今季限りで契約期間満了のため退団したオリックスの波留敏夫・1軍ヘッドコーチが、4年間指導に携わったオリックスに、惜別の思いを語った。
「僕らの世界は、そういう世界。勝負の世界ですからね。2軍監督、1軍ヘッドコーチなんて、普通はできないですよ。それをさせてもらっただけで勉強になったし、しかも(これまで経験したことのない)パ・リーグですから。本当にこの球団には感謝しかありません」。退団から数日後、ロッカーの私物整理のため大阪・舞洲の球団施設を訪れた波留さんは、育成チーフコーチからの4年間を振り返り球団への感謝の気持ちを表した。
波留さんは京都市出身。大谷高、熊谷組から1993年ドラフト2位で横浜に入団。「マシンガン打線」と呼ばれた中距離打者主体のチームで、石井琢朗選手と「1、2番」を組み、1998年にリーグ優勝、日本一に貢献した。現役引退後は、横浜、DeNA、中日で打撃コーチなどを歴任。2023年からオリックスの育成チーフコーチに就任し、2025年から2軍監督を務め、今季は1軍ヘッドコーチとして岸田護監督を支えてきた。「岸田護を男にする」という公約を実現することができず、1年での退団。「監督が思っていることを自分がやってきましたが、それが勝ちに結びつかなかったのは申し訳ない思い」と、2年ぶりBクラスの責任を一身に背負った。
中日の打撃コーチ時代、試合中のベンチ前で野手陣に関西弁で打撃の奮起を促す姿がSNSで流れ、怖い指導者の印象を持つ野球ファンも多いが、若い選手は「愛情のある厳しさ」と口を揃える。口調はきついが、選手の技術的な課題や悩んでいることに対し、性格などを考慮した上での声掛けを心掛けていた。打撃が振るわず2軍で調整中の宗佑磨選手には、守備特訓中に「まだまだ現役を続けたいんやろ!」と檄を飛ばした。「舞洲でレギュラーを目指した日々を思い出しました。若い子たちと頑張る気持ちになりました」という宗は、自分と向き合い1軍に復帰していった。やる気を表に出すことが苦手な選手には、積極的に声を掛けて促した。
2軍監督時代の練習中は、センターの守備位置付近が波留さんの“定位置”だった。2時間以上も立ちっぱなしで選手の状態だけでなく、コーチの動きやトレーニングコーチの練習方法など全体を俯瞰。「(若い)コーチを指導するのも仕事」と、気付いたことをフィードバックした。
今季の波留さんは、表面上は「静」だった。「岸田監督がやる野球を、どうやって進めていくか。1軍は結果がすべてのところ。選手が力を出せるようにすることが一番大事です。監督と選手のパイプ役として、とにかく円滑に進められるようにしたい」と黒子に徹した。メディアの話題になったのは、5月2日の日本ハム戦(エスコンフィールド)くらいだ。試合前のベンチでの円陣で「打ち勝て!」と声出し。試合は5点差を引っくり返して10-9で逆転勝ちし、岸田監督が「ヘッドの一声がよかった」と感謝した。
練習中は二塁ベース付近に立って、ベースランニングで接する選手らに、気付いたことを声掛けするなどコミュニケーションを図った。また、練習前に岸田監督と二人だけのミーティングを行い、監督の意向を踏まえチーム方針も策定した。
17年ぶりに東京ドームで行われた8月3日の楽天戦。1回に守備の乱れも絡み4失点すると、その裏のベンチ前で選手による円陣が組まれ、山崎勝己ディフェンス担当コーチらが選手に指示を与えた。この「緊急ミーティング」は前日のコーチミーティングで波留さんが提案したものだったという。「後で言うより、気付いたことはすぐに言っていきましょうと。監督もそのような考えでしたので」。クライマックス・シリーズに向けて一戦一戦、大事になっていく時期だけに、チームを改めて引き締める狙いがあった。
オリックスには在籍したことはなく、請われて入団した。厳しいことや選手らにとって耳の痛いことも言ってきた。外様としてやりにくい面もあったのだろうが「仕事ですから。仕事だから言いたくないことも言えますし、面倒くさいことも言います。仕事ですから、何とも思いません。それ以上に、このチームを強くしたい、選手が一人でも活躍してお金を稼げるようにしたいという思いしかないんで。うるさいと思われたって、一人でも二人でも気付いてくれたらいいんです」と波留さん。3連覇を果たした後、5位に終わった中嶋聡監督は「慣れという部分が今年はより強く出てしまった」と、チーム内に漂った緩みやスキを指摘して退任した。「岸田監督に呼ばれて、そういうところは厳しくやったんですが、あまり変えることはできなかったかもしれません。監督が思っていることを自分なりにやってきましたが、それを勝ちに結び付けることもできませんでした」と、結果責任を痛感した。
投手、野手の主力クラスに大きなけがが続き、満足なオーダーを組むことができなかった今季のオリックス。けが人の多さについて波留さんは「これだけけが人が出るということは何か原因があると思うんで、それをちゃんと追究して改善していかないことには、やっぱりまた同じことが起きると思うんです」という。球団では、けが防止も含めて新たな機器やスタッフの増員を検討しており「会社が本当に力を入れて補強やコーチ、トレーナーの数を増やさないことにはなかなか難しいところにきているんではないでしょうか」と続けた。
さらに、波留さんはげがの原因にも言及した。「練習せな、だめでしょ。一番に練習量です。練習はうそをつきません。科学的な解析もありますし、昔のように(バットを)千本も二千本も振れではなく、専門のコーチのもとで正しいやり方で数をこなしていかないと、1年間持つ体力はつきません。今はそれが出てきているのではないでしょうか。戦力的にも過渡期で、一番底にきている時だから時間がかかると思いますが、ここからどう上げていくかですね」。答えは一つではないが、メディカル面の強化の必要性を強調した。
56歳。「これからどうなるかわかりませんが、どこかで野球に携われたら、また自分らしくやっていこうと思います。このまま『波留敏夫』でやっていきます」。現役、指導者として培った豊富な経験と実績、野球に対する熱い思いはまだまだ球界には必要だ。
取材・文=北野正樹