「“もう15年もやれた”と思えたら」引退経緯明かす
今季限りで現役引退を表明していた楽天の青山浩二投手(37)が23日、オンライン会見を行った。
青山は球団創設2年目の2005年大学・社会人ドラフト3位で入団。ルーキーイヤーから42試合に登板するなどフル回転で走り抜け、楽天一筋15年で球団史上最多の通算625試合に登板。42勝58敗45セーブ159ホールド、防御率3.67の成績で現役を退いた。
今季は自己最少の11試合登板に終わり、「今シーズンはチームの力になれなかったというのが一番。なんとか最後まで力になろうと思ったんですが、シーズン最後の方に僕も怪我をしてしまいまして、そのときにそろそろなのかなと感じました。15年やってたのでちょっと時間かかりましたけど、“もう15年もやれた”と思えたら、そのときにスパッと切り替わりました」と引退決断の経緯を明かし、「まだやれるかと聞かれると、ボールは投げられますけど、それが勝負の世界で通用するかと言うと、そこは自分でちょっと厳しいかなと思いました」と胸の内を明かした。
入団当初から「顔と名前を覚えてもらえるように必死だった」という猛アピールが実り、名将・野村克也監督のもと先発・中継ぎ問わず重用される存在に。1年目から一軍戦力として腕を振り続ける青山のキャリアに転機をもたらしたのは、2011年から4年間共闘した星野仙一監督のゲキだった。
「野球選手でいられれば幸せだな、投げられれば幸せだなくらいしか思ってなかったんですけど、廊下で話をされて、監督室に呼ばれて…。抑えなりセットアッパーだったり、やる気ないんかと言われて。僕もフラフラしてるんで『いやぁ…』って答えてたら『稼ぎたくないんか。抑えやったら稼げるぞ。プロ野球選手なんだから稼げ』って言われて。『僕でいいんですか』って言ってたら叱られました」
闘将なりの“愛のムチ”が効いた。星野政権1年目の2011年に当時キャリアハイの23ホールド挙げると、翌2012年には自己最多の22セーブをマーク。「プロ野球選手になる」という夢を叶えた中堅右腕がさらなる輝きを放つキッカケになった。
青山は「本当に荷が重いと思っていたんで。でも、そこからどうやったら抑えられるかというのを考えましたし、ぼくの分岐点ではあります」と当時を振り返った。
今後のセカンドキャリアについては未定で、「しっかり野球をもう一度勉強して、ちゃんと人に伝えられるように頑張っていきたい」とのこと。最後は共に歩んできたファンへ「15年間ありがとうございました。人としても選手としても一緒に成長できたと思います。人のために野球を伝えることができるように頑張っていきたいと思いますので、よろしくおねがいします」とメッセージを送った。