通算378盗塁の先輩から譲り受けたもの
もらったことは覚えている。大切にしてもいた。でも、それを「使う」と考えるまでには2年かかった。
中日の京田陽太はこのオフ、2017年から2年間ともに戦った荒木雅博(現・内野守備走塁コーチ)の使っていたスパイクと同じものを発注した。
「いただいたものは大切に。新しく来たものを手にして、履いてみて、軽いな、走りやすいな、と思いました。合っていると思います」
素材はエナメルからスエードへ。ソールはクッション性の高い分厚い素材よりも、薄さを重視する仕様。
「前への動きに加えて、横への動きも重要です。分厚いソールは、足首がグラグラします」
ナゴヤ球場で走り、打ち、守る…。履き心地や性能をチェックして、今後の自主トレ、春の沖縄キャンプで使うことも決めた。
荒木がスパイクに込めた想い
2年前の記憶は、荒木の引退試合が行われた2018年3月3日。ロッテとのオープン戦(ナゴヤドーム)だった。
三ゴロに倒れた先輩に「何かください」とお願いしたところ、渡されたのはスパイク。その時は「バットやグラブではなく、スパイクなんだ。何でなのかな」と感じたという。
では、なぜ荒木コーチはスパイクを渡したのか…。京田には伝えてなくても、意味があった。
「何かください、と言われたときに、スパイクが目に飛び込んできた。自分が履いたことないタイプだったから、あげた。渡すモノはバットでもグラブでも、モノは何でもよかった。感じてほしいのは、道具はたくさんあって、試していくうちに、何が必要かを考えることの重要性。オレだって、自分に合うものにたどりつくまでに時間がかかったもん」
荒木は1996年にドラフト1位で中日に入団。2001年に初めて100試合を超える111試合に出場した。
一軍定着した、と胸を張って言えるようになったのは2003年。「メーカーの担当者に、要望を伝えはじめたとき」だという。与えられる用具を使っていた選手が、道具の力も使って高いパフォーマンスを発揮するステージに上がった転換期となった。
その2003年というと、荒木は26歳のシーズン。今季の京田と同じだ。大卒2年目、当時24歳の京田にスパイクを渡したのは、道具の大切さに早く気づけ、というメッセージも含まれていた。
荒木コーチ自身、「これが最も合う。ずっと使う」と決めたのは、30歳を過ぎてからだという。
目指すは一人で「33」
チームとして、来季の盗塁数を爆増させたい。今季のチーム盗塁数33は悲惨な数字だった。
1試合当たり0.275個。これはナゴヤドームを本拠地とした1997年以降でワースト。広い球場で、走力を重視する野球に転換したはずのチームが、まるで足を使えなかった。
京田は「今季のチーム盗塁数をひとりで走るつもりでやります。オープン戦から走れることをアピールして、走ってもいいサインを出してもらえるようにしたいです」と語る。
ルーキーイヤーからの盗塁数の推移は23、20、17と減少の一途をたどり、今季に至っては8つ。いくら短縮シーズンだったとはいえ、「8」はさみしすぎる。
目指せ33盗塁。その道のりは、通算378盗塁の先輩・荒木を支えたスパイクとともに歩むことになりそうだ。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)