西野と岡田氏
2008年のドラフト会議でマリーンズから指名を受けた選手は、育成選手を含めると14人いる。そのなかで現在もマリーンズのユニフォームを着てプレーしているのは、同年の育成ドラフト5位で入団した西野勇士しかいない。
この年の育成ドラフト6位には、10年に行われた中日との日本シリーズ第7戦で浅尾拓也から決勝打を放ち、広い守備範囲で何度も勝利に貢献した岡田幸文氏(現栃木ゴールデンブレーブスコーチ)がいる。
筆者は岡田氏が現役を引退した2018年、マリーンズの選手たちに岡田氏との思い出を聞いた。西野もその一人だ。西野は当時、「同期入団で現役なのは僕と岡田さんしかいない。そのなかで、同じ育成から岡田さんが先に支配下登録された。育成からということで、そういう姿を僕も育成のときにそばで見て、後を追ってやってきたいなと思ってやってきた。その先輩が先に引退されるのは少し同期として寂しい。本当に守備のスペシャリストとしてやってきたので、本当に凄い人だったんだなと思います」と育成時代を懐かしみながら岡田氏との思い出を振り返った。
岡田氏は入団1年目の09年3月に支配下選手登録を勝ち取り、10年の日本シリーズでの決勝打、11年と12年にゴールデングラブ賞、12年には東日本大震災復興支援ベースボールマッチの日本代表に選出された。西野も岡田氏から遅れること3年、12年11月に支配下登録選手となった。
「(一軍で一緒にプレーしたい)そういう気持ちはありました。一軍でやる姿、育成から這い上がっていく姿を僕は見てきました。そういう意味では、すごい自分が成長するために大切なビジョンを見せてくれたのかなと思います。僕にとって凄く良かったです」。
西野は支配下登録1年目の13年に先発で9勝をマークすると、14年からは抑えに転向し、3年連続20セーブ、14年と15年は30セーブ以上挙げた。14年には日米野球2014の日本代表に選出され、第3戦では日米野球史上初の継投ノーヒットノーラン達成したときの9回の1イニングを任されるまでになった。
しかし、17年以降はファームで過ごす時間が多く、岡田氏が現役した18年は後半戦に一軍に昇格したが、ビハインドゲームでの登板が多かった。
このときの取材で、岡田氏の現役引退試合に登板したいかと問うと、西野は「う〜ん」と考えた後、「投げたい気持ちはありますけど、そんなに良いポジションでは投げていない。しっかりと見届けたいと思います」と先輩の引退試合で投げたい気持ちはあるが、勝利して先輩の引退試合に華を添えたいという思い、勝ち試合で投げられない自分への悔しさ、もどかしさ、いろんな感情があったように見えた。
岡田氏の現役引退試合は一方的な試合展開となり、西野も1-6の9回からマウンドに上がった。先頭の西田を遊直、甲斐を空振り三振、最後は高田を一ゴロに仕留め三者凡退に抑えると、その裏、岡田氏は現役最終打席でライト前にヒットを放った。
岡田氏の現役引退試合に登板した西野はこの年、14試合に登板して、防御率6.19。支配下選手登録となった13年以降では、初めて1勝も挙げることができなかった。
完全復活
この年のオフ、「アメリカでトレーニングをやって、良くない点とかもわかった。それを修正するじゃないですけど、もちろん2年も良い感覚がなかったら、前の感覚という話ではない」と、新しい感覚を手に入れようと試行錯誤した。
そして、昨年の夏前に「みんな好不調の波があるように、その中で『これだ』っていうのをみんな掴むから1年間一軍に居続けられる。僕の中でもある程度、『こういうのかな』というのが1個あって、それは先発転向する直前から(良い)感覚が続いているのかな」と、“新しい感覚”をつかみ始めた。先発転向後の成績は、6試合の登板で39回1/3を投げ、2勝2敗ではあるものの、防御率は2.52。5試合でクオリティスタート(6回以上3失点以下)を達成した。
昨季は先発、リリーフにフル回転し37試合に登板して、2勝3敗2セーブ、防御率2.96と、堂々の復活を見せた。今季に向けて、春季キャンプでは「去年はいい意味でいろんなところを投げられたし、ある程度結果が出た。ひとつのポジションで投げられたらいいなと思います」と意気込んだ。
2008年ドラフト組は、岡田氏が現役を引退し、今なおマリーンズでプレーしているのは西野のみ。1年でも長くプレーし、マリーンズファンを喜ばせて欲しいところだ。
取材・文=岩下雄太