大谷翔平が所属するドジャースが昨年9月24日のパドレス戦で、3点を追う9回に1点を返し、なおも無死一・二塁のチャンスで、ネクストサークルで大谷が見守るなか、まさかの5-4-3のトリプルプレーで試合終了。「1パーセントにも満たない確率が起きてしまった」と指揮官を嘆かせた。NPBでも同様にトリプルプレーによって一転ゲームセットになった珍ゲームがあった。
前出のドジャース同様、内野ゴロによるトリプルプレーが見られたのが、1996年7月26日のヤクルトVS中日だ。
4点を追う中日は9回、先頭の代打・川又米利が四球で出塁したあと、矢野輝弘、金村義明がいずれも左前安打を放ち、無死満塁と攻め立てた。
9-3の楽勝ムードから、8回に2点を返され、流れが中日に傾きつつあるときだけに、歴戦の名将、ヤクルト・野村克也監督も「筋書きどおりの逆転負け」を覚悟した。
だが、ここで伊東昭光が踏ん張り、次打者・鳥越裕介を二ゴロに打ち取る。名手・辻発彦が難なく打球を処理し、二塁ベースカバーのショート・宮本慎也に送球したあと、ボールはサード、ヘンスリー・ミューレン、捕手・古田敦也に転送され、三本間に挟まれた三塁走者・川又はタッチアウト。
さらに、古田が宮本に送球すると、二塁走者・矢野も三塁付近でアウトになり、トリプルプレーで、あっという間にゲームセット。「まだツキがあるということや」と野村監督を喜ばせた。
一方、ちぐはぐな走塁で自滅した形の中日・星野仙一監督は、1、2回にもエラーや暴投などで致命的な5点を失っていたとあって、「(トリプルプレーで試合終了)信じられんことはないよ。今日のウチを象徴する場面だったから」と半ばヤケクソ気味だった。
しかし、この教訓は生かされず、星野中日は5年後にも本来なら防げたはずのトリプルプレーを喫することになる。
2001年5月12日の巨人戦、0-3とリードされた中日は9回裏、先頭の山崎武司がこの回からリリーフした岡島秀樹から右越え二塁打を放ち、遅まきながら反撃の狼煙を上げる。
中村武志も四球を選び、代打・大西崇之の中前安打で無死満塁。ここで巨人・長嶋茂雄監督は、売り出し中の入団2年目、20歳のストッパー・條辺剛をマウンドに送るが、一番・井端弘和の右前タイムリーで1点を失い、なおも無死満塁のピンチが続く。
だが、ここから「えーっ、嘘~っ!」と思わず目を白黒させられるような珍プレーが起きる。
次打者・井上一樹は中飛。犠飛になるかどうか微妙な打球だったことから、「距離が足りない」とみた高代延博三塁コーチは、三塁走者・鈴木郁洋(中村の代走)にストップをかけた。
点差は2点。一か八かで鈴木に本塁を狙わせるよりは、一死満塁でクリーンアップのバットに賭けるほうがベターという判断からだった。
ところが、「鈴木が本塁に突っ込む」と思い込んだ二塁走者の大西が、タッチアップして三塁を狙ったことから、話がおかしくなる。
直後、「犠飛による1点は仕方がない」と割り切っていたセカンド・仁志敏久が、他の走者の動きを封じるべく、センターからの返球をカットしたことから、大西はまんまと術中にはまり、三塁手前でタッチアウトに。
これだけなら、なおも二死一・三塁のチャンスだったのだが、一度は自重した鈴木まで大西の動きにつられるように三塁を飛び出してしまう。大西をタッチした仁志がそのまま追いかけ、頃合いを見計らって捕手・阿部慎之助に送球し、連続タッチアウト。まるでドタバタ劇のような結末でゲームセットとなった。
5年前のヤクルト戦に続いて、2度も珍幕切れを目の当たりにする羽目になった星野監督は、1回無死満塁のチャンスも潰したとあって、「1回と9回や!」と怒り心頭だった。
トリプルプレーでゲームセットという結末ではなかったが、実質そう言っても差し支えないほど鮮やかな好プレーを見せたのが、DeNA・牧秀悟だ。
2022年11月5日、侍ジャパンと日本ハムの強化試合、8回に1点差に迫られた侍ジャパンはなおも無死一・二塁のピンチだったが、チーム事情から本職ではない一塁を守っていた牧が、送りバントを試みた上川畑大悟の小フライをスライディングしながらノーバウンドキャッチして一死を取ると、すぐさま二塁カバーの源田壮亮(西武)に送球した。
さらに、ボールは一塁に転送され、飛び出していた2走者は帰塁できず、あっという間にスリーアウトチェンジ。侍ジャパンはそのまま5-4で逃げ切り、結果的に勝利をもたらす三重殺となった。
初回に上沢直之から左中間に2点目となるソロを放ち、攻守にわたって勝利に貢献した牧は「与えられたポジションでやるしかない。ファーストは去年やっていたので、また実戦感覚を戻していきたい」とさらなる精進を誓い、見事翌春のWBCの出場メンバーに初選出された。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
前出のドジャース同様、内野ゴロによるトリプルプレーが見られたのが、1996年7月26日のヤクルトVS中日だ。
4点を追う中日は9回、先頭の代打・川又米利が四球で出塁したあと、矢野輝弘、金村義明がいずれも左前安打を放ち、無死満塁と攻め立てた。
9-3の楽勝ムードから、8回に2点を返され、流れが中日に傾きつつあるときだけに、歴戦の名将、ヤクルト・野村克也監督も「筋書きどおりの逆転負け」を覚悟した。
だが、ここで伊東昭光が踏ん張り、次打者・鳥越裕介を二ゴロに打ち取る。名手・辻発彦が難なく打球を処理し、二塁ベースカバーのショート・宮本慎也に送球したあと、ボールはサード、ヘンスリー・ミューレン、捕手・古田敦也に転送され、三本間に挟まれた三塁走者・川又はタッチアウト。
さらに、古田が宮本に送球すると、二塁走者・矢野も三塁付近でアウトになり、トリプルプレーで、あっという間にゲームセット。「まだツキがあるということや」と野村監督を喜ばせた。
一方、ちぐはぐな走塁で自滅した形の中日・星野仙一監督は、1、2回にもエラーや暴投などで致命的な5点を失っていたとあって、「(トリプルプレーで試合終了)信じられんことはないよ。今日のウチを象徴する場面だったから」と半ばヤケクソ気味だった。
5年後に起きた“悲劇”
しかし、この教訓は生かされず、星野中日は5年後にも本来なら防げたはずのトリプルプレーを喫することになる。
2001年5月12日の巨人戦、0-3とリードされた中日は9回裏、先頭の山崎武司がこの回からリリーフした岡島秀樹から右越え二塁打を放ち、遅まきながら反撃の狼煙を上げる。
中村武志も四球を選び、代打・大西崇之の中前安打で無死満塁。ここで巨人・長嶋茂雄監督は、売り出し中の入団2年目、20歳のストッパー・條辺剛をマウンドに送るが、一番・井端弘和の右前タイムリーで1点を失い、なおも無死満塁のピンチが続く。
だが、ここから「えーっ、嘘~っ!」と思わず目を白黒させられるような珍プレーが起きる。
次打者・井上一樹は中飛。犠飛になるかどうか微妙な打球だったことから、「距離が足りない」とみた高代延博三塁コーチは、三塁走者・鈴木郁洋(中村の代走)にストップをかけた。
点差は2点。一か八かで鈴木に本塁を狙わせるよりは、一死満塁でクリーンアップのバットに賭けるほうがベターという判断からだった。
ところが、「鈴木が本塁に突っ込む」と思い込んだ二塁走者の大西が、タッチアップして三塁を狙ったことから、話がおかしくなる。
直後、「犠飛による1点は仕方がない」と割り切っていたセカンド・仁志敏久が、他の走者の動きを封じるべく、センターからの返球をカットしたことから、大西はまんまと術中にはまり、三塁手前でタッチアウトに。
これだけなら、なおも二死一・三塁のチャンスだったのだが、一度は自重した鈴木まで大西の動きにつられるように三塁を飛び出してしまう。大西をタッチした仁志がそのまま追いかけ、頃合いを見計らって捕手・阿部慎之助に送球し、連続タッチアウト。まるでドタバタ劇のような結末でゲームセットとなった。
5年前のヤクルト戦に続いて、2度も珍幕切れを目の当たりにする羽目になった星野監督は、1回無死満塁のチャンスも潰したとあって、「1回と9回や!」と怒り心頭だった。
トリプルプレーでゲームセットという結末ではなかったが、実質そう言っても差し支えないほど鮮やかな好プレーを見せたのが、DeNA・牧秀悟だ。
2022年11月5日、侍ジャパンと日本ハムの強化試合、8回に1点差に迫られた侍ジャパンはなおも無死一・二塁のピンチだったが、チーム事情から本職ではない一塁を守っていた牧が、送りバントを試みた上川畑大悟の小フライをスライディングしながらノーバウンドキャッチして一死を取ると、すぐさま二塁カバーの源田壮亮(西武)に送球した。
さらに、ボールは一塁に転送され、飛び出していた2走者は帰塁できず、あっという間にスリーアウトチェンジ。侍ジャパンはそのまま5-4で逃げ切り、結果的に勝利をもたらす三重殺となった。
初回に上沢直之から左中間に2点目となるソロを放ち、攻守にわたって勝利に貢献した牧は「与えられたポジションでやるしかない。ファーストは去年やっていたので、また実戦感覚を戻していきたい」とさらなる精進を誓い、見事翌春のWBCの出場メンバーに初選出された。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)