コラム 2019.01.17. 12:15

昭和最後の年に生まれた「プラチナ世代」ー孵化することのなかった“金の卵”ー

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オリックスの新入団発表でガッツポーズする2006年ドラフトの新入団選手たち。(前列左から)大引啓次内野手、小松聖投手、(後列左から)仁藤拓馬投手、延江大輔投手、小泉球団社長、大石ヘッドコーチ、梅村学人投手、土井健大捕手

平成を駆け抜けた世代


 プロ野球界には「〇〇世代」という言葉がある。ある年代にスター選手が集中し、球界をけん引する活躍を見せる。「松坂世代」などはその代表例だろう。

 現在、球界を席巻しているのは、1988年度生まれ(1989年早生まれを含む)の選手たちだと言われている。巨人・坂本勇人を筆頭に、広島・會澤翼、DeNA・梶谷隆幸などが高卒から入り各球団で主力を務めている選手が多く、大卒組では、ソフトバンク・柳田悠岐、西武・秋山翔吾ら現在のパ・リーグのバットマンレースの主役たちがプロの世界に足を踏み入れた。そして、田中将大(ヤンキース)、前田健太(ドジャース)の2人は海を渡り、主戦投手として世界最高峰のリーグ、MLBの舞台に立っている。

 実質、昭和最後の年に生まれ、平成の世を駆け抜けた彼らは、初めてのドラフトを迎える際、甲子園のスターとなった斎藤佑樹(日本ハム)にちなんで、「ハンカチ世代」と呼ばれたり、斎藤が大学を経てプロ入りする頃には、球界のエースとなった田中にちなんで「マー君世代」と言われるようになった。平成が31年目を迎え、新年号を迎える今、彼らは選手として円熟期を迎えているが、その一方で、厳しいプロの競争に敗れし者たちは、第2の人生に歩を進めている。

 彼らが最初に臨んだ2006年のドラフト会議。当時は、高校生は大学・社会人選手とは別枠で指名されていた。この時、高校1巡目で指名されたのが、前述の田中、坂本、前田ら。とくに田中には4球団が競合し、楽天が交渉権を引き当てた。このとき、抽選を外したオリックスが「外れ1位」として指名したのが、「瀬戸内のランディ・ジョンソン」の異名をもつ延江大輔だった。

 田中らと同学年だが、翌年早生まれ(89年2月3日生まれ)の延江は、「平成生まれ初のプロ野球選手」として、プロの世界に足を踏み入れたものの、一軍経験のないまま6年で球界を去り、今はイタリアンレストランのスタッフとして第2の人生を歩んでいる。


野球小僧がプロ野球へ


 現役時代に比べずいぶんあか抜けた印象があるのは、接客業をしている影響かもしれない。細身で涼しげな風貌は、野球選手だった過去を感じさせない。その外見のとおり、野球からはすっかり縁遠くなってしまったという延江は、プロ入り直後の写真を見せると、「そりゃ18の頃ですから。もう一回り経っちゃいましたね」と照れ笑いを浮かべた。

 現在は、野球と縁遠いだけでなく、同じ大阪にいながら、古巣オリックスとも交流はないという。別の店で働いていたときに同じ高卒ドラフトの同期が顔を出してくれた程度。その同期も、早々に現役を引退し、サラリーマンに転身した。延江の同期のうち、高卒の「マー君世代」の3人はすでにプロ野球のフィールドにはいない。のちエースにのし上がった、社会人野球から希望枠で入団した小松聖もすでにコーチ業についている。ただひとり、大学球界から入団した大引啓次だけが、現在もヤクルトで現役を続けている。

 あのドラフトから12年、改めてプロの世界の時の流れの速さを感じる。「まさか」というのが「ドラフト1位」の率直な感想だ。

「一応マスコミからは『ドラフト注目選手』なんて取り上げられていましたんで、下位指名くらいでとっていただけるかなと思ってたんですけども、事前に指名するという確約は自分のもとには届いていませんでした。それが、まさかのマー君の外れ1位ですから。嬉しさより驚きの方が大きかったですね」

 広島県呉市。現在も年に一度はカープの公式戦が行われるこの町で育った延江は、当然のごとくカープの試合に連れられ、やがて野球を始めた。しかし、プロに入る多くの選手とは違い、とくに野球に打ち込むわけでなく、プロを目指すわけでもなく、普通の田舎の高校生として青春時代を過ごしたが、その才能を周囲が見逃さなかった。高校生活も終わりに近づき、進路を意識する頃になると、実業団からも誘いが来るようになったが、プロが視界に入ったとき、延江はそれにかけることを決心した。


運命のドラフト会議とドラ1


 ドラフト当日、本人は学校の指示で授業を受けていたというが、その最中に呼び出され、野球部長に連れられて行った先の校長室には、すでにメディアが陣取っていた。そこで初めて、延江は自分が「ドラフト1位」で指名されたことを知る。ただし、あの田中の代わりという事実には実感が湧かなかった。

「僕が契約金7000万円の年俸660万円、マー君は契約金1億円の年俸1500万円。でも、意識なんてしません。彼の情報は嫌でも入ってくるんで知っているだけ。もう比べる以前だと思っていた」

 同じ「ドラ1」とは言え、その夏、自分が立つことのなかった甲子園の舞台で史上まれにみる熱戦を演じた主役と自分が意識の中で重なることはなかった。プロ入り後の新人研修でメディアに囲まれたその姿を前にして、自分がその代わりにプロ入りしたことの不思議さしか感じえなかった。

 それでも「ドラ1」は「ドラ1」、多くは十把一絡げの扱いを受ける高卒組にあって、チームからは入団以来それなりにチャンスはもらった。しかし、初っ端のキャンプで肉離れをしてしまった体はバランスを崩し、やがてイップスに陥ってしまう。延江のプロ1年目は、一軍での登板はおろか二軍でも登板なし。ようやく2年目にファームの公式戦で初マウンドを踏んだが、その頃には、自分が代わりを務めたはずの田中がプロ球界を代表する投手になっていた。


訪れたチャンスも…


 当時、オリックスのファームは神戸に本拠を置いていた。一軍戦がほっともっとフィールドであるときには、見学するのが常。そこで目にした田中のマウンド姿に、延江は「同じ歳でこうも差があるのか」と、同じプロという舞台に立っているはずでいながらのギャップに驚くほかなかった。延江はいつの頃からか、自分と「ドラ1」同期を重ねることをやめ、左腕からの横手投げという特性を生かしたリリーフに活路を見出すようになる。

 そんな延江にチャンスが訪れたのは、4年目の春。前年シーズン終了後に監督が交代し、秋季キャンプに顔を出した新監督・岡田彰布の目に、そのくせ球がとまった。翌春のキャンプは、初の一軍スタート。翌年には大卒の同期が入団してくるため、ある意味、戦力としての見切りを入れられるタイミングだ。そこで開幕一軍への招待券をもらった。すでにケガもイップスも治っていた延江は目の色を変え、キャンプ序盤から飛ばす。変則フォームから繰り出される140キロ台後半の速球は、主力打者のバットもへし折った。キャンプ打ち上げの日、記者から告げられた言葉は、新監督による「キャンプのMVP」という称号だった。

 その後のオープン戦のことを、延江は昨日のことのように覚えている。初めての一軍戦となった中日戦で森野、荒木という当時の主力をねじ伏せたこと。続く阪神戦では、マートン、大和をしっかり抑えたこと。しかし、平野恵一には四球を出してしまったこと。「そうそう、鳥谷さんからも三振取りました」と振り返る延江の表情は、現役選手のそれに戻っていた。それまで液晶画面の向こうにしかいなかったスター選手を抑えたことにより、延江の自信は確固たるものになっていった。

 無事にオープン戦も終わり、あとは開幕を待つのみ。チームは最後の関東遠征で練習試合を2試合組んでいた。その初戦、西武ドームのリリーフのマウンドが延江の「予行演習」となった。ところが、なかば手にしていたはずの一軍切符が延江の手から滑り落ちる。ストライクが入らない。置きにいくと打たれる。開幕を控えた一軍選手に容赦はなかった。

 翌日、延江は最後の練習試合の直前に、掴みかけていた一軍の切符とは別の切符を手渡され、チームを離れてひとり大阪に戻った。ただし延江は、一軍の選手の仕上がりが、あの結果を招いたとは思っていない。

「力みです。完全に自分のメンタルの問題。もう完全に自滅でした。あの時、自分のピッチングができれば、相手が誰でも抑えることはできたと今でも思っています」

 その後、延江にはなかなかチャンスは巡ってこなかった。開幕後、ファームでも勝敗を左右するようなマウンドに登ることはなかった。そういう中、ようやくチャンスが巡ってきたが、「好事魔多し」の言葉通り、実質、延江の選手生命はここで終わってしまう。


同期への思いと


 練習試合の先発を申し渡された直後のブルペン。突然ボールが大きくそれてしまう。肘に違和感が走り、投球練習を止めた延江に告げられた診断は、投手としては致命的な利き腕の靭帯断裂だった。

 「ドラ1」に球団も温情をかけてくれ、藁をもすがる思いで手術を決心した延江に1年の猶予を与えてくれた。「ハンカチ王子」斎藤佑樹をはじめとする大卒の同期がプロの世界に飛び込むのを病院のベッドで見ていたが、もはや何も感じなかった。

 リハビリに励む延江に、球団はさらに1年の育成契約を用意してくれたが、球威がもとに戻ることはなかった。2012年シーズンをもって、延江大輔はユニフォームを脱いだ。まだ23歳だったが、未練はなかった。とはいえ、今でも時々、現役時代を振り返ることがあるという。

「1年目の最初につまずいた。あれがなければ、まだプロにいれたのかなあなんて考える時もあります。できることなら、あの西武ドームのマウンドに時計の針を巻き戻したいと思ったりもします。でも、やっぱり実力。同期はやっぱり気にはなりますよ。巨人の坂本とか、マエケン、マー君、ソフトバンクの柳田も福田秀平も広島の曾澤もみんな同い年。僕の同期はもう爆発的に活躍している。彼らは僕のことなんか知らないと思いますけれど、やっぱり頑張ってほしいですね」

 引退後、サラリーマン生活を経て、飲食業の世界へと飛び込んだ。野球しかやってこなかった身には、一般社会は本当に右も左もわからない世界だった。何が向いていて、何が向いていないのかさえわからなかったが、紆余曲折を経てたどり着いた現在の生活に、それなりの充実感も感じることができるようになった。現在の夢は、いつになるかはわからないが、自分の店を持つこと。



 延江に本当に野球に未練はないか、今一度尋ねてみた。プロ野球OBには、本業をもちながら野球教室に参加するなど、野球とつながりをもち続ける人も多い。しかし延江は、それもあまり念頭にないと笑う。

「今の仕事上、なかなかそういうのには参加できませんし。それに、野球教室といっても、例えば、僕が教えます、マー君が教えます、ってなったら、どっちがいいかっていうことですよね(笑)。子供って正直ですから。現役時代にもあったんですよ。ああいうのは、大体若手がやるんですけれど、子供は主力選手が来ると思ってますから。悪気がなくても、『○○選手来てないの?』って言いますから。だからこっちも、『ごめんねー、今日は来てないねんって(笑)』。彼らだってマー君に教えてもらったほうが嬉しいじゃないですか。やっぱりプロは実績なんです。そういうところで自分の実力っていうのは実感しました」

 苦い思いでしかないはずのプロ生活。豊作の「プラチナ世代」であったことは、もしかしたらプロ球界で生き残るにはマイナスだったかもしれない。それでも、苦い思い出であるはずの6年間を延江は“誇り”として胸にしまっている。


文=阿佐智(あさ・さとし)

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