「奇跡的なこと」
手のかかった子ほどかわいいという。福島県が誇る甲子園常連校・聖光学院高の斎藤智也監督(57)は、目頭を熱くした。
9月23日にナゴヤドームで行われた、中日-ヤクルトの一戦。ホーム先発はドラフト3位ルーキーの岡野祐一郎投手(26)。対するヤクルトの先発は、歳内宏明投手(27)。なんと教え子による投げ合いが実現したのだ。
歳内は同校初のプロ野球選手。斎藤監督にとっては思い入れが強い。この日は、1・2年生の部員77人に加え、引退した3年生も寮でテレビ観戦したという。
試合前、斎藤監督に取材した。「うちの卒業生が投げ合うなんて、奇跡的なことですし、幸せです。横浜高校のピッチャー同士が投げ合うなら、分かります。でも、うちの高校です」と謙遜する。
2人とはメールで連絡を取っている。青学大から東芝を経てプロの門をたたいた岡野は、「恩師がたくさんいますから。感謝するところもたくさんあるんだと思います。それでも連絡くれます」と話し、高卒ドラ2で阪神入りした歳内とは、「高校から直接プロ入りしました。いろいろなことがありましたけど、今でもよく連絡をとります。両投手ともに、何とかいいピッチングをしてもらいたいです」と語っていた。
人間的に成長した歳内と、その背中を追いかけた岡野
試合前、テレビに向かう生徒、特にピッチャーには「表情をよく見ておきなさい」と指示したという。
話を聞いていて、やはり高校野球の大きな柱のひとつは“人間教育”なのだと気づく。歳内の出身は兵庫。斎藤監督は「プロへの通過点、という認識でいました」と振り返る。
のちの同校プロ第1号だから、入学時点ではプロ野球選手は輩出していない。プロ入りを唯一の目標にしていた歳内は、チームプレーをおろそかにした。見かねた斎藤監督は何度も、何度も、その必要性を説いた。
能力の高さは認めながら、「甲子園に出るには、最後はチームプレーが必要だから」と口を酸っぱくした。プロは個人目標で、甲子園は全部員の合い言葉。2つのバランスと折り合いをつけさせた。
歳内は2年生でエースになり、夏の甲子園では広陵の3年生右腕・有原航平(現・日本ハム)と投げ合って1-0で完封勝利。多くのスカウトをうならせた。
3年生の進学直前に起こった、2011年の東日本大震災。ボランティア活動では、部員らとともに物資を運んだ。自己中心的な部分は消えた。斎藤監督も「周囲に感謝の気持ちを伝えられる、義理堅いいい男になった」と評価する。
一方の岡野は、1年生の夏の甲子園はベンチ外。「コントロールがよかったから」(斎藤監督)という理由で、打撃投手として同行している。
歳内と共有する時間を増やすことで、成長をうながしたという。
教え子の投げ合いに「幸せです」
この日のゲームはというと、恩師の願い届かず、岡野が2イニング2失点で降板。独立リーグの香川オリーブガイナーズを経て、これがNPB復帰2戦目となった歳内も、3回途中5失点でマウンドを降りた。5年ぶりの白星はお預けとなった。
試合終了から少し時間のたった午後10時すぎ。記者は斎藤監督の携帯電話を鳴らした。試合後に連絡させていただきます、と伝えていたからだった。
結果はさておき、指導者として生徒にどう話したのだろう、と思った。疑問をぶつけた。
斎藤監督は「生徒になんて言おうかな。考えていたところです」と答えてくれた。
「結果は思い通りにならなかったですけれど、プロの厳しさを知り、本人たちも勉強になったと思います。次のチャンスをもらえるように頑張ってもらいたいです」と語ってくれた。
実は、その電話口。試合前と口調が違うように感じた。声のトーンがやや高い気がした。もしかしたら、教え子との思い出を振り返りながら、すこしお酒を入れたのかもしれない。
ただ、斎藤監督に「飲んでらっしゃいますか?」などと尋ねるのは野暮。聞けなかった。「夜分、電話を受けていただきありがとうございました。失礼しました」と伝えて通話を終えた。
どんな選手もキャリアを重ねれば、成長を支え、未来への道筋を照らしてくれた誰かがいる。斎藤監督は2投手の投げ合いを「幸せです」と語った。
見守ってくれる恩師のいる歳内、岡野も幸せなだな、と思いながらナゴヤドームを後にした。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)