹)監督の最後の試合でタイトルを確定できたのはうれしく思います」と同年限りで退任する恩師にタイトルとともに最下位脱出の勝利をプレゼントできた喜びに浸った。
一方、36歳の荻野は、1982年の福本豊(阪急)、1993年の大石大二郎(近鉄)、2016年の糸井嘉男(オリックス)の35歳を更新する史上最年長の盗塁王に。入団12年目で初の盗塁王とともに最多安打と併せて二冠獲得の荻野は「あんまり実感がないので、あれなんですけど、それよりも個人としてしっかり最後までやりきれたという達成感はあります」と自身初の全試合出場達成に満足そうだった。
また、育成出身の“光速王子”和田は、史上最年少の22歳でのタイトル獲得。プロ5年目で初受賞の源田は「盗塁は、打席にいる打者の1球や2球を犠牲にしてしまいますし、自分1人では達成できないものですので、周りの選手たちに感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントしている。
同率で首位打者2人の珍事は、セとパで1度ずつ起きている。まずは1969年のパ・リーグ。10月16日の時点で、漫画「あぶさん」のモデルとしても知られる酒豪打者、近鉄・永淵洋三が打率.335をマークし、2位の東映・張本勲に5厘差をつけていた。
だが、残り4試合はいずれも優勝争いのライバル・阪急戦。球団の悲願・初優勝を実現するためにも、「休む」という選択肢はあり得なかった。
一方、ライバル・張本は10月18日までの残り3試合で13打数6安打と固め打ちし、打率.333で全日程を終えた。
これに対し、永淵は10月18日に行われた阪急とのダブルヘッダーで8打数2安打に終わり、打率..334にダウン。翌19日の阪急戦でも、永淵は初回の1打席目に安打を記録しながら、2、3打席目は凡退。4打席目も二ゴロに倒れ、ついに張本に並ばれた。
そして、チームが阪急に3連敗し、逆転Vを許した結果、翌20日の最終戦には出場せず、史上初の同率首位打者が決定。「みんなに意識せずにやれと言われたが、初経験なので硬くなってしまった。最後の阪急戦で打てず、優勝を逃した悔しさのほうが強い」と残念そうな永淵だったが、三原脩監督に「お前のほうが(張本より)安打数も打点も多い。内容はお前が上なんだ」と慰められると、笑顔を見せた。
セ・リーグで同率首位打者が誕生したのは、1987年。10月10日の時点で巨人・篠塚利夫(1992年に登録名を「篠塚和典」に変更)が打率.333でトップ。広島・正田耕三が1厘差の2位だった。
篠塚はシーズン最終戦となった10月18日の広島戦まで打席に立たず、「安打して打率を上げときたかったけど、もうあとは心を決めて待つしかない」と現状維持で全日程を終了した。
一方、正田も10月9日の中日戦で4打数2安打を記録してからは、代走や守備固めでの出場を続けながら、1厘差をキープ。残り3試合となった時点で勝負に出る。
10月20日のヤクルト戦、1回一死から代打で打席に立った正田は、「緊張していました。とにかく初球を狙おうと思っていた」と伊東昭光の初球をバントで一塁左に転がすと、全力で一塁ベースを駆け抜け、見事内野安打を記録。打率.333で篠塚と並んだ。スイッチヒッターでは史上初の快挙に「首位打者なんて夢にも思っていなかったですから、自分の柄ではないと考えています」と謙虚にコメントしたが、翌88年も2年連続首位打者に輝いた。
同一チームの2人が本塁打王を分け合うという、これまた史上初の珍事が起きたのが、2014年のパ・リーグだ。
10月1日の時点で、残り2試合の西武、エルネスト・メヒア、中村剛也がともに33本塁打でトップ。メヒアは翌2日の日本ハム戦、7-7の4回、決勝2ランを放ち、1歩リードする。
これに対し、中村もシーズン最終戦の同3日の楽天戦で、1-4の7回無死一、三塁のチャンスに代打で登場すると、菊池保則の初球を「気合で打ちました」と右中間席に起死回生の同点3ラン。「漫画みたい」と田辺徳雄監督代行を喜ばせた逆転勝ちにつながる一発で、メヒアとともに34本塁打でシーズンを終えた。メヒアはシーズン途中入団で本塁打王を実現。これも史上初の快挙となった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
そして、同日行われたロッテ対日本ハムで、荻野と西川がラストチャンスに挑んだ。まず荻野が3回一死一塁、三塁内野安打で出塁。藤原恭大の中飛で二塁走者・柿沼友哉がタッチアップして三塁に進むと、次打者・中村奨吾のとき、伊藤大海の初球にスタート。外角低めカットボールがワンバウンドし、捕手・石川亮が二塁送球できない間に、源田、和田に並ぶ24個目の盗塁を成功させた。
西川も負けじとばかりに続く。1-1の7回二死、遊ゴロエラーで出塁した木村文紀の代走で登場。王柏融の初球に二盗を決め、これまた24個目。直後、王の右中間二塁打で決勝のホームを踏んだ西川は「栗山(英樹)監督の最後の試合でタイトルを確定できたのはうれしく思います」と同年限りで退任する恩師にタイトルとともに最下位脱出の勝利をプレゼントできた喜びに浸った。
一方、36歳の荻野は、1982年の福本豊(阪急)、1993年の大石大二郎(近鉄)、2016年の糸井嘉男(オリックス)の35歳を更新する史上最年長の盗塁王に。入団12年目で初の盗塁王とともに最多安打と併せて二冠獲得の荻野は「あんまり実感がないので、あれなんですけど、それよりも個人としてしっかり最後までやりきれたという達成感はあります」と自身初の全試合出場達成に満足そうだった。
また、育成出身の“光速王子”和田は、史上最年少の22歳でのタイトル獲得。プロ5年目で初受賞の源田は「盗塁は、打席にいる打者の1球や2球を犠牲にしてしまいますし、自分1人では達成できないものですので、周りの選手たちに感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントしている。
「あぶさん」のモデルと張本勲の首位打者争い
同率で首位打者2人の珍事は、セとパで1度ずつ起きている。まずは1969年のパ・リーグ。10月16日の時点で、漫画「あぶさん」のモデルとしても知られる酒豪打者、近鉄・永淵洋三が打率.335をマークし、2位の東映・張本勲に5厘差をつけていた。
だが、残り4試合はいずれも優勝争いのライバル・阪急戦。球団の悲願・初優勝を実現するためにも、「休む」という選択肢はあり得なかった。
一方、ライバル・張本は10月18日までの残り3試合で13打数6安打と固め打ちし、打率.333で全日程を終えた。
これに対し、永淵は10月18日に行われた阪急とのダブルヘッダーで8打数2安打に終わり、打率..334にダウン。翌19日の阪急戦でも、永淵は初回の1打席目に安打を記録しながら、2、3打席目は凡退。4打席目も二ゴロに倒れ、ついに張本に並ばれた。
そして、チームが阪急に3連敗し、逆転Vを許した結果、翌20日の最終戦には出場せず、史上初の同率首位打者が決定。「みんなに意識せずにやれと言われたが、初経験なので硬くなってしまった。最後の阪急戦で打てず、優勝を逃した悔しさのほうが強い」と残念そうな永淵だったが、三原脩監督に「お前のほうが(張本より)安打数も打点も多い。内容はお前が上なんだ」と慰められると、笑顔を見せた。
セ・リーグ初の“同率首位打者”
セ・リーグで同率首位打者が誕生したのは、1987年。10月10日の時点で巨人・篠塚利夫(1992年に登録名を「篠塚和典」に変更)が打率.333でトップ。広島・正田耕三が1厘差の2位だった。
篠塚はシーズン最終戦となった10月18日の広島戦まで打席に立たず、「安打して打率を上げときたかったけど、もうあとは心を決めて待つしかない」と現状維持で全日程を終了した。
一方、正田も10月9日の中日戦で4打数2安打を記録してからは、代走や守備固めでの出場を続けながら、1厘差をキープ。残り3試合となった時点で勝負に出る。
10月20日のヤクルト戦、1回一死から代打で打席に立った正田は、「緊張していました。とにかく初球を狙おうと思っていた」と伊東昭光の初球をバントで一塁左に転がすと、全力で一塁ベースを駆け抜け、見事内野安打を記録。打率.333で篠塚と並んだ。スイッチヒッターでは史上初の快挙に「首位打者なんて夢にも思っていなかったですから、自分の柄ではないと考えています」と謙虚にコメントしたが、翌88年も2年連続首位打者に輝いた。
同一チームの2人が本塁打王を分け合うという、これまた史上初の珍事が起きたのが、2014年のパ・リーグだ。
10月1日の時点で、残り2試合の西武、エルネスト・メヒア、中村剛也がともに33本塁打でトップ。メヒアは翌2日の日本ハム戦、7-7の4回、決勝2ランを放ち、1歩リードする。
これに対し、中村もシーズン最終戦の同3日の楽天戦で、1-4の7回無死一、三塁のチャンスに代打で登場すると、菊池保則の初球を「気合で打ちました」と右中間席に起死回生の同点3ラン。「漫画みたい」と田辺徳雄監督代行を喜ばせた逆転勝ちにつながる一発で、メヒアとともに34本塁打でシーズンを終えた。メヒアはシーズン途中入団で本塁打王を実現。これも史上初の快挙となった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)