9月11日の広島VS巨人で、0-2とリードされ、敗色濃厚だった巨人が9回表に一挙9得点のビッグイニングをつくり、大逆転勝利を飾った。結果的に、この劇的勝利が4年ぶりV実現を大きく後押しすることになった。今回は、過去にもあった最終回の大量得点劇を振り返ってみよう。
冒頭でも紹介した巨人は、1977年6月13日の大洋戦でも9回表にビッグイニングを作り、逆転勝利を収めている。
序盤に3点をリードしながら、6回に4-5と逆転された巨人は、1点を追う9回一死から代打・淡口憲治が一、二塁間への内野安打で出塁。打球に横っ飛びで追いついたファースト・松原誠の悪送球に乗じて一挙二塁を陥れた。そして、新人の松本匡史が代走に出たことが、さらなる幸運を呼ぶ。
一死二塁で次打者・柴田勲の当たりはワンバウンドしてショート正面へ。普通なら遊ゴロで二死になるところだが、名手・米田慶三郎が二塁走者・松本の動きに惑わされ、まさかの捕球失敗。ボールが外野に抜ける間に松本が同点のホームを踏み、柴田も二塁に達した。
あくまで結果論だが、淡口の打球を松原が止めることなく右前安打にしていれば、一死一塁から6-4-3のゲッツーで試合終了になっていたかもしれない。
2つの幸運が重なって勢いづいた巨人は、土井正三の三塁強襲安打で6-5と逆転すると、さらに3点を追加し、なおも二死満塁で松本に打順が回ってきた。
「満塁の打席に入ったのは初めてだったので燃えた」という松本は左越えにダメ押しの満塁ホームラン。代走出場後に打順が一巡し、グランドスラムを達成したのは、もちろんNPB史上初の珍事だ。
最終回の1イニング9得点で爆勝した巨人は同年、2年連続Vをはたした。
巨人とは逆に、最終回の大量失点で十中八九勝った試合を落としたことがV逸につながったのが、1989年の西武だ。
10月5日のダイエー戦、2位・オリックスに0.5ゲーム差ながら首位をキープしていた西武は、3回までに8得点を挙げる“横綱相撲”で、10-5とリードして9回を迎えた。
だが、ダイエー打線は最後の粘りを見せ、一死から4連続長短打で2点を返し、渡辺久信をKO。さらに山本和範、岸川勝也の連続タイムリーで、あっという間に同点。そして、なおも一死一・二塁で藤本博史が左越えに勝ち越し3ランを放ち、1イニング8得点の猛攻で試合をひっくり返した。
その裏、西武も2点を返し、二死一・三塁で清原和博が鋭い打球を放ったが、セカンド正面のライナーに倒れ、12-13でゲームセット……。
同年、近鉄に0.5ゲーム差の3位に終わった西武だが、もしこの試合に勝っていたら、勝率で近鉄を上回り、パ・リーグ史上初の5連覇を達成していた。ファンにとっては、悔やんでも悔やみきれない最終回の8失点だった。
延長イニングの“最終回”に大量得点を記録したのが、1996年の阪神だ。8月9日の横浜戦、3-3で迎えた延長12回表に猛虎打線が爆発する。
先頭の関川浩一が四球で出塁したのが、歴史的猛攻の始まりだった。久慈照嘉も左前安打で続き、代打・吉田浩も四球で無死満塁。次打者、ケビン・マースが詰まりながらも左前に落とし、4-3と勝ち越した。
ここで横浜・大矢明彦監督は盛田幸妃をあきらめ、西清孝をリリーフに送ったが、これが裏目に出る。
阪神は桧山進次郎の押し出し四球と和田豊の左犠飛で6-3とリードを広げると、なおも星野修の右前安打と木戸克彦の左越え二塁打と攻撃の手を緩めず、代わった大家友和からも高波文仁の右犠飛、米崎薫臣の中越え2点タイムリー二塁打など、この回打者17人の猛攻で計11点をもぎ取った。延長イニングでの11得点は当時のNPB最多記録で、マースの代走で出場した米崎の1イニング1打席2得点も、ビッグイニングならではの珍事だった。
同年の阪神は、来る日も来る日も貧打に泣かされ、テールエンドに沈んでいたとあって、藤田平監督も「あの回だけチームが乗っていた。延長に11点?ウチにとっても、もうないだろう」と一夜限りの“真夏の夜の夢”にホクホク顔だった。
この阪神の記録を更新したのが、2019年のヤクルトだ。4月10日の広島戦、3-3の同点で迎えた延長10回表、先頭の中村悠平が中前安打で出塁し、次打者・荒木貴裕の一ゴロを松山竜平が二塁悪送球したことが、大量得点のきっかけとなる。
一死後、青木宣親の中前安打で満塁とし、山田哲人の二ゴロを名手・菊池涼介がバウンドを合わせ損なう間に4-3と勝ち越し。さらにウラディミール・バレンティン、雄平、西浦直亨の3連続タイムリーで8-3と突き放したあと、一死二・三塁で大引啓次の二ゴロを菊池が本塁悪送球し、9-3に。その後もヤクルトは攻撃の手を緩めず、中村、荒木が連続タイムリー、とどめはバレンティンの代走で出場した田代将太郎の満塁の走者一掃の左中間三塁打で、15-3とした。
23年前の阪神の記録を塗り替える延長イニング12得点の猛攻に、小川淳司監督も「すごい。点が入るときは入るものですね。向こうのミスに乗じて、つながりのある攻撃だった」と笑いが止まらなかった。
“最終回のドラマ”と呼ぶには、あまりにも奇想天外な結末。野球は本当に何が起きるかわからない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
冒頭でも紹介した巨人は、1977年6月13日の大洋戦でも9回表にビッグイニングを作り、逆転勝利を収めている。
序盤に3点をリードしながら、6回に4-5と逆転された巨人は、1点を追う9回一死から代打・淡口憲治が一、二塁間への内野安打で出塁。打球に横っ飛びで追いついたファースト・松原誠の悪送球に乗じて一挙二塁を陥れた。そして、新人の松本匡史が代走に出たことが、さらなる幸運を呼ぶ。
一死二塁で次打者・柴田勲の当たりはワンバウンドしてショート正面へ。普通なら遊ゴロで二死になるところだが、名手・米田慶三郎が二塁走者・松本の動きに惑わされ、まさかの捕球失敗。ボールが外野に抜ける間に松本が同点のホームを踏み、柴田も二塁に達した。
あくまで結果論だが、淡口の打球を松原が止めることなく右前安打にしていれば、一死一塁から6-4-3のゲッツーで試合終了になっていたかもしれない。
2つの幸運が重なって勢いづいた巨人は、土井正三の三塁強襲安打で6-5と逆転すると、さらに3点を追加し、なおも二死満塁で松本に打順が回ってきた。
「満塁の打席に入ったのは初めてだったので燃えた」という松本は左越えにダメ押しの満塁ホームラン。代走出場後に打順が一巡し、グランドスラムを達成したのは、もちろんNPB史上初の珍事だ。
最終回の1イニング9得点で爆勝した巨人は同年、2年連続Vをはたした。
9回に8点を失い、大逆転負け…西武「V逸」の原因に
巨人とは逆に、最終回の大量失点で十中八九勝った試合を落としたことがV逸につながったのが、1989年の西武だ。
10月5日のダイエー戦、2位・オリックスに0.5ゲーム差ながら首位をキープしていた西武は、3回までに8得点を挙げる“横綱相撲”で、10-5とリードして9回を迎えた。
だが、ダイエー打線は最後の粘りを見せ、一死から4連続長短打で2点を返し、渡辺久信をKO。さらに山本和範、岸川勝也の連続タイムリーで、あっという間に同点。そして、なおも一死一・二塁で藤本博史が左越えに勝ち越し3ランを放ち、1イニング8得点の猛攻で試合をひっくり返した。
その裏、西武も2点を返し、二死一・三塁で清原和博が鋭い打球を放ったが、セカンド正面のライナーに倒れ、12-13でゲームセット……。
同年、近鉄に0.5ゲーム差の3位に終わった西武だが、もしこの試合に勝っていたら、勝率で近鉄を上回り、パ・リーグ史上初の5連覇を達成していた。ファンにとっては、悔やんでも悔やみきれない最終回の8失点だった。
阪神は延長戦で11得点!
延長イニングの“最終回”に大量得点を記録したのが、1996年の阪神だ。8月9日の横浜戦、3-3で迎えた延長12回表に猛虎打線が爆発する。
先頭の関川浩一が四球で出塁したのが、歴史的猛攻の始まりだった。久慈照嘉も左前安打で続き、代打・吉田浩も四球で無死満塁。次打者、ケビン・マースが詰まりながらも左前に落とし、4-3と勝ち越した。
ここで横浜・大矢明彦監督は盛田幸妃をあきらめ、西清孝をリリーフに送ったが、これが裏目に出る。
阪神は桧山進次郎の押し出し四球と和田豊の左犠飛で6-3とリードを広げると、なおも星野修の右前安打と木戸克彦の左越え二塁打と攻撃の手を緩めず、代わった大家友和からも高波文仁の右犠飛、米崎薫臣の中越え2点タイムリー二塁打など、この回打者17人の猛攻で計11点をもぎ取った。延長イニングでの11得点は当時のNPB最多記録で、マースの代走で出場した米崎の1イニング1打席2得点も、ビッグイニングならではの珍事だった。
同年の阪神は、来る日も来る日も貧打に泣かされ、テールエンドに沈んでいたとあって、藤田平監督も「あの回だけチームが乗っていた。延長に11点?ウチにとっても、もうないだろう」と一夜限りの“真夏の夜の夢”にホクホク顔だった。
この阪神の記録を更新したのが、2019年のヤクルトだ。4月10日の広島戦、3-3の同点で迎えた延長10回表、先頭の中村悠平が中前安打で出塁し、次打者・荒木貴裕の一ゴロを松山竜平が二塁悪送球したことが、大量得点のきっかけとなる。
一死後、青木宣親の中前安打で満塁とし、山田哲人の二ゴロを名手・菊池涼介がバウンドを合わせ損なう間に4-3と勝ち越し。さらにウラディミール・バレンティン、雄平、西浦直亨の3連続タイムリーで8-3と突き放したあと、一死二・三塁で大引啓次の二ゴロを菊池が本塁悪送球し、9-3に。その後もヤクルトは攻撃の手を緩めず、中村、荒木が連続タイムリー、とどめはバレンティンの代走で出場した田代将太郎の満塁の走者一掃の左中間三塁打で、15-3とした。
23年前の阪神の記録を塗り替える延長イニング12得点の猛攻に、小川淳司監督も「すごい。点が入るときは入るものですね。向こうのミスに乗じて、つながりのある攻撃だった」と笑いが止まらなかった。
“最終回のドラマ”と呼ぶには、あまりにも奇想天外な結末。野球は本当に何が起きるかわからない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)