第2回:中川圭太(オリックス/ドラフト7位)
先日、東京ドームで中村順司氏と出会った。ご存知、PL学園の元監督にして高校野球の名将。桑田真澄や清原和博らを擁して春夏の全国制覇を成し遂げるなど輝かしい足跡を残した。その中村が言う。
「よく頑張っている。内外野をそつなくこなし、野球センスを感じるね。自分の時代では大村三郎(元ロッテ、登録名・サブロー)かな?」
隣にいた元ロッテの得津高宏氏もかつてのPL戦士、こちらは「しぶとくて、実戦向き。逆方向に上手く打てる選手はプロでも成功するよ。宮本慎也(現ヤクルトヘッドコーチ)に近づける素質がある」と評し、同校出身の名選手の名を挙げた。
話題の主は「最後のPL戦士」と呼ばれるオリックス・中川圭太だ。
彼の名前を一躍有名にしたのはセパ交流戦。貧打に苦しむチームにあって彗星のごとく現れたルーキーは、安打を量産していく。内野手登録なのに外野の守りもそつがない。最初は半信半疑で起用した首脳陣を唸らせる実戦力で、打率.386と驚異の数字を残し、交流戦では史上初となるルーキーの首位打者に輝いた。
7月に入っても10日終了時点で打率.304(214打数65安打)の高成績、5月に入ってからの本格起用ということもあり、まだ規定打席には到達していないが、パ・リーグの打撃ベストテンに食い込むほどの活躍に監督の西村徳文も「素晴らしい働きを見せてくれている」と賞賛を惜しまない。
PL野球は生きていた
東洋大を経て昨年のドラフトでは7位指名。上茶谷大河(DeNA1位)、甲斐野央(ソフトバンク1位)、梅津晃大(中日2位)といったチームメイトが上位指名を勝ち取っていく中で、最後の最後に自分の名前が呼ばれた。PL時代にもプロ志望届を提出してドラフトを待ったが指名なし、その後の4年間、夢を追い続けて叶った瞬間だった。
とは言え、プロの船出は必ずしも順風ではなかった。キャンプは当然のように二軍スタート。他のスター候補生のように抜群のパンチ力があるわけでない。華麗な守備を誇るわけでもない。しかし、実戦になると一見、地味な男は結果を残していく。どんな難しいボールにも食らいつき、右方向に強い打球を打てるから結果を残せる。PL、東洋大で主将を務めた経歴は伊達じゃない。
中川の白球人生は夢と挫折が交錯する。かつて、史上最強と恐れられた強豪・PLでは部内暴力など相次ぐ不祥事に揺れ、2016年に部活動の休止を発表。中川はまさに野球部の激震の中で苦渋の日々を送っている。
入学直後に対外試合禁止の処分に遭い、当時の監督が引責辞任すると、後任には校長でもあった正井一真が就任するが、野球は素人同然。2年時の秋に主将に選出された中川が練習を率い、試合では指揮もとった。3年夏の大阪予選では決勝まで駒を進めるが、あと一歩のところで涙をのみ甲子園の道は閉ざされた。その年を最後に学校は新入部員の募集を停止している。だから「最後のPL戦士」と呼ばれるのだ。
かつて、PL人脈はプロ球界も席巻した。前述した桑田、清原はもちろん、今年野球殿堂入りの決まった元中日の立浪和義氏や楽天監督・平石洋介、さらに西武二軍監督の松井稼頭央に巨人打撃総合コーチの吉村禎章ら大物がズラリ。しかし、現役選手に限れば阪神の福留孝介、楽天の今江年晶ら中川を含めても5人しかいない。プロ入りを前に中川はこんな言葉を残している。
「自分が(PL)最後のプロ野球選手とは思っていない。もし、プロ野球を引退したときに野球部が復活していたら監督として復帰したい」
古い野球ファンにとって「PL学園」の響きは特別なものがある。桑田らを中心に今でも野球部復活の運動は続いている。そんな「PL魂」を具現するトップランナーの位置に、中川は躍り出た。一過性でない活躍を期待している。
<中間通信簿:80点>
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)