日米21年のキャリアに有終の美
完璧な始まりと終わりだった。
1997年5月3日の“デビュー戦満塁弾”から始まった井口資仁のプロ生活は、2017年9月24日の引退試合で9回裏に同点2ランを放ち、有終の美を飾った。
ドラフト1位で入団したダイエー時代は99年の日本一に貢献。03年には率.340、27本、109点、さらに42盗塁でタイトル獲得という凄まじい成績を残し、城島健司や松中信彦とともに“ダイハード打線”が誇る100打点カルテットの一角を担った。
05年には念願のメジャー移籍でシカゴ・ホワイトソックスへ。正二塁手としてワールドシリーズ制覇に貢献すると、4シーズンをアメリカで過ごしたのち、09年にロッテで日本復帰。21年間のキャリアで、日米通算2254安打・295本塁打を放ってみせた。
20年前、福岡ドーム(現ヤフオクドーム)での近鉄戦・第3打席で放った井口のプロ初アーチはよく覚えている。
新人選手のデビュー戦満塁弾はNPB史上初の快挙。この井口の活躍は、フジテレビ日曜夜10時から放送の『Grade-A』というスポーツ番組でもトップニュースで取り上げられた。
フジテレビ黄金期、番組司会者はとんねるずの2人。スタジオにはゲストでパ・リーグの助っ人選手たちが呼ばれる豪華仕様。当時トップアイドルとしてデビュー曲『MajiでKoiする5秒前』を大ヒットさせていた広末涼子と並び、井口資仁は“スーパールーキー”と称されたものだ。
あれから20年…。現在37歳の広末はマジで三児の母となり、42歳になった井口は来季からのロッテ監督就任が決定的との報道が出ている。
大切なのは「失敗を連鎖させない」こと
果たして、井口はどんな監督になるのだろうか…? 7年前に発行された著書『二塁手論』から読み解いてみよう。
いきなり冒頭で「運動に関して僕は友達の誰よりも優れていたと思う。体力とか運動能力のテスト結果が、東京都内で3位より下になった記憶はない。同年代の子供の中で自分より野球が上手い子供は見あたらなかった」と天才野球少年ぶりを厭味なくカミングアウト。そこから井口の輝かしい経歴を振り返る一冊だが、所々にその野球観が披露されていて興味深い。
例えば、ミスがつきものの野球において「大切なのは失敗しないことではなく、失敗を連鎖させないこと」だと井口は書く。ミスから心を切り替える方法として意識的にやっているのが「普段から自分を第三者の目で見るように心がけ、自分という人間をちょっと離れたところから他人の目で見る」という訓練である。なぜなら、自分のことは冷静でいられなくても、他人事なら冷静に考えられるから。この絶えず物事を客観視する思考は監督向きとも言えるだろう。
さらに伸び悩む若手についても熱く語っている。二軍から上がれない選手には、自分の何を売りにしたらいいか分からない選手も多い。彼らは自分の長所ではなく短所にばかり気を回して、短所を減らすことに努力を注いでいるが、そんなことをしても平均的な選手になるだけだ。
だから、短所や欠点には目をつぶって、とにかく自分の持っている武器を磨いた方がいい。実際にメジャーリーグではそういう選手が多かったという。守備が下手だとビビるのではなく、とにかく打ちまくって守備のマイナス分をチャラにする。ちなみに、NPBでメジャー経験のある日本人監督誕生となれば史上初だが、ボスが世界一のチャンピオンリングを持っている事実は、日本球界を甘くみがちな新外国人選手たちをマネジメントする際に絶大な威力を発揮するはずだ。
「ミスを恐れず長所を伸ばせ」
ダイエー時代は、盟友の“ジョー”こと城島健司とともに金森栄治打撃コーチの門下生として知られる井口だが、他にアドバイスの上手かった指導者として王貞治監督の名前を挙げている。
ある日、球団施設でシャワーを浴びていると、サウナ室から出てきた世界の王が隣に立ち、いきなり「俺も入団したばかりの頃は、三振王って呼ばれていたんだよ」と自分がどうやって三振王の汚名を返上したのか話してくれたという。
その王監督のシンプルかつ的確なアドバイス内容は本で確認してもらうとして、井口は王との一連のやり取りから後輩にアドバイスする場合は、自分の見えているものすべてを話すのは逆効果だと学ぶ。「基本的にはもっと大きなこと、迷いから抜け出すための道しるべのようなものを教えてやるべき」だと。その与えられたヒントを元に若手は自ら考え抜き成長していく。そう、20代の頃の自分のように。
一昔前はミスをボヤいて?ってド根性の草魂だと若手に接する監督も多かったが、74年生まれの井口には日米の豊富なプレー経験を元にした「ミスを恐れず長所を伸ばせ」という新世代のリーダー像を期待できるのではないだろうか。
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☆参考文献
『二塁手論』(井口資仁/幻冬舎新書)
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文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)