「ヤクルト・小川監督」、再び…
ヤクルトは5日、来季の監督に小川淳司氏が就任することを発表した。
今季はシニアディレクターとしてチームを見てきた小川氏。2010年途中に高田繁氏の後を受ける形で監督代行に就任すると、就任後は“メーク・ミルミル”と呼ばれた勝率6割超えの驚異的な巻き返しを見せ、最終的には4位に終わったものの、絶望的な位置からCS争いまでチームを引き上げた。
その手腕が認められ、2012年から2014年までは正式に監督としてチームを指揮。2度のAクラス入りを果たした中、畠山和洋や川端慎吾、山田哲人、小川泰弘といった後のチームを背負う選手たちを見事に育て上げ、2015年にチームは14年ぶりとなるリーグ制覇を成し遂げた。
再建請負人
しかし、その後のチームはというと、相次ぐ故障者にも苦しめられて成績は下降の一途。今季は球団ワースト記録を更新する96敗を喫するなど、課題の多い1年となった。小川氏にはそんなチームの再建が求められる。
苦しいチームの中で、選手を育てながら押し上げていく…。そんな監督の代表例と言えば、根本陸夫氏の名前が挙がる。かつて広島、クラウンライター(現西武)、ダイエー(現ソフトバンク)の3球団でチームを率い、弱小球団をことごとく上位争いのできるチームへと導いた。
広島では1968年から1972年まで指揮を取り、“赤ヘル軍団”の象徴となる衣笠祥雄や山本浩二、外木場義郎らを育成。在籍5年間でAクラス入りは果たせなかったが、1975年に初優勝を果たすチームの基盤を築いた。
【広島・根本陸夫監督】
1968年:3位
1969年:6位
1970年:4位
1971年:4位
1972年:6位
~その後~
1975年:優勝(ルーツ&古葉竹識監督)
広島の監督を退いた後、1978年にはクラウンライターの監督に就任。こちらは1981年まで務めた。ここでも在籍4年間でAクラス入りは果たせなかったが、後のチームを支える松沼博久、松沼雅之、石毛宏典、杉本正らをドラフトで獲得。トレードでは田淵幸一や山崎裕之らを入団させるなど、積極的な補強で土台を作ったチームは、根本の退任翌年である1982年に日本一まで登りつめた。ちなみに、退任後は管理部長としてさらなる戦力補強に尽力した。
【クラウンライター・根本陸夫監督】
1978年:5位
1979年:6位
1980年:4位
1981年:4位
1982年:1位(広岡達朗監督)
さらに1993年には、ダイエーの監督に就任。南海時代からBクラスが続いていたチームの再建を任された。ここでもかつての“豪腕”ぶりは変わらず、当時西武に在籍していた秋山幸二をトレードで獲得するなど、積極的な補強を敢行。1994年には勝率5割越えを達成すると、そのオフには王貞治に後を任せ、1999年のダイエー初優勝を呼び込んだ。
【ダイエー・根本陸夫監督】
1993年:6位
1994年:4位
〜中略〜
1999年:1位(王貞治監督)
今季は記録的な大敗を喫したヤクルトだが、広岡大志や山崎晃大朗、奥村展征といった活きの良い若手は多くいる。監督復帰となる小川氏は、前回のような手腕を発揮することができるか。復活を目指す新生・小川ヤクルトに注目だ。